無線の楽しみ方講座
ラジオ中年、中学生と共にアマチュア無線
09.5.31 羽村市産業福祉センターにて
立川六中サイエンスクラブ顧問 岡村幸保
,1、私はどのように「ラジオ少年」になったか~生い立ち~
・ 幼少期・・・ 練馬区関町育ち。遊び場は原っぱと雑木林と池、路地も遊び場。家の中では遊ばなかった。夜は、5球スーパーのラジオを家族と一緒に聴いていた。
・ 小学校高学年・・・実験観察の付録付学年別月間雑誌「○年の科学」(学研)が最大の楽しみ。付録の天体望望遠鏡で月のクレーターを見たのが一番印象に残っている。
・ 小学5年、夏休みの自由研究でゲルマニウムラジオを製作。感動した。ここからラジオ少年の道へ。しかし、理科全般に興味。特に、岩石鉱物採集に熱中。
・ 中学時代・・・キットで作る楽しさを体験。自作の再生式短波ラジオを作りBCLにはまる。ベリカードを集める。雑誌に受信レポートを投稿。謝礼を部品代に。お金が無くて、ジャンクやもらい物でラジオ製作。「粗大ごみ置き場」のテレビやラジオは宝物。担任の先生から、たくさんの真空管などをもらう。5球スーパー自作感動。
中学3年のとき、アマチュア無線の免許取得。無線部を立ち上げる。新入生にゲルマニウムラジオ作り(現在につながる。)。
・ 高校時代・・・寝てもさめても開局へ。バイトで部品集め、オールバンド12球トリプルスーパー受信機を設計から完全自作。807送信機は失敗。TX-88Dを中古で買い、VFOは自作して開局。高校2年のとき、都立西高無線部JH1YNAを仲間で立ち上げる。外国との交信の感動。自宅はBCIのクレームでアクティビティ下がる。自作もプリント基板時代でやりにくくなり離れる。学校でも生徒会に熱中しアクティビティ下がる。生徒会顧問の尊敬する国語の間野先生に出会い教員志望になる。詩(特に石川啄木)に興味を持ったのも間野先生の影響。文系の魅力も感じ始める。
・ 大学時代・・・SSB全盛、自作困難。金もなくリグ買えず。ほかに興味が移りQRT。卒論は日本の科学教育史・科学教育教具史。このころに、現在の仕事の原型。