和貴の『 以 和 為 貴 』

石原慎太郎氏、豊洲市場盛り土問題について文書で謝罪


(9月21日 スポーツ報知の記事より)

元東京都知事で作家の石原慎太郎氏(83)は21日、築地市場(東京都中央区)の移転先となる豊洲市場(江東区)の盛り土問題について、文書で「私の東 京都知事在任中の件で、皆様に多大な混乱やご懸念を生じさせるなどしておりまして、まことに申し訳なく思っております」と謝罪。ただ、土壌汚染を無視して 計画を進めたとの一部報道については「そのような事実は断じてありません。そもそも、多数の専門家や担当部署職員が関与し、また議会も審議する案件でその ようなことが出来るわけがありません」と否定した。


文書発表後、石原氏は都内の自宅前で取材に応じ、ブラジルから帰国した小池百合子都知事(64)が面会を求めていることについて「もちろんいつでもお会いしますよ」と応じる姿勢を明らかにした。

石原氏が発表した文書は以下の通り。


平成28年9月21日

報道機関各位

石原慎太郎

この度は、私の東京都知事在任中の件で、皆様に多大な混乱やご懸念を生じさせるなどしておりまして、まことに申し訳なく思っております。

このところ、多くの報道機関の皆様から取材の依頼を受けておりますので、私の心境を以下のとおり明らかにさせていただきます。

今般の件は十数年というかなりの時間が経過している上、当時さまざまな重大案件を抱えていたことや、間もなく84歳になる年齢の影響もあって、たとえ重 大な事柄であっても記憶が薄れたり、勘違いをしたりすることも考えられますので、今後、報道機関の皆様の個別のお問い合わせにその都度お答えすることは、 無用な混乱を招くおそれがあることから、控えさせていただくこととしました。

ただ、今般の件については、当時、卸売市場、建築、交通、土壌汚染、予算等のさまざまな観点で、専門家や関係者の意見を聞きながら、副知事以下の幹部職 員や、実務に長けた関係部署の多くの職員たちと協議を重ね、事業の計画を進めていたもので、この事業はとても私個人が自分の知見のみで部下に指示して事に 当たることはできない、専門的かつ複雑な問題でありました。それだけに、経過の詳細を思い出してご説明することは難しいものがありますが、幹部職員や担当 職員からも事情を聞いていただければ、自ずから何があったのかは明らかになるものと思っております。もとより、私自身も今後事実関係を明らかにする検証を 行う場合には全面的に協力するつもりでおります。

ところで、一部報道によれば、私が土壌汚染を無視して予算と完成時期だけにこだわり強引に今回問題になっている構造にさせたといった指摘がなされている ようですが、そのような事実は断じてありません。そもそも、多数の専門家や担当部署職員が関与し、また議会も審議する案件でそのようなことが出来るわけが ありません。

ともあれ、私の都知事在任中の件に端を発してこのような事態になっていることについては責任を痛感いたしております。

以上




〔 所 感 〕

石原元都知事の謝罪、これを都民がどのように受け止めるのかが注目されるところではあるが、筆者としては、謝罪は当然のことであろうし、この文章を読んでみてもわかるように、今回の移転先を巡り、専門各位の者たちがあまりに無責任だったことが明らかとなった。

たしかに行政のトップとしての地位にある知事の責任は免れるものではない。で、そこだけを責めてどうにかなるわけでもない。さらには記事の見出しに「盛り土問題」とあるが、それこそ国民や都民を欺いているようにも勘じる。

筆者として断言できることは、事の本質は、専門各位の役人たちの人格の問題である、ということだ。

前回のブログでも申したように、市場移設に携わったものたちには「都民の食の安全を守る」という意識がなかった、と断定しても言い過ぎではない。仮に意識していれば、汚染された土地に都民の体内に入るものを管理・保管する施設を建設することなど考えも及ばないはずである。

そもそもとして、行政において専門各位を選択するということに知事の権限などない。一部あるのかも知れないが、概ね専門部署の役人は立派な大学に進学し、採用試験に合格すれば良いだけである。あとは年数さえ重ねれば出世していく。そんな上役たちは与えられた指令を達成すべく知識人を金で雇う。そしてその金で雇われた知識人が下した結果やデータをもとに、上役は知事の許可を得る。単純なことだ。

この単純な流れのなかで、上役が知事に丸投げするのだから、全くといって存在意義などない。ただ都民の税金から高額な給与を得ているだけに過ぎず、諸問題の根源ともいえよう。

指導者がいくら優れた人格者であっても、下部の者が人格者でなければ、豊洲移転の問題などはほんの氷山の一角に過ぎず、今後もこのような重大事はいくらでも発覚されよう。つくづくこの国の政治家にだけはなりたくはない、と感じるのは筆者だけではないと思う。

「公」の精神をもっとも大切しなければならないはずの人間が、自己保身のためだけに慢心し行政が為されているのだから都民や国民はたまったものではない。そして、単に石原元都知事だけを攻めようものなら、こうした役人たちは笑いが止まらないであろう。


きちんと批難されるべきところが批難され、そして改善・改正されていくことを心より願う。



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