論語を現代語訳してみました。
八佾 第三
《原文》
哀公問社於宰我。宰我對曰、夏后氏以松、殷人以栢、周人以栗。曰、使民戰栗。子聞之曰、成事不説。遂事不諫、既往不咎。
《翻訳》
哀公〔あいこう〕 社〔しゃ〕を宰我〔さいが〕に問う。宰我 対〔こた〕えて曰〔い〕わく、夏后氏〔かこうし〕は松〔しょう〕を以〔もっ〕てし、殷人〔いんひと〕は柏〔はく〕を以てし、周人〔しゅうひと〕は栗〔くり〕を以てす、と。曰〔い〕わく、民〔たみ〕を使〔し)て戦栗〔せんりつ〕せしむ、と。子 之〔これ〕を聞きて曰〔のたま〕わく、成事〔せいじ〕は説〔と〕かず。遂事〔すいじ〕は諫〔いさ〕めず。既往〔きおう〕は咎〔とが〕めず、と。
哀公〔あいこう〕 社〔しゃ〕を宰我〔さいが〕に問う。宰我 対〔こた〕えて曰〔い〕わく、夏后氏〔かこうし〕は松〔しょう〕を以〔もっ〕てし、殷人〔いんひと〕は柏〔はく〕を以てし、周人〔しゅうひと〕は栗〔くり〕を以てす、と。曰〔い〕わく、民〔たみ〕を使〔し)て戦栗〔せんりつ〕せしむ、と。子 之〔これ〕を聞きて曰〔のたま〕わく、成事〔せいじ〕は説〔と〕かず。遂事〔すいじ〕は諫〔いさ〕めず。既往〔きおう〕は咎〔とが〕めず、と。
《現代語訳》
魯の君主・哀公が、社〔やしろ〕について、お弟子さんである宰我さんにお尋ねになり、次のように申し上げられました。
夏〔か〕王朝ではご神木に松を用い、殷〔いん〕王朝では柏を用い、周王朝では栗を用いております、と。
すると哀公は、なぜ栗なのか、と問いかけられ、宰我さんはまた、次のように申し上げられました。
栗は慄〔りつ〕に通じていますゆえ、民が王朝に対して畏怖〔いふ〕の念を抱かすためです、と。
この話をお聞きになった先生は、次のように仰られています。
ま、話してしまったことは仕方がないし、済んでしまったことは注意しない。過去は咎めない。と繰り返されました。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考にしているが、決して両先生を否定するものではない