和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:雍也第六 〔29〕 中庸の徳


論語を現代語訳してみました。



雍也 第六

《原文》
子曰、中庸之爲德也、其至矣乎。民鮮久矣。

《翻訳》
子 曰
〔のたま〕わく、中庸〔ちゅうよう〕の徳〔とく〕 為〔た〕る、其〔そ〕れ至〔いた〕れるかな。民〔たみ〕 鮮〔すく〕なきこと久〔ひさ〕し。




《現代語訳》


孔先生は、次のように仰られました。


中庸における徳をもってすれば、なにものもおそれることはなしじゃ。

それにしても、人々のあいだで、中庸の徳を実践する人も減って、久しいなあ、と。 







《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

雍也第六の冒頭でも紹介させていただいた、『中庸』のなかの一句ですが、そこには "君子" とはなんであるのかを述べさせていただいております。

本来であれば、"君子"というのは中庸の徳を実践できてこそ、成就できるものであり、貴族階級や上流階級では決して "中庸の徳" の極意を心得ることは不可能なんだろうと私は考えます。

世界の白人社会を見ればわかるように、なにごとにおいても、常に貴族階級や上流階級がその地位を占め、政治や経済に深くかかわり、また、思想や哲学においても一般庶民の声は、はかなく消え去られていました。

しかし、この東洋諸国においては、例外は様々あろうかと思いますが、しかし、孔子の教えと、弟子たちの遺した書物のおかげで、政治や経済・また思想や哲学といったものが貴族階級や上流階級だけのものでないことを証明し、実践されていったのです。

それでも、高い技術力と狂暴残忍さを兼ねそろえる西欧列強諸国は、世界の国々を植民地支配するだけでなく、清王朝をも蔑ろにし、そして、この日本もまた戦果に巻き込まれていくようになりました。

日本が敗戦して以降は、もはや東洋人としての誇りさえも失い、中庸だけでなく日本の伝統でさえも蔑ろにされる有り様です。しかも日本の伝統を語れば、同じ日本人から「復古主義」「時代おくれ」だといって足蹴にされてしまうのですからね。

そのようななかでも、なんの利害関係もなく、地道に日本の伝統を語り継ごうとしている人もいてるわけですから、そんな人たちを見習い、自分のできる範囲のなかで、これからも励んでいければな、と思います。


※ 関連ブログ 中庸の徳
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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