さて、久しぶりに釣り以外のことをつぶやいてみようかと思いますが、タイトル通り、私はこの国に対して想うことは、怒りと絶望しかありません。
ですから、現在の私は極左や極右寄りだといって過言ではありません。
ですが私は、そういった類の団体に所属するわけでもなく、また、そうした個人に対して、SNSやブログなどで応援(いいねやコメントなど)する気もありません。(所詮は利権でしかないわけだから)
ただひたすらに世を憂いながら、釣り竿をもち浮子を眺める・・・
人間が法を作り、政治や経済、そして文化や文明、さらには宗教などに依存するというのは、至って自然の成り行きともいえるわけで、風が吹けば草木が揺らぐがごとき自然現象であります。
であるならば、人間は自分たちが犯した罪をいつか必ず償わなければならないときがきます。そのときが来れば、人間は他の動植物やこの大地のあらゆるモノと調和することができるのです。
人間が農薬まみれや遺伝子組み換えのものを食べ、利権まみれのワクチンや薬物を接種・摂取すればどうなるのか?
こんなことは考えなくても答えは明白ですよね。
人間が人間らしく生きていくためには、飼い犬のように、体内に異物を混入され、ペット化されないことと、そして何より、自然にあるものに対して、もっと、寛容であるべきだと思います。
嬉しければ喜び、憎ければ怒り、辛ければ哀しみ、愛するものがあれば楽しむ。
こうした人間の感情(自然現象)に対してもまた、寛容でなければならないと思いますから、感情に満ち溢れた人を見れば、それがいくら凶悪人であったとしても、心から安堵されるのです。
逆に、偏った正義をかざしながらきれいごとばかりをいう人物を見れば、心からの安堵にはなりえません。
つまりは、なにをもって、その人物や事象を捉えるのか?だということです。
最後に、私ごときは昔の日本人に比べて、まだまだ未熟者でしかないですが、そうした先人たちが何を考え、そして何を遺してくださったのかを、これからも自分なりに追い求めていき、世を憂いながらも、これからの残り人生を歩んでいければな、と思います。