2011年 3月13日 時間不明 昼
被害の度合いのせいなのか、女川町や女川原発についてはほとんど報道されない。 たまに出るテレビのテロップには もういい。 せっかく少し奮い立った気持ちを潰さないで。 生きてるんだ。 また暗くなった。 変わらず情報集めと情報提供を続ける。 あまり変化のない情報だとしても検索せずにはいられない。 推測で女川原発は本当はやばいから報道されないんじゃないかというツイートが流れる。 あくまでそっちは推測だ。 本当は安全だもの。 電話来たって父が言ってたもん。 携帯の着信音が鳴り、父かと思って画面を見ると02から始まる番号。 もしかしたら! と思い、急いで通話ボタンを押した。 「あー、もしもし?姉ちゃん?」 懐かしい声。 一番、今一番聞きたかった声。 不思議と涙は出なかったが、全身が震えてうまく言葉を話すことが出来なかった。 喜びで身体が震える、というのはこの事かな。 無事を喜び、ついでと思っていくつか聞いていた他の原発職員や関係者について尋ねる。 弟は会社の衛星電話を使って連絡をとってきた。 他からの情報によると衛星電話は数少なく、バッテリーも危ういらしい。 弟に確認すると、その通りだとのこと。 他にも外部に連絡したい人は大勢いるだろうし、電力もあまり使えないだろう。 向こうは外がどうなっているのか知らないから。 13日09時の時点で救助隊が女川・石巻を中心に救助活動開始。 その情報を伝え、ねーちゃんも頑張って情報集めたりして待ってるから 震えの止まらない手に握られたままの携帯から再び着信音が鳴る。 あれから4時間交代・缶詰状態で連日勤務なのに、心配までかけてしまった。 しかし、毎回ものすごい良いタイミングで電話をくれるけど、見てんのか?? 弟と直接話せた事を伝えると喜んでくれた。 きっとこれで向こうも安心して仕事が出来るだろう。 Twitterで協力してくれた人に弟の無事と感謝を伝え、 その後は久しぶりに眠った。 まともに眠った。
ある程度弟の安否が確認できたので、あとは女川町の現状について調べることにした。
【女川町 壊滅状態】
だけ。
知ってるから。
津波がきたんだもん。
そりゃ家だって壊れるよ。
簡単に【壊滅】って言わないで。
映ってないだけで、生きてるんだもん。
集中すると太陽が動くのが早い。
尋ねた人が無事でいると聞き、私と同じように喜んでくれる人が増えると思って嬉しかった。
たぶん、順番がまわってきたのか、
家族に直接声を聞かせてやりたいと上司が気にかけてくれたのか。
短い時間に出来るだけの情報を入手し、またこちらが手に入れていた外部の状況を伝えた。
頑張れと伝えて電話を終えた。
地震直後から交代時間の度に連絡をくれる相方。
mixiの、同じように原発職員をご家族・ご友人に持つ方々に弟の安否と手に入れた情報を伝えた。