加瀬邦彦さんが19日から日経新聞「こころの玉手箱」に登場
おとといは、加山雄三さんとのお話だったので触れませんでしたが、きのうはまたまたジュリーの名前が出てきました
1973年、安井かずみさんが作詞、加瀬邦彦さんが作曲、「ナベプロの看板スター、沢田研二君」が歌う。3人の自信作。
でも、渡辺晋さんたちが制作会議で、その曲をB面にしてしまったそうです。
そこで、3人は作戦会議を開いて、「危険なふたり」にタイトルを変えたそう。
確か、この前、ジュリーがラジオで、安井かずみさんの
で高速を走ってるときに、ちょっと怖い目にあって、安井さんが「危険なふたりにしよう」って言ったって話してたよね。
加瀬さんは単身社長室に乗り込んで「ぜひA面にしてください」って直談判したそうです。
ジュリーもこの頃のこと、「A面にしてくれなきゃやめます」みたいな書き置きした、とか言ってたよね
とにかくみんなになんとか認めてもらって出した「危険なふたり」は、大ヒットして日本歌謡大賞を受賞したんですね。
渡辺晋さんがそのごほうびに3人をスペインのマジョルカ島へ連れてってくれたんですって。
そのとき、加瀬さんがおねだりしていた旅行かばん。結局、のちに譲ってもらったらしいのですが、その頃にナベプロがやっていたライブハウスの経営を立て直してくれ、と渡辺晋さんに頼まれたそうです。
そのお店が今、加瀬さんがやってらっしゃるケネディハウスになったそうです。
加瀬さん、今のところ、4日のうち2日間がジュリーがらみの話題
ほんとに仲いいのね~