岡村幸保 人間讃歌 ビバ サイエンス オカピーLOG            

5月31日の講演のレジュメ原稿その2

2、私はどのように「ラジオ少年」を育てているか。~実践記録~

                80年、私立聖徳学園に就職。科学教育研究団体にかかわり、理科教育の奥深さを知り、研究と実践に没頭。

                84年、昭島市立昭和中で科学部顧問。無線も指導。まだ27MHzCBもやっていた。私も再開局、コールサイン復活措置に感激、再びJR1OEIに。29FMに凝る。50.240SSBモービルグループと出会う。教員も免許とる方多かった。教員も430で無線サークル活動、泊まりで遊ぶなど。

                90年、武蔵村山四中へ、科学部顧問無線も指導。

                93年、府中五中へ、無線部顧問、パソコン時代へまだまだ無線も活発。府中クラブにFOXハンティングなどでお世話になる。

                ‘97年、昭島市立福島中へ、無線部立ち上げ。携帯電話、インターネット、「理科離れ」の時代へ。部活も停滞と復興の繰り返し。CQ誌からも無線離れ対策の原稿依頼。

                飛躍へ・・・地域の方々の支援(50.240、東京スカイウェーブ、アサップシステム、フレンズ、昭島アマチュア無線同好会ほか個人の方多数も)。特に、昭島市制50周年記念局の活動に誘われ、協力、朝日新聞に報道され勢いがつく。コンテストで15才以下部門のドナー賞全国1位を2回取る。府中クラブや電通大のフォックスハンティングも生徒は楽しみに。保護者や昭島アマチュア無線同好会の協力で、夏合宿3年連続実現。(御岳山無線アンテナ付貸別荘、昭島借り上げ別荘2回) JARLの青少年育成活動も始まる。JARLのホームページに「集まれヤングハム」サイト開設され活用。CQ誌からも取材され掲載される。

              理科離れ克服の活動と連携して・・・・そのころNPO法人ガリレオ工房、NPO法人理科カリキュラムを考える会を中心とした「理科離れ克服」の活動に没頭。実践として「福島中で科学を楽しむ会」を企画、第1回は、東京スカイウェーブが作ったキットを、昭島アマチュア無線同好会の方々の指導者としての応援を得て、ラジオ作りをやり、マイテレビで放映される(ここから、マイテレビとつながる)。その後、万華鏡作りの会、ガリレオ工房のサイエンスショー(市立中神会館150人)、昭島市児童センターの夏企画「科学遊び」(150人規模その後3年連続)などにつながる。その中で、アマチュア無線も公開。JARL東京支部も夏休みにうん万人規模で開催される科学技術館での「青少年のための科学の祭典」にブースをだすようになる。各地で、ラジオ製作会などが活発になる。アマチュア無線家が「理科離れ克服」の活動に貢献し始める。

                ‘07年、立川六中へ。「サイエンスクラブ」立ち上げ。顕微鏡観察、パソコン、電子工作、BCL、科学ボランティア活動などに取り組む。地域のJF1BKB柴田OMの多大な支援でアマチュア無線局も開設。11人の生徒が免許を取得。読売、東京、アサヒタウンズ各誌に掲載される。09年、オールJAコンテスト15才以下ドナー賞全国1位。また、NPO法人「ラジオ少年」のキットを利用し安価でラジオ作りを普及。授業にも取り入れる。ムック誌「電子工作マガジン」創刊号に記事。「科学を楽しむ会」など科学ボランティア活動も前任校に引き続き取り組む。‘市立小学校科学教育センターとも連携するようになる。社会教育団体設立準備中。立川科学館設立目指す活動も少しずつ・・・・。

・ 昨年3日間の職場体験でフレンズさんに生徒(立川君)お世話になる。ありがとうございました。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「アマチュア無線JR1OEI、永遠のラジオ少年」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事