テレビドラマ「御上先生」が終わった。日曜日の夜9時からTBS系列で放送されたこのドラマはとても面白く、私は毎週欠かさずこれを見ていた。
私が通うデイサでもおおむね好評で、何人かのスタッフがこれを見ていた。
このテレビドラマは私にとっては、デイサ・スタッフとのコミュニケーション・ツールとしても大いに役立ったのである。
このドラマが最終回をむかえた今、この回を中心に、総括の意味で若干の感想を述べたいと思う。「感想を」と思ったのは、このエンディングに私はちょっぴり不満があり、これを吐露したいと思ったからである。
このドラマのコンセプトは、全体として大きく二つある。
一つは、主人公の御上先生(松坂桃李)の教えによって、大学受験をひかえた高校3年の生徒たちが「自分の頭で考える」ことを学び、成長していく姿を描くことである。
最終回もご多分にもれず、自分が(政治家の父親の口利きで)進学校・隣徳学院に不正入学したことを知り、思い悩んでいた女子学生・千木良(高石あかり)が、(社会正義の権化さながら)この不正を暴こうとする、新聞記者志望のクラスメート・神埼(奥平大兼)の追及を受け、窮地に立たされながら、この窮状をどう打開するかがこの回の第一のメインテーマだった。
このドラマのもう一つのコンセプトは、教育現場の不正を暴き、我が国の教育制度を根本から是正しようとする御上先生の奮闘を描くことである。文科省の官僚だった御上が隣徳学院に教師として赴任したのも、こうした社会変革の動機からにほかならなかった。
第一のコンセプトに関していえば、女子生徒の千木良が自ら見出した解決は素晴らしいものだった。彼女は隣徳学院を中退したあとで高卒認定試験を受け、自分の力で大学に入るのだと決意を述べる。
私が通うデイサでもおおむね好評で、何人かのスタッフがこれを見ていた。
このテレビドラマは私にとっては、デイサ・スタッフとのコミュニケーション・ツールとしても大いに役立ったのである。
このドラマが最終回をむかえた今、この回を中心に、総括の意味で若干の感想を述べたいと思う。「感想を」と思ったのは、このエンディングに私はちょっぴり不満があり、これを吐露したいと思ったからである。
このドラマのコンセプトは、全体として大きく二つある。
一つは、主人公の御上先生(松坂桃李)の教えによって、大学受験をひかえた高校3年の生徒たちが「自分の頭で考える」ことを学び、成長していく姿を描くことである。
最終回もご多分にもれず、自分が(政治家の父親の口利きで)進学校・隣徳学院に不正入学したことを知り、思い悩んでいた女子学生・千木良(高石あかり)が、(社会正義の権化さながら)この不正を暴こうとする、新聞記者志望のクラスメート・神埼(奥平大兼)の追及を受け、窮地に立たされながら、この窮状をどう打開するかがこの回の第一のメインテーマだった。
このドラマのもう一つのコンセプトは、教育現場の不正を暴き、我が国の教育制度を根本から是正しようとする御上先生の奮闘を描くことである。文科省の官僚だった御上が隣徳学院に教師として赴任したのも、こうした社会変革の動機からにほかならなかった。
第一のコンセプトに関していえば、女子生徒の千木良が自ら見出した解決は素晴らしいものだった。彼女は隣徳学院を中退したあとで高卒認定試験を受け、自分の力で大学に入るのだと決意を述べる。
もう一つのコンセプトである「教育現場の不正を暴く」という点に関しても、最終回で、御上のこの目的がみごとに達成されたことが描かれた。
御上の文科省の同僚・槙野との連携により、永田町(政治家)の望み(家族の不正入学)を霞ヶ関(文科省の官僚)が隣徳学院(理事長の古代)に取り次ぎ、その見返りとして隣徳学院側が莫大な補助金を手に入れる、という政・官・学の癒着の構図がみごとに暴かれたのである。
それはそれでとても良くできたドラマだった。だから、私が不満をいだくのはこの点ではない。私はこのドラマを秀作だと認めるのにやぶさかでないが、その上で、「この点をこうしたら、もっと良かったのになあ・・・」と残念に思うのである。
私が不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。
(つづく)