前の続きです。
ジュリーは第1回6位でした。
憎みきれないろくでなし
です。
その後のインタビュー。
徹子さん「沢田さん、お待たせしました」
ジュリー「いえいえ」
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そういえば、徹子さんの「さわださん」って言い方、アクセントが独特ですよね。「さ」のところが高いのかな。
徹子さん「沢田研二さんです。もちろんみなさんご存じですよね。こうやって第1回めから、ああやって出ていただいてたわけですけど、この12年間の音楽の流れというようなものはどうでしょう?」
ジュリー「いや、今こうやってVTR 見てると、音がずいぶんよくなりましたよね。サウンドが。だから、昔の聞くと、なんかボコボコに聞こえて、でも、あれも当時はそれなりに先端行ってたのかな、と思ったんですけど。技術も、みんなすべてにおいて、なんか進歩してるというか」
徹子さん「まだ今も熱意は持ってらっしゃると思うけど、当時の沢田さんがたとえば、小道具のパラシュートとか、自動車とか自分でしょって持ってらした時代があったじゃない」
ジュリー「しょってはいませんよ~、あ、でも救急車持ってきたりね」
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苦笑いのジュリー
徹子さん「でも、自分のパラシュート持ってらしたじゃない、自前の」
ジュリー「ええ、でもあれはちゃんとバトンに吊ってあったんですよ」
徹子さん「あ、上はね、あれはしょってたわけじゃないんですか。
でもああいった若い頃のあなたを、今こうやって見ることができるわけですけど」
ジュリー「本人にとってはそんなに昔ではないんですよね。だから、歌もしょっちゅうステージなんかでは歌ってるんで、なんか、古いという気はしてないんだけど、やっぱりあの、実際問題、ずいぶん声も変わりましたし。高い声が出なくなったけど、太くなったとか、いろいろあります」
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わたしはパラシュートって映像でしか見たことなくって、一度でいいから、生で見てみたい、と今でも思っております
でも、当時もコンサートなどではパラシュートしょってはいなかったようなお話を先輩ファンさんから聞いたことあります。あれはテレビ用だったみたいな。
徹子さん「五木さん、ま、年代的なことはよくわからないんだけども
、こういう沢田さんのような新しい方がね、また沢田さんの後ろから、また新しい人が、っていうような、ベストテンでいえば12年間だったと思うんですけど、そういったことについては、どうでしたか」
五木さん「そうですね、やっぱりどんどん新しい人が出てきて、音楽そのものがね、いろんな人たちに聞いてもらえるような状況になっていて、あまりにも幅広くなりすぎたことがね、逆にいえば、焦点がちょっとボケてきたかな、という感じがしないでもないですけど、でもたぶん聞く人にとってみれば、いろんな音楽があって、きっと楽しいんだと思いますね」
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ジュリー、神妙な面持ちで聞いております。
徹子さん「まぁ、それぞれがひたひたと後ろから足音が聞こえてくる‥‥って感じでは、トシちゃんにちょっと聞いてみようと思います」
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緑山スタジオでテレビドラマ収録中の田原俊彦さんに。
徹子さん「今、五木さんとか沢田さんとか大先輩にお話伺ってたんだけど、あなたの後ろからもひたひたと人がくると思いますけれど、そういった追いかけられてるとか、そういう気持ちはどうなんでしょう?」
トシちゃん「でも、僕らもある意味での危機感、追い詰められての向上心、プレッシャーみたいなものをいつも持ってなきゃだめだと思いますし、五木さんとか沢田さんとかは、僕らがもう小学校くらいから、幼稚園くらいかな‥、その頃から第一線で活躍してて、僕らもずっと夢に見てて、そういう人たちといっしょに番組に出るようになって、その頃ももう10年の域を越えてた先輩がね、第一線でがんばってて、そういうのを見ると僕らもすごく励みに、目標になって、あ、先輩もがんばってるから俺もがんばろうって思って、がんばる要素として、いつも燃えててくれてうれしかったですね」
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先輩、先輩と言いながら、一部敬語じゃないトシちゃんに笑えました。
「幼稚園くらいから‥‥」のくだりでは、ジュリー、笑ってます
そしてまた、ジュリーに。
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ジュリー「いやいや、僕らも若い人見て、がんばってますから。なんか年寄りみたいだな~」
と、横の五木さんと顔を見合わせてます
ここの写真、サイズオーバーで入らないので、次の記事にまわします。