飯能市民球場よこにある記念碑です。
もう何年もこの石碑の前の道を通っていましたが、気に留めることはありませんでした。
しかし、先日入間市の古い写真をみる機会があり、この石碑の意味を知ることになりました。
いつも沙羅が通るこの石碑の前の道は昔は山でした。
しかし現在の入間と飯能をつなげるため、遠い昔に山を切り開き道を作ったのでした。
山を切り開くと言ってもまだ重機のない時代ですから、人間が全て手作業で切り開いたのです。
いくら小さい山といっても、ツルハシで岩を割り、土砂を運び・・・という作業はとても大変だったと思います。
沙羅の見た写真は、切り崩した山の前でツルハシにもたれて、誇らしげに微笑むねじり鉢巻の男性と、子供をおぶった女性の写真です。
その写真を見てからは、この石碑の前を通る度に、遠い昔にこの道を作るために汗を流した人がいる・・ということを思い出します。
今この道は歩道拡張のためさらに道が削られています。
この石碑もなくなってしまうかも知れません。
でも沙羅はこの道を通るたびに、誇らしげに微笑んでいた男性の姿を思い出すのです
もう何年もこの石碑の前の道を通っていましたが、気に留めることはありませんでした。
しかし、先日入間市の古い写真をみる機会があり、この石碑の意味を知ることになりました。
いつも沙羅が通るこの石碑の前の道は昔は山でした。
しかし現在の入間と飯能をつなげるため、遠い昔に山を切り開き道を作ったのでした。
山を切り開くと言ってもまだ重機のない時代ですから、人間が全て手作業で切り開いたのです。
いくら小さい山といっても、ツルハシで岩を割り、土砂を運び・・・という作業はとても大変だったと思います。
沙羅の見た写真は、切り崩した山の前でツルハシにもたれて、誇らしげに微笑むねじり鉢巻の男性と、子供をおぶった女性の写真です。
その写真を見てからは、この石碑の前を通る度に、遠い昔にこの道を作るために汗を流した人がいる・・ということを思い出します。
今この道は歩道拡張のためさらに道が削られています。
この石碑もなくなってしまうかも知れません。
でも沙羅はこの道を通るたびに、誇らしげに微笑んでいた男性の姿を思い出すのです