岡村幸保 人間讃歌・ビバサイエンス・自由闊達オカピーLOG              

退職にあたり、科学振興の立川の実践をまとめてみました

この度、立川市立小学校科学教育センターの事務局長を退任しました。
私たちの立川の実践を知ってもらい、
科学振興活動の参考の一助になればと思い、
3年前に、読売教育賞に応募したときの教育実践報告書をもとに、
現在の段階に通用する内容に加筆修正して発表することにしました。
少々間違えがあるかもしれませんが、お許しください。

まだまだ、子どもたちの理科離れ、
我が国の科学・技術の衰退が続いています。
以下の報告が、科学教育や科学振興の仕事や活動をされている方々の
参考になればと思いアップします。

*****************************

立川の子どもたちを理科大好きに

~理科離れ克服、科学の街を目指して~

     岡村 幸保 

               現在;オカピーサイエンス 代表
                  立川サイエンスひとネット プロデューサー                   社会教育団体 立川・自然と科学の会 会長
                  NPO法人立川教育振興会 理事
                  立川市立科学教育センター 運営委員

はじめに  「理科離れ」と私  課題と目的

 私は、科学の楽しさや大切さを子どもたちに伝えることをライフワークとしています。35年間の理科教師・科学部顧問を勤める中で、特にここ20年程は、「理科は、難しいし、面倒なので嫌い。」という「理科離れ」という現状に遭遇しました。そして、その克服のために、科学教育の研究と実践に力を注いできました。子どもを引き付ける実験を学び、開発し、学校では理科授業・科学部活動の改善に努めてきました。地域でも科学普及のボランティア活動に取り組んできました。

そして、定年退職したこの9年間は、学校の授業を超えて、立川市科学教育センターの仕事や、科学教育ボランティア活動で、幼児から高齢者まで幅広く「理科は楽しいよ!」「科学は大切です。」ということを知ってもらう活動を、多くの仲間たちや協力者と取り組んでいます。
 
 人々が科学を好きになり、科学的知識と思考を持って生活し、社会を考えるようになることが目的であり、そのための行動が課題です。特に、現代的課題である、コロナ危機、気候危機に対し、これを乗り越えるためにも科学が重要です。それを担う人々を育てていきたいと強く思っています。私は、これからも、みんなで楽しく実践していきたいと思っています。

私の活動の様子は私のブログをご覧下さい。

 http://blog.goo.ne.jp/yukiyasu_2006 または【岡村幸保 サイエンス】で検索

以下 直近の実践を9点にまとめて報告します。

なお、以下の実践は仲間たちと取り組んだものです。それらを、私が代表して報告するものです。

実践と成果 その1 
科学センター児童数150人から317人まで増加、あふれる熱気

現在の私の活動の中心は、立川市立小学校科学教育センター(略称:立川科学センター)の仕事です。企画・指導、事務局長の任に就いています。立川科学センターは、小学5,6年生の希望者を対象とした立川市立の科学教室です。

立川科学センターは、1964年に設立され、60年間にわたって実践を続けています。

私は、2015年に着任し、9年間勤めました。私が着任した時はセンター員児童は、約150人でしたが、その後増加し続けて、2022年度は317人の応募があり熱気であふれました。

急増の原因は、理科が得意でなくても好きならばやっていけること、講座内容がたいへん面白いことが、口コミで子どもや親に伝わっていることです。「理科少年、理科少女」たちは、5年生になったら科学センターに入ることを憧れています。

また、科学センターOBたちが親になり、子どもに伝えています。科学センター事務局員の方は、ご自身を「科学センター卒業生です。」と、誇らしく話します。市内で多くの科学センターOBたちが様々な方面で活躍しています。56年間は大きな実績を生んでいます。

私が心がけて取り組んだことは、子どもの興味関心を大切にして、子どもたちに伝える力のある専門家を選び講師としてたくさんお招きしたことです。また、理科離れ克服という課題に対して新たに研究され、開発された新しい実験を使える講師をお招きしたことです。そのことにより、必然的に評判が高まりました。また。指導員スタッフは、専門性だけでなく、子どもたちとのコミュニケーション力のある方々にお願いしました。指導員スタッフは、毎回提出される記録ノート「科学センターノート」への丁寧な感想・返信を書き込み、子どもたちとの会話・声掛けをして、良くコミュニケーションをとり、大きな力を発揮してくれました。

子どもたちからは、「センターの実験は楽しい。」「学校でやらない実験ができて面白い。」などという感想が多く寄せられています。

実践と成果 その2 

最先端科学の学びを取り入れ、宇宙エレベーターロボット競技会全国大会では準優勝や第3位(2年連続)を達成

私は、小学生にも、最先端科学に触れさせたいと思い、新たに取り入れました。市内にある国立極地研究所に南極の生物、神奈川工科大学河原崎徳之教授に福祉ロボット、日本大学青木義男教授に宇宙エレベーター、京都大学吉村一良教授に超伝導など、ハイレベルの内容の講座を開きました。子どもたちに、知的好奇心の芽を育てました。普段の授業では触れられない内容に子どもたちは、目を輝かせました。
  私は、継続的に宇宙エレベーターロボット競技に、インストラクターの斉藤巧先生とタッグを組んで取り組んでいます。これは、宇宙エレベーターという夢の科学技術を学び、コンピュータロボットを工作し、プログラミングで稼働させます。チームで討論しながら工作する過程は、アクティブラーニングそのものです。

そして、全国大会で準優勝や第3位(2年連続)などを獲得してきました。関東大会に立川から20チーム90人が参加し、4チームが全国大会に進出した年もありました。

 子どもたちは、「作っていると熱中して時間を忘れる」「ハラハラするけれどプログラム通りに動くと嬉しい。」と、語りました。

この実践は、いくつかのメディアや、立川市教育委員会の広報誌でも報道されました。立川市の市教育総合会議(議長 立川市長)や、立川市教育委員会主催の優秀な教育実践を発表する会である立川教育フォーラムでも発表を求められました。そして、立飛ホールディングス(村山正道社長)という地元大手企業の子ども向けイベント「立飛新春フェスタ」にも招かれて、ブースを出展しました。参加した子どもたちから大好評をいただき、今年も招かれました。市内の企業や団体から、積極的な物的支援をいただいていることも普及のための大きな基盤となっています。

立川は、この宇宙エレベーターロボット競技小学校部門の中心地となってきました。

科学センターでは、独自のロボットプログラミングコースを開設しました。大勢の応募があり、うれしい悲鳴の状況です。

実践と成果 その3 
大イベント「夏休み科学のひろば」 200人から1000人へ 

人気抜群、膨れ上がる  立川の夏の名物行事へ

「夏休み科学のひろば」は、数日間かけて市内数か所で、たくさんの科学講座を開講する一大実験イベントです。主催はNPO法人立川教育振興会で、主宰は、立川・自然と科学の会(会長は小生)です。昨年で14年目です。私は初回から立川六中サイエンス部の生徒たちと出展参加し、現在は企画・運営・推進する立場で活動しています。

200人規模から始まって、年々増加し、昨年は、1000人の参加者数に飛躍し、市内の有名な行事に発展しています。
  要因は、退職・現職教員や理系ベテランの市民のレベルの高い企画と、若い方々の楽しい意欲的な企画にあります。また、若手の力ある方々にお願いし、魅力的なチラシを作成してもらったり、SNSを活用して宣伝してもらったり、インターネットを使用した申込みシステムを設定してもらったりしていることも、飛躍の要因となっています。

子どもたちの感想は、 「電子顕微鏡、化石探し、ラジオ工作など、ふつうはやれないことがやれてスゴイ!」。

「自由研究に役立つ」という声も、親子両方からたくさん聞きます。探求型の学習活動のお手伝いができて、やりがいを感じています。

 コロナ禍で、夏休み開催を断念した年もありました。「三密」対策をとって、冬休みに開催しました。私は、コロナ禍に負けずにがんばりたいというスタッフの熱意を大切にしました。

実践と成果 その4
 科学センターや「夏休み科学のひろば」の枠を超えもっと広げよう、     
「立川サイエンスひとネット」結成

 人気の科学センターですが、小学5,6年生限定の講座です。「科学のひろば」は、夏休み限定です。しかし、このような学びを、より広い年齢層に、より日常的に、より広い地域に広めようと思い、科学センター事務局員の青谷典子先生と私が中心となり、ネットワーク型の任意団体として立川サイエンスひとネットを5年前に立ち上げました。

「旗上げ」は、科学センターで大好評の齋藤匠平先生(当時、立川六中教員)による天文講座を開きました。
「たちかわ楽市」という商工会議所、農協、社会福祉協議会、自治会、市民団体など立川の団体が結集する大きなイベントに出展したり、地域団体から依頼された講座を引き受けたりしてきました。
 また、地元ラジオ局FM立川からの依頼で、科学コミュニケーション番組を担当し12回放送しました。

 民間団体の自由さを活かし、サイエンスカフェを開いたり、幼児対象の「かがくじっけんショー」「かがくあそび」や、桜美林大学山口創先生をお招きし大人対象の「スキンシップの科学」という皮膚感覚の凄さを知る講座を開くなど、野心的な内容の実践を進めました。「すごい企画力のこの団体に期待します。」「子どものふだんと違った面が見られてよかった。」「スキンシップや体を科学的に知って面白かった。」という感想が寄せられました。

 コロナ禍の時は、イベント自粛に対し、青谷典子先生の「オンラインでサイエンスカフェを開いて科学の学びを途絶えさせない。」という心意気に呼応して、力を合わせて奮闘しました。

実践と成果 その5 

学校では ありえない教室  ダ・ビンチ サイエンス立川教室設立

 前出の、立川サイエンスひとネット(代表 青谷典子)の最大の成果は、継続的な科学教室ダ・ビンチ サイエンス教室を設立したことです。小学3年から中学生で、学校理科に飽き足らない子どもたち、発達に偏りがあっても科学は大好きで熱中する「エジソンのような」子どもたちを対象に企画しています。ガリレオ工房や研究機関や科学コミュニケーション活動のベテランなどの力量ある講師をお招きしたり、子どもたちに楽しい科学実験を提供している東京大学サイエンス コミュニケーション サークル(CAST)を、常任講師団としてお招きしたりして運営しています。

 また、昭和記念公園や高尾森林科学館などに自然観察に出かけたり、「おさかなポスト」の山崎充哲さんのご指導で多摩川遊びの自然体験をしたり、葛西臨海水族館に見学に出かけたりしてきました。

 私は、長い経験と広がった人脈を活かしての講座づくりを楽しんでいます。
 保護者から、「学校は、苦手なのですが、ここへは行きたがります。」とか、
「ラジオ工作講座のあと、聞こえにくい放送局は、送信アンテナの場所を調べ、親子で探し、直下まで行って聴いた。大きく聴こえた。」・・・・・・・・

こういう声に、私は感動しました。

 コロナ禍でも、中止せず、「コロナ危機を乗り越えるためには、科学の力が必要だ!」という思いを込めて、オンラインで講座を進めました。

 実践と成果 その6 

幼児・低学年にも「かがくあそび」を 

ダ・ビンチ サイエンスかしの木教室開設

 私は、1989年に、低学年理科が廃止されて以来ずっと、低学年理科復活を主張し、2006年頃から、小さい子どもたちの科学遊び体験の活動をしてきました。

そして、市内のかしの木幼稚園のご厚意で、ダ・ビンチ サイエンスかしの木教室という継続的に通える幼児(年中年長)と低学年(1,2年生)の教室を青谷典子先生と一緒に開設しました。

大ベテランの退職教員中山和人先生を常任講師にお招きして、「理想の授業」が展開されています。小さい子どもなりに、自然に触れ、科学的な実験・工作に取り組み、生き生きと取り組みました。

私は、この実践を広めたい。これは、日本を変えると確信しています。

コロナ禍でも、中山先生は、オンライン授業を研究し実践しているので、親子でのオンライン講座を開催しました。

実践と成果 その7 

大人・高齢者も科学を楽しもう 前代未聞 「大人の理科実験室」開講  

大人が科学を学ぶことは子どもに良い影響をあたえるし、大人自身にとっても大切だと思ってきました。そして、高齢者も、多様な楽しみの一つとして、科学の実験を取り入れることを提唱してきました。
 すると、多摩信用金庫が運営するカルチャーセンターの多摩らいふ倶楽部から依頼がきて、「大人の理科実験室」を開設できることになりました。

80才のおばあちゃんが、一生懸命はんだ付けをして、ラジオを作って感動してくれる姿に、私のほうが感動しました。「科学マジック」講座では、子どものように喜び、「孫に見せる。」と喜んで帰っていったことにうれしくなりました。

コロナ禍で、多摩信用金庫のこの取り組みは閉講してしまいましたが、今年から、NPO法人立川教育振興会主催で、「大人の科学教室」として再建し、「銀鏡反応で鏡瓶づくり」を開催し、女性が多く参加して成功し、今後も継続することになりました。

実践と成果 その8

小さい車に材料・道具を詰め込んで、

いそいそと科学実験の「出前一丁」

私は、20年くらい前から、学校、児童館、学童保育所、幼稚園、学習館、放課後クラブ、ショッピングモール、企業のサービス部門などに呼ばれ、実験ショーや、科学遊び広場、ワークショップなどを開催しています。

ふだんは、企画・運営・管理という裏方の仕事が多いのですが、この形の活動は、自分が子どもたちと直接関われるので、とても楽しく、大切にしています。

現在は、放課後子ども教室や福祉施設を「巡業」したいと思っています。

小さい車に材料・道具を積んで

「出前一丁!」と。

実践と成果 その9

「立川に科学館を!」 予想以上の反響と賛同!

1961年に、昭島市の多摩川でクジラの化石が発見され、発掘されました。「アキシマクジラ」と命名され、昭島市内では、銘菓「くじら○○」や「くじら祭り」など名前にクジラが使われています。しかし、化石自体は、国立科学博物館の倉庫にあります。20年程前、昭島市立福島中学校に勤めていた頃、科学館を建てて、化石を展示したいと考えて動き始めたのが、私の科学館建設提案活動の始まりです。

2008年に、立川第六中学校に異動しました。立川には、立川基地跡の広い国有地などがあり、ひと昔前には、「科学館建設」が市長の公約にもなり、議会や行政サイドでも活発に議論や調査が行われたという経緯もあり、「立川に科学館を!」と、考え始めました。

しかし、夢のままでしたが、ある大きな企業の社長の、プラネタリウムや水族館を作りたという講演を聞き、これはチャンスと思い、同じ思いの方々の協力で運動団体「立川に科学館を!建設準備委員会」を設立して進めてきました。すると、予想以上の反響で、保護者、市民をはじめ、地元企業、国会議員、市議会議員などからも「いいね!」「協力したい。」の声がたくさん舞い込んできました。何より、子どもたちからの、「すぐに作って!」という声に私は使命感すら感じました。
 現在、市内の有力な教育団体であるNPO法人立川教育振興会の方針に取り入れられ、立川市議会本会議でも取り上げられ進展しています。

立川市教育委員会は、「館(やかた)は、すぐにできなくても、科学教育を重視する。」とはっきりと言明され、理科教育を推進しています。中学校にも科学センターを作る方向性も発表し、「夏休み中学生科学講座」を開設しました。

現在、市長も代わった局面で、「シンポジウム 科学で未来を拓く、立川に科学館を!」(仮称)の開催を思案しています。

 私は、大風呂敷と言われても、「夢は大きく持つ、そして、あきらめないこと」を、モットーにしています。それを実感しています。

まとめ ~今後に向けて~

科学技術立国日本は完全に後退してしまい打開策が見えません。  世の中には、ニセ科学が横行するようになってきました。      青少年の「理科離れ」は克服されていません。

これに対する打開策は、自画自賛のようで恐縮ですが、私たち立川の実践がヒントになると思います。立川市での、科学教育・科学コミュニケーション活動の飛躍の条件を客観的に見てみると、科学センターの存在があります。60年前、スプートニクショックから、政策として全国で始まった科学センター活動は、現在は全国的に壊滅的だと言われています。一定の予算を維持し、意欲ある指導者を配置し、魅力的な講座を企画して、希望者全員参加で運営することです。これを支える行政と教育委員会の姿勢と施策が大切です。
 また、社会教育や、NPO、民間団体、企業などの活動と連携し、協力し合って進めることです。
 そして、志のある人や、思い立った人は、一人でもあきらめず活動を継続し、発信することです。そうすれば、同じ考えの人々が現れ、仲間ができます。
 
 私は、コロナ危機の蔓延、温暖化による気候危機、核兵器に支配され戦争が途絶えないこの世界から、安全安心のできる平和で思いやりのあふれる社会をつくるという大きな目的意識を持ちながら、これからも、地道に地に足をつけて、子どもたち、地域の方々といっしょに、楽しい科学コミュニケーション活動を進めていきます。

立川から、日本の科学・技術を救う人々、コロナ危機を克服させる人々、SDGsを担い地球と世界を救う人々が育ち、羽ばたくことを応援する、それが私の人生のライフワークであり、生きがいです。そして、楽しみです。

さて、立川は、戦争中は、陸軍、戦後は米軍の軍事都市でした。農民の砂川闘争をはじめ、市民の運動で基地を撤去させ、広大なオアシスである昭和記念公園が開園し、駅回りは、多摩地域最大の商業都市に生まれ変わりました。  

そして、次は、文化都市です。

立飛ホールディングスによるグリーンスプリングスという新街区が、基地跡地に開発され、多摩地域最大の音楽ホール(立川ステージガーデン)や、美術館(たましん美術館)が建設されました。

 私たちの科学教育・科学コミュニケーション活動も、文化都市へという動向に合流し、市民とともに、「立川は科学の街」、科学館のある街にしたいと夢を描いています。
  
 文末にはなりますが、以上のことを、共に活動してきた仲間たちや、支援していただいた方々に感謝申し上げます。

そして、コロナ禍が過ぎて、楽しい実験に取り組んで瞳を輝かせる子どもたちに再会できるようになり喜んでいます。私は役目を終え退職しましたが、もっと大勢の、日本中の子どもたち、大人たちが科学を楽しみ、大切にし、正しく利用する姿を思い浮かべながら筆を下ろします。

以上

【上記は、2020年度の読売教育賞への応募原稿を、現在に合わせて、加筆修正したものです】

          岡村幸保

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