論語を現代語訳してみました。
泰伯 第八
《原文》
子曰。如有周公之才之美。使驕且吝。其餘不足觀也已。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、如〔たと〕い周公〔しゅうこう〕の才〔さい〕の美〔び〕 有〔あ〕るとも、使〔も〕し驕〔たかぶ〕り且〔か〕つ吝〔おし〕めば、其〔そ〕の余〔よ〕は観〔み〕るに足〔た〕らざるのみ。
《現代語訳》
孔先生はまた、次のようにも仰られました。
たとえ、周公ほどのすぐれた智才がそなわっていたとしても、その人柄が驕り高ぶるようであってり、また吝嗇〔りんしょく〕のようであったりすれば、そのような人物を私は、師弟〔してい〕として認めることはない、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
『吝嗇』とは、極度に出し惜しみをすることで、一般には「ケチ」としており、驕り高ぶることの対照として孔子は、述べたものだと思われます。
そして、最後の『師弟として…』の下りについては、孔子は弟子をかかえていながらも、その弟子たちの日ごろの行ないなどを観ては、自分の "師" であるとも考えていたことから、あえて弟子・師を限定せずに、師弟として訳してみました。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考