私は6歳ころから8歳くらいまで、マタギの家に出入りしていました。
マタギの家は大家族で、祖父母、長男次男夫婦には、それぞれ子供たちが7人おりました。
マタギも春から秋にかけては農業が主体で、稲刈りが終えると山へ散弾銃をもって猟に出るようでした。
廊下には実弾はさすがに入っていませんでしたが、散弾銃が2,3丁転がっていて、子供たちの遊び道具になっていました。
玄関から土間が広がり、上がり框から中に入ると2階建ての大きな家は、居間兼大きな囲炉裏がまず目に入ってきます。
囲炉裏の上には四角い木の囲いがぶら下がって、その囲いにはワラで編んだしめ縄のようなものが回されていて、
川魚やマムシの皮をむいたもの、鳥などの肉が乾燥のために竹の串にささって燻製にされていました。
そして私が一番気になったのはその囲炉裏には天井から自在鉤がぶら下がっていて、鉄鍋がかけられていました。
越後では雑炊(オジヤ)が、いつもぐつぐつ煮込まれていました。
私は一日そこで過ごすので、実家のばあさんが私に白いご飯を弁当で持たせてくれるのでした。
でも、マタギの家では白いご飯は見たことがなくて、雑炊を椀によそって食べていましたので
、私だけ白いご飯では嫌だったので、いつもその鍋にあけてもらって皆さんと同じものをいただきました。
マタギの家では私をかわいがってくれましたので、私はこのこと以外は全然気軽に過ごすことができたのです。
私たち子どもは、夏になると川に泳ぎに行き、そして大きな石の下に隠れている小魚を手づかみで採って、
食事のおかずにしていました。それに山に行けば山菜がたくさん撮れ、どれが食べられるのかを教えてもらって
居ましたので、春から秋までかなり種類を覚え、キノコなどや食べられる果実なども知ることができたのです。
おかげで危険なことの回避術らしき知恵も授かって、私は蜂には刺されましたが、
かなりこの家の方々のおかげで、ワイルドな暮らしができるようになったのです。
そういえばもう一つ思い出したのは、夏の寝室の寝具はクマの毛皮でした。
寝てみたわけではありませんが、涼しいのかなと思ってみていました。
ある年の冬、ツキノワグマを仕留められて、大勢の人たちが集まっていました。
玄関先に撃たれた熊が吊り下げられており、初めてまじまじと見ました。
この時初めて熊肉を、ごちそうになったのも良い思い出になりました。(写真はすべてインターネットから借用したイメージです)
その子供たちとの交流も、私が小学3年の時には町場の学校に転校させられましたので突然終了しました。
今でもその頃の思い出が脳裏にあり、忘れられない少年期の思い出になっています。