和貴の『 以 和 為 貴 』

改めて自分の生い立ち(過去)を考え、そして…


「十有五にして学を志す」に、ちなんで、自分の人生を改めてふり返ってみたのですが、こうやって改めてふり返ることができるというのは、これまでさまざまに、当ブログにおいて自分の考えや想いなどをつづってこれたからなんでしょうね。

以前はひとつの記事を纏めるのに幾日も考えつづけ、ようやくといって綴っていたものですが、いまとなっては、そのような根気もなくなってしまいましたね。というよりも、自分の想いなどは、ほぼ出し尽くした感じなのかもしれません(笑)。



同和教育(ド左翼) ☜十代 

   ⇓ 一般人(日本人)は差別するもんだと(実際、差別されたけど) 



自由を弄ぶ ☜二十代

    ⇓ よく働き、よく遊ぶ


真正保守(真正護憲論) ☜三十代

      日本人らしさと、その矜持を知る



中庸または中道(調和=和のこころ) ☜いまここ 

    ⇓ 自分のできることだけをやる(足るを知る)


   ???



さて今日は6月11日(金)です。

一昨日のお話ですが、夕飯後の散歩の道中に、ふと、自転車に乗った女性(40代?)が私の横を通り過ぎていきました。

ところが、なにやらフラフラとしており、電信柱の方へとまっしぐら!

わたしが「あぶない!」といったのもつかの間、見事にぶつかり、こけてしまわれたのでした。

わたしはそれを見て駆け寄り「大丈夫かいな?」といって女性の身体の上にのしかかっている自転車を持ちあげようとするのですが、女性はスカート姿で、しかもカニさんをひっくりかえしたような態勢であったため、目のやり場に困りました。それでもなんとか自転車を起こして、女性に「ほんま大丈夫かいな?」というと、すぐにこの女性の知人夫婦が走って来て、「ありがとうございます(笑)。やっぱりタクシーで帰ったほうがええね」みたいなことをいっていましたから、どうやら、ひっくり返った女性はお酒に酔っていたみたいなんですね。

そのあとすぐに、その場を離れ散歩に戻りましたが、改めて「足るを知る」というのはこういうことも言うのかもしれないな、と。

つまりは「〇〇を考えろ!」とです。ともあれ、その女性のお陰で、またひとつ何やら学ぶことができました。


そして、もうひとつだけ、散歩中に考えたことを述べてみます。これは、フォロワーさんの昨日の記事のなかで指摘されていました『』に、ちなんででありますが、近頃の日本人(戦後生まれ)というのは、この『恥』を気にしない人が増えたようにも思うのですが、ところがどうでしょう、他人様(隣国の人々)に対しては「恥ずかしい国民」などといって蔑んだりします。

この国の有り様というものを、少しばかり客観視すれば、「どっちもどっち」や「五十歩百歩」といったことばが相応しいのですが、それでも「日本人は恥を知っている国民」と捉えられ、語られつづけています。

たしかに私たちの先人や先祖は、「恥を知っている国民」だったかのかも知れませんが、いまの日本人はどちかというと、「気取ることだけを知っている国民」といった方がしっくりくるのかも知れません。

というわけで、話を簡単にまとめてみますと、要は「『恥じ』というものを、気取ることによって覆い隠す国民」というのが現代日本人なら、「気取ることは知らないけれども、『恥じ』を知っている国民」というのが、実は隣国の国民性(一般庶民)だったりするのかも知れないのです。

例えば、「先進国気取り」だったり、「〇〇家気取り」だったりですが、気取り家さんが多数を占めると、国が乱れます。

これは述而第七の『哭すれば、歌わず』の雑感にも綴ったことですが、『気取る人』というのは、純粋さの欠けた人ともいえ、かつ、『難いかな、恒 有ること』のなかでも、「無を有と見せかけ、虚を実と見せかけ、貧を泰と見せかける〈聖人、善人気取りの者が多い〉 」とあり、このことをもって、きちんとした認識のもとに、なにが一体「恥じ」で、なにが一体「気取る」ことであるのか、このあたりの国民性のちがいとうものもきちんと弁えておかないと、近い将来、この国が、隣国の支配地域と化したときに、共産主義者特有の『総括』という名のもとに悲惨な仕打ちをうけることにもなりませんからね。よくよく注意しないといけません。

とうわけで、今夜はこれまでとします。それではみなさま、おやすみなさいzzz


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