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知性や才能、その他の能力において基準となる物は様々あるが、それらは人それぞれに違いがあり、それらを見極めるのも人でしかない。
そして、それらの能力がどんなに優れている人であったとしても、人である限り決して避けられない駄目な部分が存在している。
そう、「ミステイク」である。
当然、優れた人ならそれを極限まで少なくする努力をしているに違いない。
そして場合よっては、それを失態とは思わず「未来への糧にする」というポジティブな考え方も出来るだろう。
しかし、ミスはミス。
どんなに優れていても、必ずしてしまう物なのである。
僕は常に他人よりミスが多いと考えるようにし、極力そのミスをしないように心掛けて生活している。
しかし残念ながら、それでもやっぱりミスをしてしまう。
だからそれらのミスに対し、できるだけ自分に対する精神的被害などを減らすよう、そのミスをフォローする気力や体力を惜しまなくかけるようにしている。
例えば、僕は仕事で店舗の看板などを制作したりしているのだが、誤字や脱字、寸法違いなど、様々なミスをしてしまった時などは自分のミスを瞬時に認め、それに対して迷惑をかけた方々に納得してもらえるよう素早い対処とサービスに勤める事で他人を納得させ、自分自身も慰めている。
このようにして、決して避けられないミスを自らフォローする事で、後への凝りを残さないようにしているのだ。
しかし僕はつい先日まで、過去に犯したとんでもないミスに悩まされ続けていた。
僕の家のお隣さんは花屋さんを経営しているのだが、数年前にお店の改装で近くのテナントで仮店舗として営業をしていた時、その店の入り口に僕が看板を制作して設置してあげた事があった。
そしてその看板は新店舗の正面入口前駐車場横に移設され、先日までしっかりと掲げてあった。
隣に暮らして数年。
何故に気付かなかったのか自分でも全く解らないのだが、その看板にはこう書かれていたのだ。
「フラワー・ショプ」
そう、「ショップ」ではなく「ショプ」。
10年前後は経っていただろうか。。
お隣さんは気付いていなかったのだろうか?
それとも「こーいう書き方もある」と信じて何とも思っていなかったのだろうか?
きっとお隣さんはその看板を気に入っていたのだろう。
これ見よがしに堂々と入り口付近にかかげてあった。
どちらにしても10年も経過し、「すいません、間違えました」などと言い出せなかったのだ。
しかし有り難い事に、少し前になって次なる店舗改装の為に看板を新規で作り替える事となり、一件落着を迎える事ができたのである。。
このような事はほんの一例ではあるのだが、僕という人間は時に、もっととてつもなくダイナミックなミスを犯してしまう事がある。
時折僕は、壁面など巨大なキャンバスに絵や文字を書く仕事の依頼を受けるのだが、ちゃんとしたデザインや書体の指定が無い時は、下書きもせず自分の感性だけで描いてしまう癖がある。
しかし以前、その感性だけで仕上げる癖が仇となって、とある大売出しをする用品店から「入り口の大きなパネルにアピール性の高い大きな文字を書いて欲しい」という仕事の依頼を受けた時、人の背の高さ程もある大きな文字でダイナミックなミスを犯してしまったのだ。
「大ゲバーン」
人として生きる限り、ミスは避けられないものなのだ。
そして、それらの能力がどんなに優れている人であったとしても、人である限り決して避けられない駄目な部分が存在している。
そう、「ミステイク」である。
当然、優れた人ならそれを極限まで少なくする努力をしているに違いない。
そして場合よっては、それを失態とは思わず「未来への糧にする」というポジティブな考え方も出来るだろう。
しかし、ミスはミス。
どんなに優れていても、必ずしてしまう物なのである。
僕は常に他人よりミスが多いと考えるようにし、極力そのミスをしないように心掛けて生活している。
しかし残念ながら、それでもやっぱりミスをしてしまう。
だからそれらのミスに対し、できるだけ自分に対する精神的被害などを減らすよう、そのミスをフォローする気力や体力を惜しまなくかけるようにしている。
例えば、僕は仕事で店舗の看板などを制作したりしているのだが、誤字や脱字、寸法違いなど、様々なミスをしてしまった時などは自分のミスを瞬時に認め、それに対して迷惑をかけた方々に納得してもらえるよう素早い対処とサービスに勤める事で他人を納得させ、自分自身も慰めている。
このようにして、決して避けられないミスを自らフォローする事で、後への凝りを残さないようにしているのだ。
しかし僕はつい先日まで、過去に犯したとんでもないミスに悩まされ続けていた。
僕の家のお隣さんは花屋さんを経営しているのだが、数年前にお店の改装で近くのテナントで仮店舗として営業をしていた時、その店の入り口に僕が看板を制作して設置してあげた事があった。
そしてその看板は新店舗の正面入口前駐車場横に移設され、先日までしっかりと掲げてあった。
隣に暮らして数年。
何故に気付かなかったのか自分でも全く解らないのだが、その看板にはこう書かれていたのだ。
「フラワー・ショプ」
そう、「ショップ」ではなく「ショプ」。
10年前後は経っていただろうか。。
お隣さんは気付いていなかったのだろうか?
それとも「こーいう書き方もある」と信じて何とも思っていなかったのだろうか?
きっとお隣さんはその看板を気に入っていたのだろう。
これ見よがしに堂々と入り口付近にかかげてあった。
どちらにしても10年も経過し、「すいません、間違えました」などと言い出せなかったのだ。
しかし有り難い事に、少し前になって次なる店舗改装の為に看板を新規で作り替える事となり、一件落着を迎える事ができたのである。。
このような事はほんの一例ではあるのだが、僕という人間は時に、もっととてつもなくダイナミックなミスを犯してしまう事がある。
時折僕は、壁面など巨大なキャンバスに絵や文字を書く仕事の依頼を受けるのだが、ちゃんとしたデザインや書体の指定が無い時は、下書きもせず自分の感性だけで描いてしまう癖がある。
しかし以前、その感性だけで仕上げる癖が仇となって、とある大売出しをする用品店から「入り口の大きなパネルにアピール性の高い大きな文字を書いて欲しい」という仕事の依頼を受けた時、人の背の高さ程もある大きな文字でダイナミックなミスを犯してしまったのだ。
「大ゲバーン」
人として生きる限り、ミスは避けられないものなのだ。
過去にさかのぼり記事を読んでますよ。
最後の『大ゲバーン』最高です!