普段アホな事ばかりで盛り上がっている僕ではあるが、こう見えてもいちおう写真家である。
自宅に暗室を作り、自家現像研究会「New Collar」と称したアマチュア写真家チームを結成して愛知芸術文化センターを始めとした各地で写真展なども開催。コンテストなどには出品しなかったものの、全盛期には日本写真協会の方々から賞賛され、駆け出しにも関わらず雑誌などの「オススメギャラリー」で紹介されるなどをして来客数も多く、ファンになってくれた人達も少なくはなかった。
しかし、あまりの向上心の無さから何となく衰退し、廃墟写真のブーム到来などで何故かモチベーションも急降下。
いつしか写真展の数も減り、ファンになってくれた方々を裏切ってしまうが如く、他の遊びへ夢中になっていってしまったのである。
それ以来、僕はファインダーを覗く事さえ少なくなっていってしまった。。
そんなダメダメ経歴ではあるのだが、不思議と未だにファンがいて、僕を「師匠」と持ち上げてくれている写真家も何故か数名いたりする。
そのような方々が勝手に僕をヨイショしていたからなのか、半年ほど前に再びカメラを手にする機会が訪れた。
去年、文芸社から出版された一冊の詩集。
『きみがすき。それだけで いい?』
そらsora/著 ・ トーノユタカ/Photo
なんと、恋愛写真詩集です。
僕は以前から上部にアップした写真のように、モノクロの廃墟写真や工場写真など、とても一般ウケするような写真など撮っていなかった。
自分で言うのはなんだが、ちょっぴりマニアな一部の変態が喜ぶような写真ばかりだ。
そんな僕に、なぜこのようなオファーが来たのか?
はい、この詩を書いたのが、そのちょっぴり変態な女の子だったからです。
正直、僕はポートレートやポップなイメージのアイデアなど持ち合わせてないが故に、恋愛詩集などというこのオファーを渋っていた。
しかし、詩の内容を読んで気持ちは一変。
「yes」と言わされたのである。
簡単に言ってしまえば「女好きの男に夢中になってしまった一人の女の子」という図式が成り立ってしまうような「イタい恋愛」を綴っている詩の数々。
しかしその中に書き綴られた言葉には、一人の女の子の想いが痛いほどリアルに書き込まれ、それら一つ一つが僕の心へ深く響き渡った。
詩に詳しい訳ではないのだが、とにかく「すごい」と思わされたのだ。
読み終わった僕は、言葉が出なくなっていた。
もしそのとき無理矢理に言葉を発していたならば、soraに対して「今日のパンティー何色?」ぐらいに訳の分からないセリフを吐き、田代まさしの様になっていたに違いない。
なんせ僕は緊張すると下ネタが出るヘキがある。
そんな事はどーでもイイとして・・・
とにかく僕はその時“こんなに素晴らしい物を引き出しの奥に入れておくのは非常にもったいない”とまで思ったのだ。
しかし文芸社といえば、現在話題になっている「A型自分の説明書」などの血液型別自分の説明書シリーズなど、数々の話題作を生み出す出版元。
しかもその審査に厳しいハズの文芸社から、簡単に書籍化が決定したほどの代物だ。
いや、きっとその詩を見せられたら、よほどの人ではない限り審査をパスするだろう。
それほどまでに、心に響く詩なのだ。
僕なんかで良いのだろうか?
まぁ、なにはともあれ、それから野となれ山となれ。
僕はその詩が少しでも彼女の想う理想的なカタチになるよう、その詩を心に刻み、錆び付いた腕を解しつつファインダー越しにsoraを追った。
そして自分が持つ全てのセンスで、詩の中にいるsoraの映像をネガに刻み込んだ。
そして、ついに出来ました。
予想以上の出来です。
さすがsora。
幼くもあり、それでいて大人になろうとする何の変哲もない24歳の女の子が体験する一つの恋愛。
現実を知りつつも、純粋な心に揺れ動く様々な葛藤の中で、彼女は何を想い、どう生きようとするのか。
そんなsoraが過ごしたひとときの気持ちが、現在の女の子の持つ大胆で荒削りな感性によって、とてもリアルに表現されている。
うん、ヤバいです。
と、ここまで書いておいてなんですが、さきほどアマゾンで検索してみたところ、在庫があと2冊しかないとの事です・・・
欲しい人は頑張って探してみて下さい。
ちなみに、、僕の所に数冊残っていますよ。。
どーでもいいですね・・・
自宅に暗室を作り、自家現像研究会「New Collar」と称したアマチュア写真家チームを結成して愛知芸術文化センターを始めとした各地で写真展なども開催。コンテストなどには出品しなかったものの、全盛期には日本写真協会の方々から賞賛され、駆け出しにも関わらず雑誌などの「オススメギャラリー」で紹介されるなどをして来客数も多く、ファンになってくれた人達も少なくはなかった。
しかし、あまりの向上心の無さから何となく衰退し、廃墟写真のブーム到来などで何故かモチベーションも急降下。
いつしか写真展の数も減り、ファンになってくれた方々を裏切ってしまうが如く、他の遊びへ夢中になっていってしまったのである。
それ以来、僕はファインダーを覗く事さえ少なくなっていってしまった。。
そんなダメダメ経歴ではあるのだが、不思議と未だにファンがいて、僕を「師匠」と持ち上げてくれている写真家も何故か数名いたりする。
そのような方々が勝手に僕をヨイショしていたからなのか、半年ほど前に再びカメラを手にする機会が訪れた。
去年、文芸社から出版された一冊の詩集。
『きみがすき。それだけで いい?』
そらsora/著 ・ トーノユタカ/Photo
なんと、恋愛写真詩集です。
僕は以前から上部にアップした写真のように、モノクロの廃墟写真や工場写真など、とても一般ウケするような写真など撮っていなかった。
自分で言うのはなんだが、ちょっぴりマニアな一部の変態が喜ぶような写真ばかりだ。
そんな僕に、なぜこのようなオファーが来たのか?
はい、この詩を書いたのが、そのちょっぴり変態な女の子だったからです。
正直、僕はポートレートやポップなイメージのアイデアなど持ち合わせてないが故に、恋愛詩集などというこのオファーを渋っていた。
しかし、詩の内容を読んで気持ちは一変。
「yes」と言わされたのである。
簡単に言ってしまえば「女好きの男に夢中になってしまった一人の女の子」という図式が成り立ってしまうような「イタい恋愛」を綴っている詩の数々。
しかしその中に書き綴られた言葉には、一人の女の子の想いが痛いほどリアルに書き込まれ、それら一つ一つが僕の心へ深く響き渡った。
詩に詳しい訳ではないのだが、とにかく「すごい」と思わされたのだ。
読み終わった僕は、言葉が出なくなっていた。
もしそのとき無理矢理に言葉を発していたならば、soraに対して「今日のパンティー何色?」ぐらいに訳の分からないセリフを吐き、田代まさしの様になっていたに違いない。
なんせ僕は緊張すると下ネタが出るヘキがある。
そんな事はどーでもイイとして・・・
とにかく僕はその時“こんなに素晴らしい物を引き出しの奥に入れておくのは非常にもったいない”とまで思ったのだ。
しかし文芸社といえば、現在話題になっている「A型自分の説明書」などの血液型別自分の説明書シリーズなど、数々の話題作を生み出す出版元。
しかもその審査に厳しいハズの文芸社から、簡単に書籍化が決定したほどの代物だ。
いや、きっとその詩を見せられたら、よほどの人ではない限り審査をパスするだろう。
それほどまでに、心に響く詩なのだ。
僕なんかで良いのだろうか?
まぁ、なにはともあれ、それから野となれ山となれ。
僕はその詩が少しでも彼女の想う理想的なカタチになるよう、その詩を心に刻み、錆び付いた腕を解しつつファインダー越しにsoraを追った。
そして自分が持つ全てのセンスで、詩の中にいるsoraの映像をネガに刻み込んだ。
そして、ついに出来ました。
予想以上の出来です。
さすがsora。
幼くもあり、それでいて大人になろうとする何の変哲もない24歳の女の子が体験する一つの恋愛。
現実を知りつつも、純粋な心に揺れ動く様々な葛藤の中で、彼女は何を想い、どう生きようとするのか。
そんなsoraが過ごしたひとときの気持ちが、現在の女の子の持つ大胆で荒削りな感性によって、とてもリアルに表現されている。
うん、ヤバいです。
と、ここまで書いておいてなんですが、さきほどアマゾンで検索してみたところ、在庫があと2冊しかないとの事です・・・
欲しい人は頑張って探してみて下さい。
ちなみに、、僕の所に数冊残っていますよ。。
どーでもいいですね・・・