その後も郭沫平は学生運動のブレーンとして彼等を指導しており、党の内部情報まで暴露しているので、これ以上生かしておく訳には行かないと考えます。
郭総長もそうした党の考えは見抜いており、自分が消される運命なのは覚悟していますが、もう「遺書」を発表しているので心は軽く、最期に後世に残る仕事が出来たコトを光栄に思います。
沫平(モーピン)の死は全国の大学から学生達が集まって来た頃に訪れ、それは彼の父と同じく心臓発作によりました。
これは飲み水に血管を収縮させる薬を混ぜられてのモノで、天安門事件の真相を発表しようとした彼の父も同じ方法で毒殺されました。
沫平は薬を飲まされて足が吊った瞬間に己の死を悟り、学生達に遺言を伝えようとします。
しかしこの吊りは全身に広がって終わらない鈍痛をもたらし、最期には心臓に火箸を突き立てられる様な激痛でまともに言葉を発せられなくなります。
そんな苦しみの中で沫平は、祖父である郭沫若が革命後に党の軍門に下ってしまった時から、子孫がその責任を取って死ぬコトは宿命付けられていたと語ります。
文人にとって書きたいコトが書けないのは存在理由を否定されるコトに他ならなず、中華文明はこの「くびき」によって深刻な退廃に陥ってしまった...
若い学生諸君らにはこの「くびき」を断ち切って、中華文明を曾ての様に世界に冠たる「文の国」として復興させて欲しい!
この「死の苦しみ」の中で語られた郭総長の遺言はインターネットの動画で拡散され、世界の目が一気に北京での学生運動に注がれる様になります。