和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:子罕第九 〔18〕 徳を好むこと色を好むが如き


論語を現代語訳してみました。



子罕 第九

《原文》
子曰、吾未見好徳如好色者也。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、吾〔われ〕 未〔いま〕だ徳を好〔この〕むこと色〔いろ〕を好むが如〔ごと〕き者を見ざるなり。 




《現代語訳》


孔先生はまた、次のように仰られました。


私はいまだ、仁徳を追求することにおいて、〈花や鳥、風や月といった〉自然のものを愛するがごときの人に出会ったことがない、と。



ケツメイシ「花鳥風月」


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句を語訳するにあたっては、『色』を「美しいもの」とし、その際、人としての「美」ではなく、水の流れや時の流れ、また風の流れなど、自然の流れそのものを「美」と捉え、訳してみました。

このことによって、真に仁徳を追求する人は、人間を中心として考えるのではなく、この世のあるものすべてに対しても、仁の心を尽くすことこそが、すなわち「大道を得た」ことにも繋がっていくのだと、そんなふうに孔子はつぶやいたものと感じられます。

また、里仁第四『小人は恵みを懐う』の中で「君子は、仁徳のある人物を求めるのに対して、小人は、人徳のある人物を求める。」と訳していますが、今回の語句と合わせ考えますと、仁徳のある人物というのは、「この世のものすべてを中心として考え、仁の心を尽くす人」のことをいい、人徳のある人物というのは、「人間を中心として考える人」として捉えることもできます。

そして、それは同時に「仁徳者は道理・真理に適った決めごとを求めるが、人徳者は、権利や自由ばかりを求める」という語訳にも通じてきます。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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