日々、コツコツと進めている論語の現代語訳だが、なんとか、先に進むこともでき、里仁第四を終え、あとは、朝7時と夜7時(一日二本立て)に投稿ができるよう、『予約』という手法を使ってみた。
最初は物語風にしたみたかったのだけれど、私の小さすぎる脳みそでは、なかなかに難しい…。まあ、先はまだまだ長いので、ゆったりとした気持ちで現代語訳に臨んでいければと思う。
とりあえずは、これまで知らなかったことにも気付かされるわけで、本当に為になるなあ、と。そういうわけで今日は少し、オーバーヒート気味となっていた脳みそ君を休めてやることに。
さて、近頃はニュース報道すら見ておらず、またもや浦島さん状態の自分ではあるが、LINEという得体の知れないものの件では、デジタル省だか何かわからん行政機関のその対応をめぐっては、まったくもって無責任でしかない。
LINE側が説明をしていなかっただとかを抜かし、あくまでも自分たちの責任逃れの姿勢には、胸糞が悪くなってくる。しかも、お馬鹿な知識人までもがLINE側を批判し、その論説に多くの国民が拍手喝采なのだから、いよいよこの国も、半島国家と変わらないレベルだと認識するよりほかがない。
なにより行政が、『まん坊』だとか抜かし、率先して幼児レベルなのだから、それに従うしかない国民も幼児化してしまうのは無理もない話だ。
こうした有り様を眺め、そしてこの国を語るとき、これまで盛んに、「日本はこんなにも素晴らしいんだよ」とか謂ってきた己自身が恥ずかしくなってしまう。
また、この状態のままでいけば、我々日本人の先人たちが命懸けで遺してくれた『恩恵』というものも、いずれ底が尽きてしまうわけだから、そうなれば、子や孫といった次世代に大きな負担を与えてしまうことにもなる。
最近、話題沸騰となっている新型ウイルスによって、世界的な蔓延の中で多くの人がその生活を抑制・抑圧されている。そしてその抑制・抑圧に人々は慣れてしまうと、次に元の正常な世に戻ることへの恐怖心が根付きだす。そうして人は、どんどんと窮屈さのなかでしか生きていけなくなり、最後は奴隷のような人生を幸福だと感じるようになる。
抑圧や抑制が悪いわけではないし、自由奔放が悪いわけではない。何事もほどほどにしておかないと、どちらにしろ行き着く先は世の乱れでしかなく、子や孫がそんな世の中で暮らしていかないとすれば、これほど悲しいことはない。
さて、わたしがブログの読者となっているご高齢の元新聞記者さんが、ドコモの最新サービスについての批評をご自身のブログ内で綴っておられ、その記事をある雑誌社がとりあげ紹介し、それを読んだ人々から元記者さんに対する批判のコメントなどが多く寄せられていた。
すべてのコメントを見たわけではないが、やはりといって、「老害」という文言が散見できるわけで、なんにしろそのコメント欄は一個人に対する集団攻撃の様相であった。中には道理を語る者もいたが、道理を知る者の態度ではないと強く感じてしまった。
まあ、元記者さんも、雑誌社に取り上げられることへの承諾もしたのだろうからして、そうした批判は仕方がないわけだが、当初、わたしがブログ記事を読ませていただいた際(雑誌に掲載される前)には、単なる元記者さんの日常のなかの出来事だったはずが、いつの間にやら、多くの人から「老害」とまで謂われ罵られる様相になっていたのだから、正直ビックリであった。
というか、みんなで拡散し、それについて個人攻撃や拍手喝采をする。自分の意志とは違うものへの、猛攻撃、それならば、いっそ自身のブログや日記にでも綴ればよいのではないのか、と、そんなふうにも思う。
ましてや、ドコモの最新サービスについての批評をされた元記者さんは、ご高齢の身であるわけで、若者とおなじようにスマホの操作ができるはずもない。しかも、今回元記者さんに対して、「老害」などの暴言を吐いていた連中も、いずれ自分自身も高齢者となり、様々な人に迷惑をかけないと生きてはいけなくなるわけで、こうした心なき文言を見てしまうと、正直いって申し訳ないが、こんな国、どうにでもなれ!とも思ってしまう。
しかし反面、中には心慎ましく励んでいる若者たちもいてるのだから、なんとか、こうした若者に期待をしてみたいとも思う。
まずは、自分のできることをコツコツとやるしかないのだから、とにかくは己自身の心が乱されぬように…と、云々。