和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔28〕 天 之を厭てん


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
子見南子。子路不説。夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。

《翻訳》
子 南子
〔なんし〕に見〔まみ〕ゆ。子路〔しろ〕 説〔よろこ〕ばず。夫子〔ふうし〕 之〔これ〕に矢〔ちか〕いて曰〔のたま〕わく、予〔よ〕の否〔いな〕とする所〔ところ〕の者〔もの〕あらば、天〔てん〕 之を厭〔す〕てん、天 之を厭てん、と。




《現代語訳》


孔先生が、衛国〔えいこう〕の霊公〔れいこう〕夫人〔ふじん〕である南子より、謁見〔えっけん〕を求められました。しかし、南子夫人の品行の悪さが噂されていて、その噂を信じた子路さんが、謁見を快く思わないでいました。

やむなく先生は、子路さんや他のお弟子さんたちに対して、次のような誓いを述べられました。


私は、私自身が "否" とするようなことを犯す者であったならば、天は私をお見捨てになられようぞ。天は私をお見捨てになられようぞ、と。





《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

実のところ私は、南子夫人の隠れファンだったりするのですが…(笑)

それはさておき、たとえ "仁徳者" といえども、美しい女性をみれば、コローッ😍 となるのは仕方のないことだと思われます。なにより、わが国では親鸞聖人が、それまで禁じられていた、僧侶が伴侶をもらうという掟をやぶったことに対しても、なんら違和感を覚えることでもないわけで、いかに "聖人君子" といえども、人ととしての生き方を追求すれば、美しい女性をみれば、コローッ😍となるのは当然のことですよね。

ただ、孔子は夫人や子どももいたわけで、しかも、『仁義』を説きながら各地を遊説する立場でもありますから、やはり、南子夫人との二人きりの謁見に際しては、よくよく気持ちを強く持たなければなりません(不惑)。とはいっても、いざ女性事となると、子路はまったくといって、孔子を信用していなかったのでしょうな。師に誓いを述べさせるくらいなんですから…(笑)


※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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