和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔9〕 如し我を復びする者 有らば


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰、善爲我辭焉。如有復我者、則吾必在汶上矣。

《翻訳》
季氏
〔きし〕 閔子騫〔びんしけん〕をして費〔ひ〕の宰〔さい〕と為〔な〕ら使〔し〕む。閔子騫 曰〔い〕わく、善〔よ〕く我〔わ〕が為〔ため〕に辞〔じ〕せよ。如〔も〕し我〔われ〕を復〔ふたた〕びする者〔もの〕 有〔あ〕らば、則〔すなわ〕ち吾〔われ〕は必〔かなら〕ず汶上〔ぶんじょう〕に在〔あ〕らん、と。




《現代語訳》


またある時、魯国〔ろこく〕の摂政〔せっしょう〕である季氏一族が治〔おさ〕める費〔ひ〕の町の長〔おさ〕に、お弟子さんである閔子騫さんが選ばれ、使者〔ししゃ〕が送られたのでした。

閔子騫さんはその使者に対して、慎〔つつし〕みながら、次のように答えられました。


季孫〔きそん〕様にありましては、よくよくお考えになられてから辞令〔じれい〕を下されますように〈師である孔子を通さずに直接に使者を送るのは道義に反する(無礼な行為)〉、とお伝えください。

それでも再び使者の方がみえまするというのであれば、謹〔つつし〕んで私は〈魯国を離れ、斉国との〉国境の汶川〔ぶんせん〕の上〔ほとり〕に参りましょうぞ、と。



閔子騫
(ウィキペディアより)


〈おわり〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

「善爲我辭焉」の語訳については、一般的に解されているものとは少し違った内容にしてみました。というのも、長の任を依頼した季孫斯(=季康子)?という人物は、非常に曖昧だったために、道義・道徳に反した行ないが目立っていたのだとも思われるのです。

なんにしても、師である孔子に恥を欠かせてはならない、とする、閔子騫の判断は、「流石」といえるのではないでしょうか。


ちなみに閔子騫とはこんな人物です。(ウィキペディアより)
閔子騫は父親の後妻につらく当たられ、冬に単衣を着せられるなど、ことごとく継母の実子である弟二人と待遇に差をつけられた。

それに気づいた父は妻を離縁しようとしたが、閔子騫は、離縁すれば三人が母親なしに寒い思いをする、自分ひとりが寒い思いをして弟二人が暖かくいられるならそれでよいと父親を翻意させた。

継母はこれを聞いて悔い、以後は実子同様に子騫をかわいがったという。


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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