ゆぅすけです。
次回に続いて今回も"権利の乱用"をテーマにお話してみたいと思います。
まず、多くの方々は「権利の濫用」と理解しておられるとは思いますが、今回は敢えて"乱用"という文言を使わせていただいております。この"権利の濫用"と"権利の乱用"の使い分けの意味をまずは説明させていただきます。(筆者なりで誠に恐縮ですが・・・。)
・権利の濫用とは、法のもとの権利を悪用し、個人や法人が不当な利益を得ようとする行い。
民法第1条第3条(基本原則)の条文
第1条(基本原則)
1 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
・権利の乱用とは、前回のブログ権利の乱用(1)でも述べさせていただきましたように、国や自治体などが具体的な内容の権利(子どもの権利や女性の権利など)をわざわざ定め、法令や条例といったものを制定していくことであります。
乱・濫ともに同義語であります。音読みではどちらも"みだら"と読むそうですからね。ですが、敢えて使いわけさせて頂いた理由には、権利をわざわざに具体的な内容に定めるものたちに対して、国民はまったくの無防備ではないのかという想いを抱いてのことではありますが、何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
さて、台風11号が日本列島から去っていきましたが、この台風にちなんでひとつ例を上げさせていただきたいと思います。
権利を洪水に例えますと、洪水というのはまず堤防を乗り越え水が溢れ出します。次に溢れた水は集落や田畑を襲います。洪水から集落や田畑を守るためには、しっかりとした堤防を築く必要があるのですが、堤防がなければ集落や田畑は無防備のまま洪水の餌食となってしまいます。
古来より日本人は大切な人たちのため、そして生命の源であります田畑を洪水から守るためにと、危機意識をきちんと抱き、そして永きに渡り堤防を築いてこられました。
こうしたことを鑑みた時、集落内に暮らす子供や女性に対し差別意識を抱いている日本人がいると思いますか?自国の国旗を焼かれたからといって、相手の国旗を焼く日本人がいると思いますか?そんな疑問すら湧き出すのです。
たしかに、戦後の高度成長期の中で、男性は屋外で女性は屋内でというような風潮が確立してしまいましたが、それは焼け野原となった国土を大復興させるためにみんなが必死だったわけでありますから、それを男尊女卑だとか女性軽視だとか、尚且つそれがさも日本の伝統や風習であったとか、声高々に叫ぶことではもないと思うのであります。
これ以上いうと、フェミニズムやウーマン・リブといった方向へと話が逸れてしまいそうになるのではありますが、それはまた次回改めてお話させていただきたいと思いますが、権利の乱用は、権利の濫用へと向かい、新たな階級闘争が生まれ、やがては格差や差別のないところに新たな格差や差別が生じ、さらには日本人同士がいがみ合わなければならない世になるかもしれないのです。
戦後70年が経ち、これまでわが国は権利ばかりを助長するものに対して危機感を募らせてまいりましたが、戦後生まれの日本人がこの国の中枢を担うようになってからは、まさに権利のオンパレードであります。
『この先日本はどうなっていくんだろう?』
『これからの子供たちは大変だろうな・・・。』
戦後日本の復興を支えてこられたご高齢の方々のお声であります。
謹んで深く考えていきたいと思いますが、今回はこのあたりで・・・。
次回に続いて今回も"権利の乱用"をテーマにお話してみたいと思います。
まず、多くの方々は「権利の濫用」と理解しておられるとは思いますが、今回は敢えて"乱用"という文言を使わせていただいております。この"権利の濫用"と"権利の乱用"の使い分けの意味をまずは説明させていただきます。(筆者なりで誠に恐縮ですが・・・。)
・権利の濫用とは、法のもとの権利を悪用し、個人や法人が不当な利益を得ようとする行い。
民法第1条第3条(基本原則)の条文
第1条(基本原則)
1 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
・権利の乱用とは、前回のブログ権利の乱用(1)でも述べさせていただきましたように、国や自治体などが具体的な内容の権利(子どもの権利や女性の権利など)をわざわざ定め、法令や条例といったものを制定していくことであります。
乱・濫ともに同義語であります。音読みではどちらも"みだら"と読むそうですからね。ですが、敢えて使いわけさせて頂いた理由には、権利をわざわざに具体的な内容に定めるものたちに対して、国民はまったくの無防備ではないのかという想いを抱いてのことではありますが、何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
さて、台風11号が日本列島から去っていきましたが、この台風にちなんでひとつ例を上げさせていただきたいと思います。
権利を洪水に例えますと、洪水というのはまず堤防を乗り越え水が溢れ出します。次に溢れた水は集落や田畑を襲います。洪水から集落や田畑を守るためには、しっかりとした堤防を築く必要があるのですが、堤防がなければ集落や田畑は無防備のまま洪水の餌食となってしまいます。
古来より日本人は大切な人たちのため、そして生命の源であります田畑を洪水から守るためにと、危機意識をきちんと抱き、そして永きに渡り堤防を築いてこられました。
こうしたことを鑑みた時、集落内に暮らす子供や女性に対し差別意識を抱いている日本人がいると思いますか?自国の国旗を焼かれたからといって、相手の国旗を焼く日本人がいると思いますか?そんな疑問すら湧き出すのです。
たしかに、戦後の高度成長期の中で、男性は屋外で女性は屋内でというような風潮が確立してしまいましたが、それは焼け野原となった国土を大復興させるためにみんなが必死だったわけでありますから、それを男尊女卑だとか女性軽視だとか、尚且つそれがさも日本の伝統や風習であったとか、声高々に叫ぶことではもないと思うのであります。
これ以上いうと、フェミニズムやウーマン・リブといった方向へと話が逸れてしまいそうになるのではありますが、それはまた次回改めてお話させていただきたいと思いますが、権利の乱用は、権利の濫用へと向かい、新たな階級闘争が生まれ、やがては格差や差別のないところに新たな格差や差別が生じ、さらには日本人同士がいがみ合わなければならない世になるかもしれないのです。
戦後70年が経ち、これまでわが国は権利ばかりを助長するものに対して危機感を募らせてまいりましたが、戦後生まれの日本人がこの国の中枢を担うようになってからは、まさに権利のオンパレードであります。
『この先日本はどうなっていくんだろう?』
『これからの子供たちは大変だろうな・・・。』
戦後日本の復興を支えてこられたご高齢の方々のお声であります。
謹んで深く考えていきたいと思いますが、今回はこのあたりで・・・。