【世界動向】 未来志向と温故知新とのちがい ③
■ 習政権下における "総括" の意味は (つづき)
② 有史以来のシナ文明に対しての総括
永く繁栄した文明国家にとって最も誇り高いこと…、それは『永い歴史を有している』ことである。しかし反面、最も厄介なことだともいえるわけであるが、このことはわが国の現状からも窺い知ることができる。
今から2500年以上も昔に、孔子というシナの古人が『温故知新』という故事を残された。この故事の意味するところは、「古きを温(たず)ね、新しきを知る」ではあるが、現在の日本人にもこの故事を心の拠り所にしている人も多いのではないだろうか…。また、現在でも様々な場面で目にしたり、耳にしたりすることも多いと思われるのだが、ひとこと『温故知新』とはいってみても、その解釈は人ぞれぞれである。
例えば、幼少期や青年期といった子どもたちに『温故知新』を教えたとて、子どもたちはまだまだ古きを温ねるほどの過去が存在しないわけであり、その言葉の意味を深く理解することなど不可能といってよい。しかし、30や40代あたりになってくれば、そうした幼少期や青年期が過去のものになってくるので、「古きを温ねる」という意味を少しずつ理解できるようになってくる。そして、50や60代ともなってくれば、古きを温ねたことで反省や感謝の心が芽生え出し(=新しきを知る)、やがて高齢者になったとき、そうした自己の人生をもとに後生に語りかけ、最期の時を迎えるのである。
これはほんの一例でしかないが、その他には、ビジネスにおいてだったり、なにかしらモノを作る際の教訓であったりとその解釈は様々だ。
さて、そんな様々な解釈のもと、何一つとして結果を生み出せないでいるのが現在のわが国であるわけだが、その多くが戦後日本からの歴史観でしか物事を捉えることが出来なくなった結果、『戦後70年の歴史』というふうに、古きを温ねる範囲が非常に狭くなり、新しきを知ることにおいては、「戦前の日本は悪かった」とする反省の心ばかりが芽生え、それを後生もずっと引き継がされているのである。
ところが、これと同じことがシナ中共においても実施されてきたわけで、毛沢東の共産党支配によって、それまでのシナの伝統や歴史そのものが抹殺されてしまい、新たな価値観が正当化されてしまったことで、戦後のシナ人の多くが抑圧に震えを抱きながら尚、耐え忍ぶ人生を虐げられることとなった。そしてわが国に至っても、近年稀に見るようなポリティカルコレクト(言論封殺)によって、戦後の昭和期の価値観さえもが悪しき習慣のようにいわれるようになってきたのである。
またしても余談ではあるが、先般、森喜朗元首相の女性軽視発言が世間を賑わせ、物議を醸したわけだが、私からすれば、戦後日本社会を覆いつくした白人至上主義思想というものが森氏の言葉で表現されたに過ぎず、森氏個人に対して、差別主義者だ、差別主義者ではない、といった論調自体が馬鹿げているというのが私個人の想いである。まぁ、森氏の件を巡ってはこれ以上は当ブログでは言わない約束(=表現の自由の侵害)を、gooブログの自称・保守系論者様に強いられているからして、これ以上は言わないにしても、現在の日本社会というのが如何に幼稚(=南朝鮮並みに)であるのかが世界の人々に知れ渡ったことは否定のできない事実である。
さて、話題を戻して、このシナも日本もだが、互いに永い歴史を有しながらも、シナの場合は英国とのアヘン戦争の敗北を皮切りに、そして日本の場合は米国との敗戦を皮切りに、白人至上主義というものが両国内に蔓延ってしまい、互いの伝統や歴史は歪められ、孔子が説いた『温故知新』は、西欧列強型の『未来志向』へと変貌していくことになる。
特に、習近平政権下においてのシナ文明に対する "総括" というのは、シナ歴代王朝はじめ、日本や朝鮮半島といった永い歴史を有したような文明をも徹底的に研究し、何が正しくて何が間違いだったのか、に加えて、行き過ぎた白人至上主義(西洋思想)による堕落と抑圧を排除するためにはどうすれば良いのか、さらには、人民が心穏やかに生活を営むためにはどうすれば良いのか、といった研究も同時に為され、結果、原点回帰ともいえるような儒教への回帰が、習政権の原動力となっているように思うのである。
また、孔子学院がスパイ養成学校であるという論調も否定するわけではないが、しかし、そんな単純な論調を繰り返しているあいだは、日本はいつまでたっても西欧列強型の『未来志向』から解き放たれることはないだろうし、さらにシナ中共との格差は拡がっていくだけでしかない、と危惧するところである。
で、次回は『未来志向』について、少しばかり考えを纏めていこうかなと思う。
つづく・・・