ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

待てば海路の(その2)

2025-02-21 09:04:16 | 日記
(承前)

私が目をつけたのは、朝日新聞の第1面、第2面にでかでかと載った記事

介護度応じ、高齢者に『値付け』 施設から高額紹介料得る業者、横行
(朝日新聞2月17日)

である。

この記事は、高齢者が入る老人ホームなどの「高齢者施設」にまつわる闇の事情を暴こうとしたものである。

老人ホームなどの高齢者施設といえば、この私もいずれは(おそらく4〜5年後か)お世話になるかもしれず、決して他人事ではない。
その施設に関して何か問題がある、つまり闇の事情があるというのなら、それはぜひ知りたいものだ。私はそう思ったのである。

記事の内容に移ろう。

要介護度が高く、施設が多く報酬を得られる入所者ほど、紹介料を高額にするビジネスが横行している

と記事は書くが、こうした「ビジネス」の背景にあるのは、

要介護度が高い入所者ほど、施設側が多く報酬を得られる

といった、現行の社会福祉制度である。

こうした制度が現にあるため、施設側は、要介護度の高い入所者を手に入れたがり、そういう入所者を紹介してくれる業者に、高額の「紹介手数料」を支払うことになる。

むろん厚労省もこうした問題の所在をきちんと把握はしている。

厚生労働省は、要介護度にひもづいた料金設定は不適切として、紹介料に関し施設を指導するよう求める通知を昨年12月、自治体に出した

という。しかし「紹介業者は指導対象ではない」ため、紹介業者が暴利にありつく問題のケースはちっとも後を絶たないのである。

老人ホーム側と紹介業者が結んだ複数の契約書を入手した朝日新聞は、次のように書いている。

要介護度1の入所者の紹介料は30万円で、同5は50万円。さらに1日3回の訪問看護を受ける場合、要介護度1が70万円、同5が100万円」となっており、「症状ごとに高齢者に『値段』が付けられている形だ。

問題は何か。それは「紹介料の高さが優先され、入所者が希望の施設に入れない事態」が起きることだと記事はいう。だが、ホントにそうだろうか。それがホントの問題なのだろうか。

(つづく)


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待てば海路の(その1)

2025-02-19 09:21:49 | 日記
ちっとも変わらない。3ヶ月前、私がブログに次のように書いたことを、読者は憶えておいでだろうか。

「何かに追い立てられるように、毎日、ブログのネタ探しに心を奪われ、汲々と日々を過ごす。そんなあくせくした生き方はすっぱりと放り出し、年寄りなら年寄らしく、時間を残らず自分のために用いるような、老年にふさわしい悠々自適の生き方をせよ。ーーそうセネカは言っていた。
その通りだ。残り少ないこの人生。何がおもしろくてそんな社畜営業マンのような窮屈な生き方をしなければならないのか。セネカの言葉にぐさりと胸を刺された私は、とりあえずブログ書きを止めることにしよう、と考えた。」
(24/10/19《変更のお知らせ》)

そのような思いから、私はこのブログを「更新は週に1度」と変更し、さらに「更新は2日おき(隔日)」へと改めたのだった。

だが、「毎日更新」を「2日おきに更新」へ変えたからといって、ネタが泉のように溢れ出るわけではない。ネタが降りてこないことも多々あり、そんなとき、ネタ探しに汲々とすることに変わりはない。


さて、目下の懸案である。「2日おきに更新」へと変えたからには、あさってまでには新たにネタを探し、文章を一つ、でっち上げなければならない。

おとといの朝まで、私は焦っていた。2日後までに次の新しいネタを思いつきそうになかったからである。「ええい、ジタバタするのは止そう」と、私は半ば開き直った。「2日もあれば、何かのネタは思いつくだろう。待てば海路の日和あり、というではないか」

その通りだった。たしかに待ってみるものである。「海路の日和」が訪れたのは、まさにその日の朝のことだった。いつものようにスマホで「朝日新聞紙面ビューアー」を開いた私は、第1面のトップにこんな見出しがでかでかと打たれているのを目にしたのである。

介護度応じ、高齢者に『値付け』 施設から高額紹介料得る業者、横行
(朝日新聞2月17日)


「介護度」といい「高齢者」といい、この記事は私にうってつけだった。私がこの記事に目をつけなかったはずはない。備忘録の意味もある。この記事を今度のネタにしよう、と私は考えた。

(つづく)

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トランプと石破 ディール(取り引き)のゆくえ(その2)

2025-02-17 09:29:22 | 日記
(承前)
暴走老人・トランプ大統領との会談を終え、我が石破首相はホッと胸をなでおろしたに違いない。この「関税マン」は(会談の間は)切り札の「関税」カードを切らなかったからである。

ところが安心したのも束の間、したたかなこの「関税マン」は、会談の2日後になって「関税砲」を放ってきた。
「すべての国を対象に米国への鉄鋼・アルミニウム輸入品に25%の関税を課す」というのである。

「ええ?!何だって?!話が違うじゃないか!」

この砲の報を受けて、石破首相は地団駄踏んだものの、後の祭りである。

後日、石破首相は国会答弁の席で

この措置の内容や、わが国への影響を十分に精査しつつ、措置の対象からの除外を働きかけるなど、必要な対応を行っていく

と釈明しているが、トランプ大統領は、この「関税25%」の措置に「例外は認めない」と断言している。

多少とも気概があれば、我が石破首相もカナダやEU諸国の首脳のように「報復関税をかけて対抗する」と息巻いただろう。
だがアメリカに対しては、この人は歴代の日本政府の悪弊を引き継ぎ、キン●マを抜かれたように無抵抗の金縛り状態、不甲斐ないことはなはだしい。

今にして思えば、日米首脳会談にのぞむ石破首相の「終始一貫ゴマすり・お追従(ついしょう)」の姿勢がそもそも間違いだったと判る。しかし小国ニッポンの首相が大国アメ様の前で「ヘビに睨まれたカエル」になってしまうのは、わからないでもない。

「ノーと言える日本」からは程遠い、(敗戦後の)我が腰抜け日本である。

それにつけても思い出されるのは、先の自民党総裁選の立候補者の一人・茂木敏充氏である。
茂木氏はトランプ第1次政権のときに日本政府の経済再生担当相として日米貿易交渉に携わり、トランプ大統領から「タフ・ネゴシエイター」と呼ばれたという。
ゴマすりやお追従の姿勢をとらず、貿易問題に真っ向から立ち向かう氏の姿勢が、トランプ大統領にそう呼ばせたに違いない。

(腑抜けの石破氏ではなく)この男が自民党総裁選に勝ち残り、自民党総裁=日本国首相として采配を振っていたら・・・と今にして痛感するが、これもまあ後の祭り。今さら恨みつらみを並べ立てても、虚しいばかりである。嗚呼。

と書いた矢先、今度はこんなニュースが飛び込んできた。

アメリカのトランプ大統領は14日、記者団に対し、アメリカに輸入される自動車に4月2日ごろから関税を課すことを検討していると表明しました。
対象となる国や関税率などは明らかにしていませんが、すべての国が対象になれば、アメリカに自動車を多く輸出する日本も打撃を受ける可能性があります。

(NHK NEWS WEB 2月15日配信)

トランプが放ったこの第2弾の「関税砲」をかわすには、日本車の対米輸出をめぐって、またしてもねばり強く日米貿易交渉をくり返す必要があるのだろう。
こんなときにこそ、茂木くん、出番ですぜ。

石破首相よ、そうは思わないだろうか。

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トランプと石破 ディール(取り引き)のゆくえ

2025-02-15 09:23:51 | 日記
アメリカ株式会社のCEO・トランプ氏、もといトランプ米大統領は、ディール(取り引き)にかけてはやはり我が石破首相より数段上手(うわて)だったようだ。
「関税マン( tariff man )」を自認するこの暴走老人は、切り札の関税カードを(後出しジャンケンの形で)最後に切ってきた。

どういうことか。

先日のブログでも書いたように、「対日貿易赤字を解消するため、トランプは今後、日本製品に高率の関税をかけるのではないか」と懸念した石破政権は、「米国産のLNGを大量に輸入すれば、アメリカの対日貿易赤字はほぼ解消する。トランプ大統領は日本を『関税』のターゲットから除外してくれるはずだ」と考え、先の日米首脳会談で「米国産LNGの大量輸入」のカードを切ったのだった。

その首脳会談の席で、トランプ大統領は関税については何も触れなかった。石破首相は「関税問題はこれで無事、クリアできたぞ」と、ホッと胸をなでおろしたに違いない。

ところがである。

その2日後の2月10日、トランプ大統領は「すべての国を対象に米国への鉄鋼・アルミニウム輸入品に25%の関税を課す」と発表したのである。

「ええ?!何だって?!話が違うじゃないか!」

この報を受けて、石破首相は地団駄踏んだに違いないが、後の祭りである。

(つづく)

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八潮の道路陥没事故に思う「一寸先は闇」

2025-02-13 09:04:26 | 日記
ずっと気になっていることがある。埼玉県八潮市の道路陥没事故である。すっぽりと開いた穴の、その闇の空間へと転落したトラック運転手は、74歳の爺さんだという。
この事故が起こったのは、先月の28日。それからきょうで2週間以上がたつ。この爺さんは果たして生きているのか。彼の安否が、私はとても気になるのである。水があふれる暗くて寒い空間である。屈強な若者でも、生存は難しいだろう。

この爺さん、今のところ安否は不明ということだが、今書いたように、もう亡くなっているに違いない。それでも「もしや・・・」と一縷の望みをかけてしまうのは、この爺さんが私と同い年だからである。私は、もし自分が同様の境遇に陥ったら、と考えると、ぞくっと身震いを禁じ得ない。
74歳といえば、ふつうならリタイアして、(悠々自適、とはいかないまでも)そこそこの年金暮らしをしている歳だろう。

金銭的な事情からか、働かざるを得ない、ーーそれもトラックの運転手という(年齢からすれば)過酷な労働環境に身をおかざるを得ないのは、それだけでも同情に値する。ああ、それなのに、こんな事故に遭うなんて・・・。

私とこの爺さんとは、比べるのもおこがましいが、もし共通点があるとすれば、「一寸先は闇」という条件を背負っていたことである。私の場合、脳出血に見舞われ、身体の自由を奪われるまで、自分がそんなことになるとはついぞ思ってもみなかった。この老人にしても、自分が道路の陥没空間に転落するなどとは思ってもみなかっただろう。

この「一寸先の闇」は、この老人だけでなく、だれもが見舞われる可能性でもある。日本の市街地の地下には至るところ下水管が張りめぐらされているが、30〜40年たって老朽化すれば、必ずといっていいほど破損して、道路陥没の原因になるという。科学的に考えれば、市街地における道路の陥没は〈不可避〉の可能性なのだ。誰がその犠牲者になるか。そこに人知の及ばない偶然の余地が残されるだけである。

私はこのところデイサのスキマ時間に『最後の親鸞』(吉本隆明著、ちくま学芸文庫)を読み進めている。そのためか何かにつけ〈他力〉について考えることが多い。
八潮の道路陥没事故と、仏教でいう〈他力〉ーー。人知の及ばない偶然の契機には〈他力〉がはたらいているのではないか。
一見すると関係がなさそうにみえるこの二つだが、あながちそうともいえないと思う。
そんな感慨にとらわれたりする昨今である。

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