日々草創

「清く、楽しく、気持ち良く」、、、アホのままでもいいんです。

本の副反応

2024-08-28 | 日記
少し前に参加した同窓会で、僕の本を読んだという同級生と深く話す機会があった。

学生時代は一度も同じクラスになった事がなく、田舎の小さな学校だけに名前も顔もしっかり記憶にあるものの、たぶんあまり話したことがない同級生だ。

しかし僕の本について話したかったようで、座敷という何となく移動が面倒なシチュエーションにも関わらず、わざわざ僕の隣にやってきた。

とりあえず本に関して好感を抱いてくれていて、文章そのものがとても面白かったとベタ褒めだ。

もちろん褒められるのはとても嬉しいが、下ネタや失敗談が満載なだけに、なぜか素直に喜べないという副反応もある。

ただ笑いのネタとしては、飲みの席で絶好のツマミとなって充分にその場を盛り上がった。

そんな中、彼が僕に最も話したかったのだろう内容に触れ始めた。

「実は数年前に妹が癌で死んだんよ」

「すげーブッ込んできたな…」

なんでも彼の妹は結婚後に婦人系の癌を発症し、治療の末に帰らぬ人になったのだそうだ。

やはり亡くなった後、もしかしたら抗癌剤治療をしなかった方が良かったのではないか?など、彼なりに様々な想いに苛まれていたという。

そこに同級生の僕が、癌を題材にした本を書いたと知ってネットで購入し、読んでくれたのだそうだ。

この本の最後の方に、一連を通じて考えるようになった「死に対する想い」が書いてある。

僕が20代の頃、幼馴染の親友が癌で死んだエピソードが書いてあるのだが、そのとき僕は、彼の死の意味をいっぱい考えて、彼を弔い、すべてに納得できる死生観に辿り着いた。

それは癌に限った事ではなくて、普段から元気で病気知らずだったにも関わらず、ある日突然くも膜下出血で亡くなった友人もいれば、大動脈解離、心不全、交通事故、自殺で亡くなった知人もいる。

でも死因なんて関係なくて、単に皆その日に亡くなる運命なだけで、ちゃんと人生を全うしたのだというような内容が書かれていて、そんな僕の文章に、強く感銘を抱いてくれたようで、その事を僕に話したかったのだそうだ。

身近な人の死に対する悲しみや、自分が直面する死の恐怖を克服するのは非常に難しいことだけど、それらは納得できる死生観を持つことで、和らげる事が出来ると僕は思っている。

本を読んでくれた方から色んな感想を貰っているけど「とにかく死ぬほど笑った」と言ってくれる人もいれば「癌に対する概念が変わった」という人がいたり「健康にメッチャ意識するようになった」という人、「もっと人生を楽しまなきゃ」なんて思ってくれた人、あとリアルに癌治療をされている方から「とても参考になった」というお言葉を頂いたりと、ちょっとでも心の救いになれたり、参考にしてもらえたのであれば、めちゃめちゃ嬉しい事だし、心から書いて良かったとも思う。

本なんて「これを伝えたい!」という強い想いがなければ、人の気持に響く内容など書けないと思うけど、読み手も何かしらの打算的な気持ちがあると、文面から何も想いなど汲み取れない。

中には「そういえば◯◯が『あいつの書いた本なんて読む訳ないじゃん』って言ってたよ」なんて話が耳に入ることもある。

1冊の本を出したことで、色んな人間模様も見えたりして、またそれが本の面白い所でもあるのだろう。

そういえば先日、とある飲み会で乾杯をするとき、本を読んでいる知人が乾杯の発声に名乗り出て、ジョッキを片手に「ゲバーン」と発声し、全員をポカンとさせる事件があった。

本の中にあるネタの一部だが、突然すぎて僕ですら気づかなかったくらいだ。

でも何だかちょっと嬉しかった。

やっぱ、本を書いて良かった。

販売開始

2024-06-25 | 日記


本が販売開始された。

1週間ほど経ってどうなったかといえば、ぼちぼち売れている。
でもとりあえず知人友人へのPRでしかないので、そろそろ頭打ちになるような気もする。

感想はといえば多少の賛否はあるものの、思いのほか大絶賛してくれる方が多くて一安心だ。

で、絶賛してくれている方々の特徴は、何故か司法書士や弁護士などの仕業をされている方や、遊び人、エロい人など何かしら特徴がある人が多く、真面目で勤勉な人や、基本常に不平不満を語っているような方だと、「ふーん」って感じで、どうやら少し変態気味な人にウケているようだ。

なにはともあれ大絶賛してくれている人が結構いるっていう状況により「出して良かった」なんて気持ちにもなれるし、出版パーティーを開いてくれる知人もいたりして、すこぶる感謝を覚える。

でも、400冊も作っちゃったからなー・・・
めっちゃあまりそうな気がするなー。。

家にある山積みが減らなかったら辛いなー。。

なにはともあれ絶賛販売中!

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作家デビュー

2024-06-17 | 日記
今週の19日、ついに僕が書いた本が発売されることになった。

思えば去年の初め頃、健康診断の再検査で大腸癌を宣告され、手術が決まって様々な準備検査を受けるものの、その途中で食事による癌の克服法を知り、手術本番を直前にその手術をキャンセル。

そこから独自で考えた食事療法を実践すること約半年、秋頃に受けた健康診断で、癌の疑いが無くなっていることが分かった。

そこから何となく思いつきでその出来事を本にしてみようと考え、あてもなく書き綴っていた途中、偶然にも出版社の代表と出会い、そこから本格的に書籍化する為の執筆活動に変化。

文章を書くのは好きではあるものの、そんな200ページを超える一つの物語を書くなんて初めての事だし、なにより学生当時は国語の成績がかなり低かっただけに、きっとプロのライターさんによる校閲で添削されまくるだろうと思いきや、出版社の代表から「校閲を入れなくても良いんじゃない?」という提案をもらい、結局は二人で気付いた誤字脱字を数か所直すだけという形で完成。

僕の語彙、純度100%となった。

なにはともあれこうして本が完成し、今週19日に発売が開始される。

癌が見つかった時のリアルな気持ちから、病院で体験したこと、食事療法で実践したこと。
それら経験の中で抱いた数多くの葛藤や、不思議に思ったこと、面白かったことなどを綴っているのだが、僕が書いている文章だけに、正直かなりの割合でエロネタやアホな話に脱線しているが・・・

そして癌の疑いが消えた時、それまでの出来事を通して感じたこと、思ったこと。

実際に経験した「癌を宣告される」という出来事から考えた「死」への想い。

癌とは何なのか、医療とは何なのか、そして「生きる」とは?

そんな僕のちょっぴりイカれた思考で、真剣かつユーモラスに癌と向き合った物語です。

癌を経験された方は勿論のこと、癌になることを恐れている方、そして癌宣告前の僕のように、自分が癌になるなんて考えてもいない方にも、ぜひ読んで欲しい内容になってます。

とりあえず、これから出版イベントが既に2つほど企画されていて、そこでも販売しますが、Amazonでも買えます。

でも、いまどき本なんて売れないって言うし、、とりあえず400冊つくったけど、どうなるんだろ?

ま、楽しいから良しとしよう。

恐怖の病

2024-04-04 | 日記


こんなことを書くのも何だが、僕は去年の今頃、癌を宣告された。

盲腸癌という、大腸癌の一種なのだそうだ。

そりゃーもう、ショック死するかと思うぐらいの衝撃が走り、当然の如く治療を始めるべく病院へ通い、手術に向けてのあらゆる検査を受けた。

そして手術までの検査をすべて終え、いざ執刀医が決まったところで、なんと手術をキャンセルしたのである、

別に手術に対してビビった訳ではなく、羽陽曲折いろんな経緯があって、自然療法に切り替えたのだ。

その後、秋ごろに受けた検診で、見事に「癌の疑いなし」という結果が出た。

実はこのブログを始めたキッカケは、たしか当時の流行語大賞で「ブログ」という言葉が入り、何の事だろうとググってみたら、このように公開式の日記のようなモノだと知り、昔から国語が苦手で語彙力が弱い僕は、これを書いていれば多少は良くなるだろうという想いで始めたのだった。

ここ最近はフェイスブックなど身近な方々がリンクされているSNSへと移行していただけに、このブログとは離れてしまっていたが、このブログキッカケで語彙力を身に着ける何気ない努力により、そこそこの文章が書けるようになり、なんとなく将来になったら本でも書いてみようという気持ちが、薄っすらと見栄えてきた中での癌騒ぎ。

そう、
「こんなネタ、本にしない訳にはいかない」となったのだ。

そして去年の秋、自力で癌を克服した時から執筆を開始し、ようやく原稿が完成。

ただ、本なんて書くのは初めてだし、書いた内容が本として成り立っているのかすら分からない。

って訳で、昨日から出版社の方と打ち合わせを開始してみた。

さて、どうなることやら・・・

復活の呪文

2024-02-07 | 日記


一旦CMに入って8年。

最後の投稿をした時あたりから、リアルな知人が沢山登録されているSNSばかり触るようになり、このブログはすっかり放置されていた。

おそらく既に登録している人など存在していないとは思うのだが、先日なぜか思い立って見返していたら、なんだかスッキリしない終わり方をしているので、セルフビルドがどうなったか?という続きを書こうと思う。

確か前回「これからセルフビルド頑張ります」で終わっているのだが、結論から言うと、もう出来た。

耐震基準や耐火基準、図面の描き方をネットで勉強し、製図の完成に約半年。
電気配線、配管の施工には資格者が必要なので、近所のプロに依頼し、足場や基礎コンクリート、クレーン、材料運搬や建て方は、全て知人を呼び、あとはたった一人で、屋根葺き、内壁、外壁、断熱材、キッチンやトイレの組み立てなどなど、仕事の合間で頑張ること約1年半。

そりゃ~もう、自分で言うのも何だが、素敵に出来上がった。
ホントは詳しく書いて、これからセルフビルドをやろうって人の見本にでもなればと、そのスタートを切るような前の投稿だが、みごとに自分を裏切っている。

なによりも8年ぶりの投稿って、もしまだか、まだかと待っていた人がいたとしたならば、すでに高齢化している事だろう。

それにしてもこの8年間、いろんなことがあった。

家が完成した時に、子供も一人増えたし、会社の代表にもなった。
前回書き込んだ〆のセリフに使われた「笑っていいとも」も終わってるし、コロナ騒ぎもあった。

まぁ、とにかく色々あったって事だ。

なにはともあれ、折角なので、復活させてみようと思う。

もう誰も見てないけど・・・


ニックネーム

2011-07-30 | 日記
社会を成形するコミュニティーの中で、相手の名前を呼ぶ時などに親しみを込めてニックネームというものを使う事がある。
例えば英語圏で伝統的に人名として使われている名前でいえば、ロバートをロブやボビー、マイケルをマイク・ミッキー・マイキーなどと短縮形を使う場合であったり、元日本人大リーガーの鈴木投手などはマクドナルドのハンバーガーが大好物な事から「マック」というニックネームを付けられたりと、いわくからくる物であったり、それら理由は様々である。

恐らくそのニックネームは、親しみ度が強いほど使われる頻度が多くなるものなのだろう。

そんな親しみ易いアイテム「ニックネーム」ではあるのだが、先日ちょっとだけそのニックネームに困らされる出来事があった。


僕は以前より自営をしている社業発展のため、とある中小企業家が集まる団体に属し、各地で行われる会社経営に関する勉強会や懇親会などに出掛ける事がある。
これがなかなかの自己啓発になり、雰囲気も良く、とても為になる会だ。

僕は先日その会が主催する定例会に出席する折、造園業を営んでいる幼馴染みの友人にもその会を紹介しようと招待したのだった。

その会は普段からアットホームで、それほど垣根を感じない暖かい雰囲気のある集まりではあるが、月例となっている例会では、いちおう会社社長や取締役員だけで構成されるメンバーが大人数集まるだけあって、少しは気を引き締めて出席しなければならない。

僕もその日は着なれないスーツを羽織い、背筋を伸ばして会場へ向かう。
そしてその途中、招待した幼馴染みと落ち合った。

「こんなカッコで良かったかな・・・もっとちゃんとした方が良かった??」
「いやいや、格好なんてそんなに気を遣わなくていいよ、いもさん」

そう、彼のニックネームは「いも」。

彼とは小学校当時からの友人で、気づいた時には「いもさん」と呼ばれていた。
その由来は、坊主頭にゴツゴツした顔立ちで「男爵芋」に似ていることから付けられたのだろうと、誰に聞かずとも解る事である。

そんな彼と例会会場へ到着すると、さっそく例会が始まった。

その内容は、いち会員が体験・経験した社業に関しての学んだこと、苦労した事など、聴いている側にもやる気を起こさせるような心地よい講演だった。

幼馴染みの彼にも好印象だったようで、この会をいたく気に入ったようだ。
その後、同席したテーブルの会員らとディスカッションを交わし、有意義な時間を過ごした後、ステージにて招待客の方々に自己紹介をしていただこうという計らいの時間が用意してあった。

司会が、その彼の名前を読み上げ、ステージへと催促する。
それと同時に「紹介者の方も・・・」という様に、僕も呼び出された。

ここ最近、人々の前でマイクを持つ機会がわりと多く少しばかりの慣れはあるものの、やはり中小たれど会社のトップに立つ方々が大勢集まっている場だけあり、ここでは緊張をしてしまう。

スーツの方々が会場を埋め尽くすステージ上というのは、誰でもその厳粛な雰囲気に飲まれてしまいがちになっても不思議ではないだろう。

そんな堅苦しい空気の中、僕はその彼の紹介を言葉を選びつつ話し始めた。

「え・・・本日お越しいただいた造園業を営むいもさん・・・いや、クワヤマさんですが・・・」

考えてみれば小学校以来、彼の事を「いも」としか呼んだ事がない。
名字で呼んだ事もなければ、下の名前で呼んだこともない。
非常に歯がゆいのだ。

「・・・といった訳で、いも・・・クワヤマさんは・・・」

このデリケートな御時世、子供に「いも」なんぞというアダナを付けられていたとなれば、ちょっとしたイジメとしてPTAで問題になってもおかしくない。
っていうか、40歳にもなって「いも」はないだろう。
まるで僕が昔に彼をイジメていたようにも取られかねない。

「では、いも・・・い・・・クワヤマさんに自己紹介していただきます・・・」

あぶなかった。
40年間生きてきた中で培った自分の中での当たり前を、緊張感が漂う中で抑えきる難しさをまざまざと思い知ったスピーチだった。

この会における例会という場は、会員の間で「学びの場」として持て囃されている。
そのスピーチは、僕にとってその日一番の学びとなったのは間違いないだろう。

なにはともあれ、その日をさかえに彼も会のメンバーになった。
そして「これから彼をどう呼べばよいのか」という課題も出来た。

ニックネームとは、その人の将来を左右しかねない大切な物である。

しかしながら、小学生とは純粋で残酷な生き物であり、そんな物はおかまいなしだ。
だからこそ、このスピーチの様にそれを打破する大人心が、その後に活躍するのである。


とはいいつつも、残念ながらそんな大人心を無視するかのようなニックネームも存在している。

少し前の事だが、よく遊ぶ後輩達と町中で遭遇した時のこと。
1人の後輩が今までとは全く違うニックネームで呼ばれていた。

「ねぇねぇ、オペってさぁ・・・」
「オペ?」

そういえば、少し前に彼が転職してと聞いたような・・・

「なにかのオペレーターとか、そんな仕事してたっけ??」

何気なく訊いた僕の質問に、一人の後輩がさりげなく答えた。

「なんでオペか?って事?」

「うん」

「包茎手術したんだって」

「・・・オペ?」


子供心を持つ大人は、もっと残酷な生き物なのである。

ニュートラル・ライフ

2010-06-03 | 日記
空が蒼く澄み渡る休日。
少しお洒落をして古いフェアレディZに乗り込み、久々にエンジンへ火を入れる。

しばらく動かせていなかったからなのか、少しばかり乾いた発火音が続いたあと数発の爆発音を経てからエンジンに火がともる。

忘れかけていた轟音が、僕の心を大きく揺さぶる。
しばらく余韻に浸りつつチョークを緩めた左手が、急がんばかりにシフトレバーのギアを入れ、それに続けと手足が勝手にアクセル、クラッチ、ステアリングを操りながら車体を緩やかに動かし始めた。

重低音のサウンドを響かせながら路地を抜け、国道に続く信号が青へと変わると、まるでブラックアウトしたかの如くアクセルを踏み込んだ。

最近お気に入りにしている「THE KILLS」のCDと、L型6気筒エンジンが織り成すハーモニーが、僕の中に宿るロックの魂を呼び覚ます。

「イエー!!!!!! Fuck You !!!!」

そしてフロントガラスの向こうに広がる壮大な海を見渡した次の瞬間、僕はとてもFuckな事実に気が付いた。

「やべっ、車検が切れてる・・・」

僕は早速その足で、バイク屋をやっている知り合いの店へ赴いた。

「うぃっす、久しぶりーっ。突然で悪いんだけど、コイツの車検できる?」
「ちぃーっす。ユタカさんお久しぶりっす。全然OKっすよ」

彼は僕より9つ年下で、キッカケは忘れてしまったが随分前からの知り合いだ。
全身に所狭しとタトゥーが掘ってあり、見かけはワルだがいいやつである。

古い鉄工所だった倉庫を直して使っている店のドアは、スプレー缶を使ったスラッシュアートで彩られ、まるでアメリカのスラム街を彷佛とさせている。
そして店の前には、金髪のおかっぱ頭でマブタあたりにピアスをした若い女の子や、ゴツイ体格でいかにも喧嘩が強そうなタトゥーだらけの男の子。
そしてバイクが多く置かれた倉庫内には、大音量でロックが流れている。

う~ん。。相変わらずワルよのぉ。

しかし店の入り口頭上には、数年前に「バイク屋を始める」と言った彼の為に作ってあげた小さな看板が、さりげなく飾ってあった。
なんだか嬉しい。

それにしても彼は僕と話をする時、昔から口癖のように必ず言う台詞がある。

「ユタカさんって、相変わらずイカレてるっすよ!」

僕はイカレてなどいない。普通のおじさんだ。
それに、どう考えても君の方がイカレている。
と、いいつつも、理由はよく解らないが何となくリスペクトしてくれているようだ。

何はともあれ数年前、ボロいバイクを必死で探しては奇麗に直し、ネットオークションで売れては大喜びして子供のようにハシャいでいた10代の頃の彼を思うと、ボロではあるが広い倉庫を借り、10数台のバイクを並べて忙しそうに仕事をしている彼が、妙にたくましく見えた。

そんなことを想いながら彼のもとに愛車を置いて家路についた僕は、何だか親のように嬉しい気持ちになれたのだった。


数日後、僕は彼からの電話で愛車を取りにいった。

「ユタカさんのこのZ、なんかメッチャ有名じゃないっすか」
「え?知ってる人、来た?」
「みんな知ってますよ。乗ってるユタカさんの事も」

考えてみれば僕は過去にハードなロックのボーカルや、ロックDJとして各地でワルなキッズを相手にハシャいでいた。
どうやらその店に来るようなちょっぴりイカレた若者達の中にも、そのライブやイベントで一緒にハシャいだ子達が多くいたようだ。
そして40歳になろうとしている現在でも、この目立つフェアレディーZに乗り、アフロになったりモヒカン頭になったりと、客観的に観たらアホまっしぐらな僕の姿勢が、この若者達にウケているようである。

「ユタカさん、相変わらずイカレてるっすよ!」

うん。。僕って、すこしイカレているのかもしれない。。
いや、そんな事はない。
最近なんて真面目に仕事のことも考え、中小企業家の集いなどにも積極的に参加してるぐらいだし・・・アフロで。。
いや、アフロは先日卒業した。今はソフトモヒカンだ・・・。。

うん。。イカレてなどいない。。
僕の周りの人々に比べたら可愛いものだ。

普通、バンザイ!

罪と罰

2010-04-15 | 日記
今年で僕は、華の30代を終えてしまう。
俗に言うアラフォーってやつだ。
さらに今年は、前厄でもある。

以前から僕は、縁起や迷信などというものに全く興味を持たず、信じてもいなかった。
それが故に、前厄を迎えた今年も当然の如く厄払いなどという行事に参加していない。
はたしてその判断は、間違っていなかったのだろうか・・・

去年の暮、僕は肋骨を骨折した。
それは以前このブログにも書いた「ゴルフのスイングでポッキリ」事件なのだが、それは間違いなく僕の不注意であり、年明け早々苦しい想いはしていたものの、年を明けていなかっただけに前厄とは関係ないに違いないと思っている。
しかし今明け、前厄のせいにして良いかどうかは考えものなのだが、一つの大きな災難が僕に襲いかかった。
このブログの更新が滞っていたのも、それが原因だといっていいだろう。
約1年前に犯してしまった「浮気」が、バレてしまったのだ。

それはもう大変である。

極寒の真夜中、静まりかえる町中に妻の怒号が響き渡り、僕は泣きながらフローリングで土下座する。
そんな時間をどれだけ過ごしただろうか・・・
しかしこれは僕の不注意であり、ただの事故だ。
詳しい事までは書けないが、やっぱり間違いなく僕が悪い。
僕と接した事がある人なら知っている事なのだが、その直後、僕のヘアスタイルは何故かアフロになった。

その後は異様なまでに忙しい仕事に見舞われて必死に過ごす日々が続き、お陰と云っては何だが、いつの間にか骨折の痛みも和らぎ、浮気も1年以上も前との事で夫婦間も穏便に回復へと向かった。
ちょっとした問題といえば、猛烈に忙しい仕事の合間に出会ったクレーマーさんに悩まされていたぐらいだろう。
そんな事は大したことではない・・・と、思っていた。
しかしそのクレーマーさんは、それ以降も僕を悩まし続けた。
とてもストレシーな日々が続いたのである。

そんな日々がしばらく続いて大量なストレスに包まれていたある日、妻は友達と温泉旅行へ出かけると言い出した。
当然僕に文句など言う余地はなく、旅行代も僕の財布から抜き取られた。

僕は週末にも関わらず、当然のように独りで仕事をする。

「うん。このご時世に忙しいって、めちゃ良い事じゃん」
僕はそう自分に言い聞かせつつ、自分の微弱なモチベーションを持ち上げた。

独り疲れて帰宅した夜、悪魔が僕にささやいた。
詳細はハショらせて頂くが、一人の女性から誘惑されたのだ。
疲れとストレスで思考回路が働かない脳みそと、旅行で妻がいないという一人ぼっちのシュツエーションが僕を間違った方角へと導いていく。

事が済んで冷静さを取り戻した時、大きな恐怖心が僕を包み込んだ。
バレたら殺される。
いや、しかしバレる筈がない。
なにも証拠を残さなければ、完全犯罪間違いなしだ。

翌日、いとも簡単にバレた。

完敗である。
妻の鉄壁なディフェンスの前に、浮気発覚100%。
これほどまでの守備を持ってすれば、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドでさえ突破できないだろう。

前回に増して滅多打ちにされた僕は、その日の夕食はおろか、翌日の朝食、昼食も摂れないほどの満身創痍に陥り、仕事先に向かっていた筈にも関わらず気がつけば富士山のふもとにたたずんでいた。

「わぁー。富士山って大きいなぁ。。」

富士の壮大さに自分の悩みを吹き飛ばしてもらった僕は、そのままUターンして帰宅。
なんとか生還を果たしたのだった。

なにはともあれ、すべては僕の不注意であり、僕が不幸の根源。
タイガー・ウッズが他人とは思えない。

しかしその後、僕のあまりにも酷い凹みっぷりに、いつしか妻も同情し許してくれた。
そんな優しい妻の為にも海より深く改心し、仕事に打ち込む今日この頃。
そんな先週末、僕は色あせていた自分の会社の看板をリペアした。

休日の午後、改心して晴れやかな気持ちで作業をする。
仕事とは違って誰からも代金を貰えない作業ではあるが、それは妻の為でもあり、家族の将来の為でもあり、なにより自分の為でもある。
そう考えれば「休日も何のその」だ。

古い看板を外し、鉄骨を塗り替える。
華麗な職人っぷりの自分に、独り黙々と酔いしれながら作業する。
次に新しく製作した自社の看板を設置。
そして鉄骨に穴を空けながらビスで固定をする。
クラフトワークのプロとして、無駄のない動きで作業は進んだ。
分厚い鉄骨も、インパクトドライバーに固定されたドリルの先端を垂直にあてがい、自分の胸部に全体重を乗せて適度な圧力をかけながら素早く穴を空けていく。
その穴を空けるスピードは、まるで機械のようにスムーズだ。

そして作業ラストの穴を空ける為、ドライバーの後ろを自分の胸板にあてがい、全体重を乗せて圧力をかけたときだった。
「ボキッ」という音と共に、ドライバーが僕の胸にめり込んだ。

・・・肋骨の骨折である。

僕はこの数カ月の間に、2度も浮気がバレて樹海の手前まで追い込まれるほど妻に罵られ、さらに2度も骨折をした。
久々に舞い込んだDJの依頼も断ってしまうほど、心身ともに傷だらけになった。

僕は誓った。
「生まれ変わる」と。
そう、neoユタカになるのだ。

まず手始めに、厄払いにいってみよう。

鉄人の定義

2010-02-07 | 日記
先日、テレビで阪神タイガースの主砲「鉄人金本」がインタビューされている場面を偶然目にした。
金本といえばフルイニング連続試合出場の世界記録を持ち、時には骨折しようとも強行出場してヒットを放つという強靭な肉体と不屈の精神力を持つ人物である。
まさしく「鉄人」というニックネームが日本一似合う男といっても過言ではないだろう。
そんなインタビューの中で「怪我をしないコツは何ですか?」という問いに対し、鉄人金本はこのように答えていた。

「怪我は、怪我と思った時点から怪我になるのです」

すばらしい・・・
ドラゴンズファンの僕ではあるが、この瞬間から大の金本ファンになった。

確かに「怪我」の定義は曖昧で、これといって定められたモノはない。
しいていえば、医者から何らかの診断をされれば「怪我」と言ってもいいだろう。
しかし「スリキズ程度では怪我をしたうちに入らない」という考え方があったとすれば、金本のように「肉離れ」をしたとしても、痛いのを我慢し打席に立ち続け、そのまま治ってしまえば怪我をした事にはならない。
それどころか骨折さえも怪我とは認めず、そのまま打席に立ち続け、何も無かったかのように治してしまえば、骨折を怪我どころか「骨が痛い」程度に終わらせてしまう事が出来てしまうというのだ。
さすが鉄人。
ここまでくるとアホである。
いや、冗談でもそんなことを言えないほど尊敬すべき根性である。

この鉄人の名言は病気などに対しても当てはめる事が出来るだろう。

とある医者が、こんな事を言っていた。
「『風邪』という医学的病名は無い」
ようするに「風邪」にも定義が無いのだ。
多少の微熱程度なら「疲れが溜まっているだけ」と考え、インフルエンザのようなウィルス性の風邪じゃない限り普段通りの生活をし続けてしまえば、風邪をひいた事にはならない。

これを同じと言っていいのかは分からないが、僕にもこんな体験がある。
数年程前までの僕は「肩こり」というものを知らなかった。
しかしある日、散髪後に軽くマッサージをしてくれる美容師さんから「肩、こってますね」という言葉を言われてから、それまでは「今日は腕がダルいなー」程度にしか思っていなかった何でもない違和感が「肩こり」になってしまったのだ。
どこからが肩こりか?という定義がなかった為に、他人の言葉によってその瞬間から自分の中で「肩こり」と決めてしまったのである。

ここまでの流れを考慮すると、鉄人の言葉から一つのキーワードが見えてくる。

「定義の無い言語の基準は、自己の判断に委ねられる」という事だ。

という事は、このような場面にも当てはめる事が出来る。

以前、ある女の子からこんな質問をされた。
「どこからが浮気だと思う?」
この質問には、恐らく人それぞれ色々な答えが出てくるだろう。

「デートしたら」
「キスしたら」
「SEXしたら」
「相手にバレたら」

このような回答からも、浮気には定義が無い事がわかる。
という事は、

「浮気は、自分が『浮気』と思った時点から浮気になる」

と、当てはめられるのだ。

「浮気なんてしてないわよ。ただ、一緒にゴハンを食べに行っただけなの・・・」
「成り行きでキスをしてしまっただけで、浮気なんてしてないぞ」
「気付いたら裸で抱き合ってて、知らないうちに彼のオチンチンが私の中に入ってただけで浮気なんてしてないもんっ」

そう、法で何らかの裁きが無い限り「浮気」にも人それぞれ違った定義があるのだ。

以前、無類の女好きなヒロ君と飲みに行った先で、このような会話のやりとりがあった。

「ヒロ君は、どこからが浮気だと思う?」

「中で出したら」

ようするに、彼も「鉄人」なのである。

アホの限界

2010-02-01 | 日記
ちょっと前、親友のマーくんを中心に地元でクラブイベントが行われた。

地元で行われる自ら主催するイベントや身近な友人が主催するイベントは、昔からの知り合いが大勢集まって和気あいあいとした雰囲気がとても心地よく、僕にとっては楽しみな行事の一つである。

先当たってマーくんからイベントの宣伝を頼まれていた事もあり、周りの友人にも声をかけたが残念ながら仕事が入っていたり風邪をひいていたりと、僕がDJをしないという事もあってか殆どの友人は来ていなかった。
しかし会場は、お客さんの数が多過ぎず少な過ぎずで心地よい賑わいを魅せ、とても楽しい空間が出来上がっていた。
普段はあまり飲まない事もあって運転手になる事の多い僕ではあるが、たまたま友人に送迎してもらえるという事もあり、久しぶりにビールを飲む事にした。
とはいうものの僕は非常にお酒が弱いので、一杯で充分に酔っ払いになれる安上がりな人なのだ。

そんなこんなで酔っぱらった僕が踊っていた時、一人の女の子から電話が入った。

「なんか大きい音が聞こえるけど、どこで遊んでるの~?」
「あ、友達のイベントだよ」
「えー!聞いてないよ!誘ってよー!」
「あれ?仕事じゃないの?」

電話の相手はハナちゃん。
ここらでは、ちょっと有名なキャバ嬢だ。
タトゥーが体中に入っているものの、モデルのような体型と男ウケばっちりな顔、そしておちゃめな喋り方と天然っぽい話し方が男心をくすぐり、どこの店へ行っても人気抜群。
そして女の子の面倒見もいい事から他のキャバ嬢からも慕われていて、ローカルではあるがキャバ嬢の中ではちょっとしたカリスマ的な存在である。

そんなキャバな子なのだが、どうやら出勤途中の車の中で急に店へ出るのが嫌になり、Uターンして帰ってきたものの、する事がないので僕に電話をしてきたのだ。

「今から行くーっ」
「そんな理由で店を休むなよ・・・」

しばらくすると、お店に出る格好なのか可愛らしい服装で現れた。

「可愛いじゃん」
「あたりまえー」

そんな派手な女の子なのだが意外にも人見知りが激しく、僕の友人が大勢いる中でもいつもなかなか輪に入れない。
その為か頑張ってお酒を飲むものの、幸か不幸かお酒が非常に強く、いつまで経っても酔いが廻らずにずっと僕の近くでモジモジしていた。

「可愛いじゃん」
「うるさい」

そんなシャイな一面を覗かしながらモジモジするハナちゃんの手元を見ると、携帯がメールを受信しまくっているのに気が付いた。

「ほっといていいの?」
「いいよー、お客さんだから」

さすが人気キャバ嬢だけあって夜中だろうと頻繁に常連客からメールが入ってくる。
そして働いているお店がクラブっぽい所だからか、そのメールの相手も会社の重役や起業家など、ある程度の地位やお金を持った人が多いのだそうだ。
そんな中、いくつかそのメールを僕に見せてくれた。

「この人はねー、ぞのさんっていって、40歳過ぎで起業してウエディングプランナーやってる人なんだけど、結構仕事が出来る人みたいでお金も持ってるから常に指名してくれるしワガママも聞いてくれてすっごくイイお客さんなんだー」


題名「ハナちゃんえ」
本文「ぞのチャンだぴょん。こんどわ、いちゅお店に出るなりかぁ~????」


なんてこった。

ある程度仕事で成功し、その副産物で小金持になった人が少しぐらいキャバクラなどの飲み屋で若い女の子をからかいながら飲んでいても、軽いご愛嬌といったところだろう。
しかし何だ、このメールは。
少なからず会社内では人の上に立ち、若手社員の手本となるべきオッサンが、キャバ嬢と云えど年頃の女の子に向かって「だぴょん」とは何たる事。
こんな事だから世間の若い女子達がオジサンを馬鹿にするようになるのだ。

と思いつつも、面白くて笑いが止まらないメールのオンパレード。
そしてそれは、役職や地位が高いほど面白い。
そんな貴重なメールを見ておいて言うのは何だが、恐らくこうやってスキャンダルな記事などが生まれてくるのだろう。

壁に耳あり、クロード・チアリ。

最もプライベートで癒される空間だからと思っていても、油断は禁物。
そこに第三者が存在すれば、誰に見られ、どこにそんな恥ずかしい醜態が漏れるか解ったものではない。

アホな大人が悪いとは思わない。僕もその一人だ。
何よりコスプレした時のハナちゃんの写メを見せてもらい、萌えっとしてしまったほどである。。
しかし、これだけは心得ているつもりだ。

アホにも節度があるって事を。