ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
yukarin_004@yahoo.co.jp

大阪チケット

2012-06-03 20:34:01 | ジュリー
7月5日の大阪のチケットが、2枚、お嫁入り先を探しているそうです。

お席は、En列の10番台連番です。

ご希望のかたは、
yukarin_004@yahoo.co.jp まで、ご連絡ください。
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6月2日(土)のつぶやき

2012-06-03 03:27:48 | ジュリー
11:19 from Twipple for Android
うわ~、足の親指の爪が一部、取れてしまったφ(゜゜)ノ゜

14:22 from Twipple for Android
澤會さんからチケット来ているようです。

19:34 from Twipple for Android
ラジオ深夜便って、生放送なのかな。

19:54 from Twipple for Android
ファンデーションを夏用に変えました★

21:22 from Twipple for Android
あ~あ、チケットまだだ(-.-)

21:45 from Twipple for Android
ジュリーはピーのトークライブ、一度も聞いてないのかな。

by yukarin0402 on Twitter
コメント (4)
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ピーのラジオ深夜便後半

2012-06-03 01:52:03 | ジュリー
前半の書ききれなかったところ、思い出して書いておきます。

タイガースをやめると決めてから、役者になることも考えて、劇団を受けに行ったりもした。

市川右近さんには、どこかのお店で声をかけられて、びっくり。最初、なにやってるか知らなくて、失礼しました…って。

慶應の方が、さきに合格通知がきたから、早稲田のは見てない。もしかしたら、落ちてたかも。

受験勉強してるときも、ちゃんと8時間は寝ていた。あと、2時間はそれぞれの食事にあてて、残りは勉強に。髪を洗うのが面倒だから、丸坊主にしていた。
(ひゃ~、ピーの丸坊主って想像できない)

さて、後半始まりました。

ピーの肩書きは「中国音楽研究家、もとドラマー」だって。

「人生を二度生きた男」

ロンググッバイどおり、長い別れになった。
柴田さんと約束があった。二度とタイガースには戻らないと言って、お世話になった。
こんど、約束を破ったことになっちゃったけど、まあもう30年以上たってるから。

タイガースでデビューしたころの翌年くらいから、六本木の方に出ていって、川添さんのイタリアレストランに出入りするようになった。サロンのように、いろんな人が来ていた。そこで柴田さんと知り合った。
知的なことに関心をもって、すごく新鮮だった。話もすごく新鮮だった。かつみなんかはファッションの方に興味をもった。
そうして、ますますそれぞれの考えを持つようになった。

子供たちは、父がタイガースだったと知らなかった。18歳になるまで言わなかった。上の子が先に知ったけど、弟にはなにも言わなかったので、ふたりとも18歳になるまで知らなかった。
つれあいは、また芸能界に戻るのじゃないかと心配していたから、いっさい何も見せず、実家でもいっさい隠していた。
つれあいとは、それまでにいろいろすれ違いもあり、離婚して、子どもたちも大きくなったから、もういいかな…と。
ぐっとおさえられていたから、かえってよかったかも。その瞬発力が培われたかもしれない。
ぼくは年をぜんぜん気にしてなかった。55くらいになって、同僚の教師がくたびれてるのを不思議に思ってた。
でも、このエネルギーは母親からもらったものかもしれない。

2008年、中井さんがスタンバイしてくれて、みんなと再会した。最初はわだかまりもあったけど、飲んでみたら、すっかり以前の僕らに戻ってた。ほとんど一瞬で、また戻れたのはすごいと思った。みんなと会ってよかったと思った。
利害関係だけで結び付いた仲間じゃないから。喧嘩も言い合いもするけど、みんな真面目だからぶつかる。だから、元に戻れる。

この歌、岸部一徳、沢田研二が書いた。最初は客観的に聞いていた。
2008年に再会したあと、この曲を聞いて、そういう想いだったのかと。沢田が自由が丘の居酒屋に、僕に会うために来ていたというのも聞いたし、そこまで思ってくれたのかと、ありがたいという想いにかられた。
これにアンサーソングを作った。
それぞれ、道はちがったけど、これから同じ道を歩いていけたらいいなと。
そのあと、学校を退職した。もともと、明治時代の音楽も研究していたけど、彼らと会って、彼らがやりたがっていることを知って、明くる年の2月くらいから、スティックをまた持ちはじめて準備をしはじめた。
最初、かつみがいなかったので、おかしいな~とは思ってた。そのあと、かつみと目黒駅で会ったけど、最初は髪も真っ白でわからなかった。
中井さんとみんなで会って、話はまとまりかけたが、その後、かつみと沢田があまりうまくいってないと聞いていたが、かつみが、やめとくと言ったので、がっかりして、学校もやめていたので、職も探さなくちゃなんて思ってた。
でも、タイガースじゃなくても音楽ができればいいやと、老虎再来という曲を作った。
その間に、中井さんも亡くなられた。
本も出版して、自分の道をさぐっていこうと思ってたら、かつみははいらないけど、いっしょにやることになって、ほんとに楽しかった。

みなさんに評価してもらって、うりれしく思う。
38回のステージ、本当に楽しかった。おさえていたからこそ、爆発できたので、元妻に感謝している。

今後は、
京劇と歌舞伎、日本舞踊のコラボというような、渾然一体とした融合を考えている。
僕しかできないことをやっていきたいし、それが日中友好の橋渡しになればいいと思っている。
タイガースのメンバーとの活動もまたできれば。

シェィシェィ。

老虎再来

トークライブでも言ってたけど、結婚していた当時は、漬け物石でおさえつけられてたみたいだった…って
これ、すごい言い方
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ピーのラジオ深夜便前半

2012-06-03 00:55:04 | ジュリー
始まりました。聞きながら書きますので、あしからず。

タイガースの紹介。
僕が接着剤みたいになって集まったかも。
自己の主張が絶えないグループ。
当時は外国ものの曲が多かった。
ファニーズで、大阪で自分が先にバンドボーイになって、大阪で仕事を始めた。人気が出てきて、内田裕也さんがこそっと見ていらして、渡辺プロへ。
すぎやまこういちさんに挨拶にいった。京都から来たと行ったら、即決でタイガースという名前が決まった。
最初はやだな~と思ったけど、今はよかったとおもう。
山城高校は有名な人がたくさんいて、みんな絶えず努力して、みんな頑張っていた。

最初はずっとやっていくつもりだったけど、会社はアイドルとして売り出したかったけど、自分たちはやりたいものがあった。
歌謡曲でもない、演歌でもない、新しいものだったけど、そのころは歌謡曲っぽいと思っていた。
2年でかつみがやめて、どんどん解散の方向に。
かつみがやめて、秋風が吹いて、なんとなく続けていけないと思い始めた。3年目にやめたいと会社に言った。柴田錬三郎さんに勉強したいと相談したら、お金が必要だと言われ、もう1年やった。その間にどうしたらいいか、考えた。
役者で台詞をしゃべらされるのも嫌だしと思ってた。演劇も勉強したけど、やっぱり合ってないなと思った。芦田しんすけさんとこに挨拶に行ったけど、自分で、まず大学に行くことに決めた。
ほんとはみんなで、原点に戻って、自分たちの音楽をやりたかったけど、自分もしっかりしてなかったので、みんなを引っ張ることができなかった。
解散コンサートの当日、トラックを横付けにして、ちゃんこ屋で最後の晩餐をして、京都に帰った。
そのときはみんなと二度と会わないと思っていた。ほんとに長い別れになった。
そのあと、猛勉強して大学に。丸坊主にして、14時間勉強した。
定時制高校では受験勉強ばかりやっていた。
慶應義塾大学にはいった。文学をやりたいと思っていたので、東大や京大に行くにはオールマイティーでできなきゃいけない。自分の専門の好きな教科しかできないから、慶應と早稲田を受けた。早稲田の結果は見てない。
中国語を勉強して、高校の教師になった。規律のない教師だった。細かいことにあーだこーだ言われるのは好きじゃない。だから、彼らが勉強したいなと思うような環境を作りたいと思ってた。寝てる子がつい起きるような授業ができたらいいと思ってた。

漢文で、ピー氏いわく~と。
(なんか寝てる生徒を起こすための、孔子の漢文のパロディみたいな感じみたいなんだけど、よくわかんなかった)

授業ではタイガースの話題は出さなかった。
教え子には市川右近さんも。
藤山じゅんじろうさんとは、食べ歩きもずいぶんした。彼自身は自腹でミシュランを制覇してる。彼のおじいさんは私財をなげうって、政治をした。
こんな教師にもいい生徒が出る。33年で、教師生活にピリオドを。そのきっかけになった歌。
ロンググッバイ

ジュリーが歌ってます。わたし、久しぶりに聞きました。
改めて聞いてみると、この歌、ほんとにピーに向けてのストレートな気持ちを歌ってるのね。
この歌をジュリーがコンサートで歌っていたころって、わたしは、ピーの存在の大きさもよくわか
ってなかったな~。
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