子(し)の疾(やまい) 病(おもき)なり
「子、疾(や)みて病(あつ)し。子路 門人をして臣為(た)らしむ。病きこと間(かん)のときに曰(のたま)わく、久しいかな、由(ゆう)の詐(いつわ)りを行なうこと。臣無くして臣有りと為(な)す。吾 誰をか欺(あざむ)かん。天を欺かんや。且つ予(よ) 其れ臣の手に死なん与(よ)りは、寧(むし)ろ二三(にさん)子(し)の手に死すること無からんや。且つ予 縦(たと)い大葬(たいそう)を得ざるも、予 道路に死なんや、と。」
■その意味は?
『孔子(先生)の病が篤(あつ)くなられたときのことである。子路が〔孔子がかつて魯国の執政として大夫となったことを踏み〕門人たちに〔孔子に対して〕臣下の礼を執って仕えさせた。すると孔子(先生)は、病状が少し良いときにこうおっしゃった。「もう長いぞ、由〔子路〕の嘘は。〔今は大夫でないので〕私には家臣がないのに、家臣があると見せかけてている。私は誰を欺けよう。〔だれも欺けない〕欺くとすれば、天か。〔そのようなことはできない〕だいたいが、私は、偽りの臣よりも、むしろお前たち門人に看取られて死にたいのだ。そもそもが、私がたとい〔君臣の礼による大夫としての〕大葬をもって送られないとしても、〔お前たち門人がいるので〕私がよもや道路に棄てられて死ぬことはあるまいが、」と。』
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
後世のために尽力されながらも、生命尽きた人々に対して、その御遺体を道端などに捨てるでなく、篤く丁重に弔うことが大切であるということであろうか。
日本には、仁徳天皇陵はじめ、巨大はお墓が数多く存在する。明治維新後に建立された靖国神社も、この国のため、世界平和実現のために、英霊となられた方々を大切に祀るという考え方がまさにその象徴といえよう。仁や徳に尽くされた多くの祖先を、まずは大切に敬ってまいりたい。
仁徳天皇と茨田北のはなし / 大阪市立茨田北中学校校長 寺井壽男