論語を現代語訳してみました。
里仁 第四
《原文》
子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、参〔しん〕。吾〔わ〕が道〔みち〕は一〔いち〕 以〔もっ〕て之〔これ〕を貫〔つらぬ〕く、と。曾子〔そうし〕 曰〔い〕わく、唯〔い〕、と。子 出〔い〕づ。門人〔もんじん〕 問〔と〕うて曰〔い〕わく、何〔なん〕の謂〔い〕いぞや、と。曾子 曰〔い〕わく、夫子〔ふうし〕の道は、忠恕〔ちゅうじょ〕のみ、と。
子 曰〔のたま〕わく、参〔しん〕。吾〔わ〕が道〔みち〕は一〔いち〕 以〔もっ〕て之〔これ〕を貫〔つらぬ〕く、と。曾子〔そうし〕 曰〔い〕わく、唯〔い〕、と。子 出〔い〕づ。門人〔もんじん〕 問〔と〕うて曰〔い〕わく、何〔なん〕の謂〔い〕いぞや、と。曾子 曰〔い〕わく、夫子〔ふうし〕の道は、忠恕〔ちゅうじょ〕のみ、と。
《現代語訳》
孔先生が、お弟子さんである曾参〔そうしん〕先生に対して、次のように仰られました。
参〔しん〕(=曾参)よ。わが人生は、ひとつの道理で貫いてきたのだよ、と。
曾参先生がそれに対し、「左様〔さよう〕でございます」と述べられると、孔先生は満足げに部屋を出て行かれました。
すると、曾参先生と仲の良いお弟子さんが、不思議そうな顔をしながら「どういうことなんでしょう」とお尋ねになり、曾参先生は次のように答えられました。
先生のこれまでの人生は、真心(=忠)と思いやり(=恕)、これに尽きるということだよ、と。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考