日々草創

「清く、楽しく、気持ち良く」、、、アホのままでもいいんです。

本の副反応

2024-08-28 | 日記
少し前に参加した同窓会で、僕の本を読んだという同級生と深く話す機会があった。

学生時代は一度も同じクラスになった事がなく、田舎の小さな学校だけに名前も顔もしっかり記憶にあるものの、たぶんあまり話したことがない同級生だ。

しかし僕の本について話したかったようで、座敷という何となく移動が面倒なシチュエーションにも関わらず、わざわざ僕の隣にやってきた。

とりあえず本に関して好感を抱いてくれていて、文章そのものがとても面白かったとベタ褒めだ。

もちろん褒められるのはとても嬉しいが、下ネタや失敗談が満載なだけに、なぜか素直に喜べないという副反応もある。

ただ笑いのネタとしては、飲みの席で絶好のツマミとなって充分にその場を盛り上がった。

そんな中、彼が僕に最も話したかったのだろう内容に触れ始めた。

「実は数年前に妹が癌で死んだんよ」

「すげーブッ込んできたな…」

なんでも彼の妹は結婚後に婦人系の癌を発症し、治療の末に帰らぬ人になったのだそうだ。

やはり亡くなった後、もしかしたら抗癌剤治療をしなかった方が良かったのではないか?など、彼なりに様々な想いに苛まれていたという。

そこに同級生の僕が、癌を題材にした本を書いたと知ってネットで購入し、読んでくれたのだそうだ。

この本の最後の方に、一連を通じて考えるようになった「死に対する想い」が書いてある。

僕が20代の頃、幼馴染の親友が癌で死んだエピソードが書いてあるのだが、そのとき僕は、彼の死の意味をいっぱい考えて、彼を弔い、すべてに納得できる死生観に辿り着いた。

それは癌に限った事ではなくて、普段から元気で病気知らずだったにも関わらず、ある日突然くも膜下出血で亡くなった友人もいれば、大動脈解離、心不全、交通事故、自殺で亡くなった知人もいる。

でも死因なんて関係なくて、単に皆その日に亡くなる運命なだけで、ちゃんと人生を全うしたのだというような内容が書かれていて、そんな僕の文章に、強く感銘を抱いてくれたようで、その事を僕に話したかったのだそうだ。

身近な人の死に対する悲しみや、自分が直面する死の恐怖を克服するのは非常に難しいことだけど、それらは納得できる死生観を持つことで、和らげる事が出来ると僕は思っている。

本を読んでくれた方から色んな感想を貰っているけど「とにかく死ぬほど笑った」と言ってくれる人もいれば「癌に対する概念が変わった」という人がいたり「健康にメッチャ意識するようになった」という人、「もっと人生を楽しまなきゃ」なんて思ってくれた人、あとリアルに癌治療をされている方から「とても参考になった」というお言葉を頂いたりと、ちょっとでも心の救いになれたり、参考にしてもらえたのであれば、めちゃめちゃ嬉しい事だし、心から書いて良かったとも思う。

本なんて「これを伝えたい!」という強い想いがなければ、人の気持に響く内容など書けないと思うけど、読み手も何かしらの打算的な気持ちがあると、文面から何も想いなど汲み取れない。

中には「そういえば◯◯が『あいつの書いた本なんて読む訳ないじゃん』って言ってたよ」なんて話が耳に入ることもある。

1冊の本を出したことで、色んな人間模様も見えたりして、またそれが本の面白い所でもあるのだろう。

そういえば先日、とある飲み会で乾杯をするとき、本を読んでいる知人が乾杯の発声に名乗り出て、ジョッキを片手に「ゲバーン」と発声し、全員をポカンとさせる事件があった。

本の中にあるネタの一部だが、突然すぎて僕ですら気づかなかったくらいだ。

でも何だかちょっと嬉しかった。

やっぱ、本を書いて良かった。