和貴の『 以 和 為 貴 』

「終戦の日」と「終戦記念日」

毎年八月十五日は昭和弐十年同月同日、わが国が米国との戦いに於いて、ポツダム宣言を受諾し、戦いに幕が下ろされた日であります。

そしてこの日を戦いが終わった日、「終戦の日」として、平和の尊さを国民全体で考えなくてはならない日とさだめられました。

しかしながら、平和の尊さよりも戦争の悲惨さばかりを植え付けられた感はないでしょうか?

「戦争はダメ!」 当然であります。


誰が好き好んで戦争を良いなんてほざく日本人がいるのでしょうか?

真の平和の貴さも知らぬ者たちが、こぞって私たち日本人に平和の貴さを謳っているのだから、まさに愚人の極みであるとしか言わざるをえません。

何故、戦争が始まったのか?
そうした当時のわが国の歴史を教えもしないで、戦争の悲惨さばかりを私たちに教え、何が平和なのか?

戦後、終戦の日を終戦記念日と称する者たちの多くは、自分目線でしか戦争を見ていないのであります。
そして多くは、戦後復興に酔いしれ、高度成長に酔いしれ、バブルに酔いしれた者たちなのであります。
そんな者たちが、少~し世の中が右寄りになったからといって、「終戦の日」と謳ってみても、底が見え見え過ぎて笑ってしまいます。


「終戦の日」だろうが、
「終戦記念日」だろうが、己の意思をはっきり示せば良いものを、世の中の都合に合わせ、呼び方をコロコロ使い分けするようでは、信念や理念の欠片もなく、そんな者たちの何を信じろ?というのか…。

平和の祈りは、日本国民の祈りである。これは日本建国以来の伝統であります。
その祈りを歴代の天皇陛下たちが捧げられてきたのです。

日本人ひとりびとりが平和を祈るのではなく、そんな平和を祈願する国に生まれたことへの誇りと感謝の気持ちを絶対に忘れてはなりません。

そしてそんな国民の感謝の気持ちは、政治に携わる人たちや、国を守る自衛隊の方々たちにも伝わり、本当の意味での善い政治や善い軍隊へと変わることでしょう。


この国の同時代に、天皇陛下が何十人、何百人、何千人と要らないのであります。

私たち日本国民は、平和をお祈りくださる陛下を敬い、先人を敬い、ご先祖を敬い、そして父母を敬い、真の平和の尊さを、もっともっと真剣に考えていかなければなりません。

それが日本人としての最大の義務であるように感じます。


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