3月13日(土曜日)
明日はクラス会で山中温泉に行くので、ボチボチ寝ようかと思っているところに、三男が部屋へ入ってきた。セリフは毎度の、「お父さんラーメンを食べに行こう」。
時計を見ると12時半になっている。善は急げと近くのラーメン屋へ。
帰宅すると1時半を過ぎていた。明日は運転手をせねばならないので急いで寝たが、今度は長男が山梨から帰省し、起こされたしまった。時計を見ると3時半。やっと寝ついたというのに・・・。
朝刊を読み、アルコールを飲み一眠りをすると7時だ。睡眠時間は3時間半くらいなものか。8時45分に家を出発し、京都駅へ向かった。道路が空いていて、思っていたより早く9時半に着いた。駅前の駐車場へ車を置き、待ち合わせの高速バス乗り場で友が来るのを待った。予定では10時25分には落ち合えるはず。
10時20分に倉敷のB君が現れた。臨時が出たので10分早く着いたようだ。神戸のS君が来れば出発するのだが、待てど暮らせどやってこない。
10時40分に愛妻から電話があり、「Sさんから電話があり、会えないと電話があったよ」。急用でも出来て、来れなくなったのだろうか。携帯電話にかけるも、留守電サービスだ。
3度かけるも同じなので、再度愛妻に電話をした。要領を得ないが、S君は京都には到着しているようだ。B君に、「あなたはここで待っていて、俺は駅に行って探してくる」と告げて駅へ。
南口の端から端までウロウロ探したが見つからない。今度は北口へ回り探した。くそっ見つからない。一体何所にいるのだ。いらいらしている所にS君から電話が入った。「どこにいるの?」「八条口にいる」「道路の向こうに京阪ホテルがあり、その前が高速バス乗り場で、そこにB君がいるからそこへ行って!」。
高速バス乗り場へ行くと二人が談笑していた。話を聞けば、私がここに集合してくれと書いた紙を忘れ、しかも私の携帯番号を登録していない。そして留守電になっていることも気づかず。
B君は「やつらしいなあ」と言うが、まったく人騒がせな男だ。結局、出発予定時間よりも30分遅くなった。
京都南ICから一路石川へ。彦根ー米原間が事故で渋滞4キロの表示が出ている。彦根を過ぎるとノロノロ運転になった。米原から北陸道に入ると、結構車が走っている。道路脇や山には雪があちこち積もっている。心配していた雪も問題なさそうで一安心だ。腹が空いたので、銭ケ岳SAで食べることにした。サービスエリアは沢山の人で、ごった返していた。これだけの人が入れば、さぞかし儲かっていることだろう。土、日の高速道路1,000円が大いに寄与している。三人とも麺類を食べ、用を足し、山中温泉へ。
迷うことなく、2時半に 「山中温泉河鹿荘ロイヤルホテル」 に無事到着した。
我々が一番乗りで、幹事もまだ見えていない。3時がチェックインだが、入室してもよいとのことなので割り当ての部屋へ。部屋は3室あった。しばらくすると電車組みが到着した。
加賀駅から送迎バスで3人来たのだが、乗る予定のK君が来なかったようだ。一つの部屋に集まり、酒盛りを始めた。
次から次に皆さんが到着し、集まってきた。卒業以来始めて顔を出したF君は、「あんたは誰だったかいな」と思い出せない者が数人いた。名前を聞けば思い出す。
「エレベーターのそばで案内をしていたお嬢さんは、青谷出身だって」「何で分かっただいや」「倉吉東高校一同様の看板を見て、声をかけてごしなったで」「俺も声をかけてもらったで」。我々一番乗りには声がかからなかった。青谷(あおや)は、私の故郷の隣の町だ。明日を楽しみにしておこう。
宴会は6時からなので、酔っ払わないうちに風呂へ入り汗を流した。ホテルは9階建てで、裏が崖のような所に建っていた。フロント、ロビーが5階、風呂は2階で裏には川が流れ、その向こうは山で、景色としては申し分ない。紅葉の季節であれば、さぞかし美しいことだろう。
浴衣に着替えて宴会場へ。今回の参加者は17人の予定であったが、母親が危篤になり来れなくなった者がおり16人になった。6時になったが一人がまだ到着していない。幹事から、「K君から電話があり、仕事で遅くなってしまいこちらに向かっているが、今、名古屋を走っているので到着が遅れるので始めます」。
突発で何が起きるか分からないので、気が休まらない。幹事は大変だ。
宴会の前に昨年亡くなったM君と、2年半前に亡くなったM君のご冥福を祈り、しばし黙祷をした。
I君の乾杯の音頭で宴会が始まった。
今夜の料理は、 「カニ、蟹、かに」 と”蟹づくし”だった。
痛風の再発のおそれが有る者は、蟹は控えた方が良いが、一晩くらいは許してもらおう。
各人が近況報告をしたが、65歳の半ばを過ぎれば、ほどんどが何がしの病気をかかえている。また親の介護や妻の介護をやっている者もいる。参加できなかった方の近況は幹事が紹介してくれたが、前回元気で参加していた者も倒れ不参加。いつわが身に起こるやも知れない。元気な間に楽しまねば。7時半にK君が遅れて到着した。
8時を過ぎるのではと思っていたが、早く着いたものだ。話を聞けば甲府で仕事をし、ぶっ飛ばして来たそうだ。大阪ー甲府ー石川と一人で運転し、さぞかし疲れたことだろう。時間が経つにつれ、車座の輪があちこちにできる。
元応援団長のY君が前に出て応援歌をリードしてくれるが、40数年経てば完璧には歌えない。
紙を見ながら全員で歌った。この時ばかりは、高校生になった気分だ。3時間の宴会はあっという間だった。腹がよじれるくらい笑った。少しは長生きできそうだ。
次回は2年後に、今度は関東方面で、開催しようと多数決で決まった。幹事はY君だ。今まで彼は2回倒れているので、節制をして元気でいてや。
二次会はカラオケルームに11人集まり楽しんだ。
焼酎の水割りがとても美味しい。
一人2~3曲を歌えば12時を回っていた。
部屋に帰り三次会が始まった。5人部屋で、5人が布団の上に車座になり話がはずんだが、私は睡眠不足でひと足先にバタンキューとなった。