成人を問う
「子路 成人を問う。子 曰(のたま)わく、臧武仲(ぞうぶちゅう)の知・公綽(こうしゃく)の不欲・卞荘子(べんそうし)の勇・冉求(ぜんきゅう)の芸の若(ごと)き、之を文(かざ)るに礼楽を以てせば、亦(また)以て成人と為すべし。曰(のたま)わく、今の成人は何ぞ必ずしも然らん。利を見て義を思い、危うきを見て命を授け、久要(きゅうよう) 平生(へいぜい)の言を忘れざれば、亦以て成人と為す可し。」
■その意味は?
子路が成人〔人格の完成者〕とはどのようなものかと問い、孔子(先生)が答えられた。
『たとえばわが国の臧武仲の智謀、孟公綽の無欲、卞荘子の勇猛、冉求の才芸、そのどれかがあったうえで、さらに〔その行きすぎには〕礼で整合し、〔その偏りには〕楽で和合するようにするならば、成人〔人格の完成者〕と言える。』
続けてさらに答えられた。
『しかし、今日(こんにち)の成人〔人格の完成者〕は、そこまで及ばなくてもかまわない。利益を前ににしても道義を優先させ、危機のときには生命を捧げ、若いころにした古い約束について、その後になっても忘れない。そのようであれば、同じく成人〔人格の完成者〕ということができる。』
■感想
成人にも満たない16や19歳などという少年たちが、その身を賭して家族のため、この国のために儚く散っていったことを、日本人ならば決して忘れてはならない。
40も過ぎたにもかかわらず、未だ「成人」と成りきれていない己を恥じるばかりである・・・。
♪英霊来世-AreiRaise- 九段