人生は本当に迷いっぱなしです。
ぐるぐると回って、
近道なのか遠回りなのか、
はたまた立ち止まったまま動けなくなっているのか、
そもそも自分の立ち位置はどこなのか、
どこを目指していたのかすら忘れ果て、
気づけばまた元の場所に戻ってきてしまうわけです。
しかも、
元の場所は条件が悪くなる一方という状況の中で。
なんなんでしょうね、
疑問とか、
不満とか。
自分の中ではとっくに答えは出ているのに、
それは夢幻だと思いこんでしまうのです。
今年も結局、
彼女はできませんでした。
小説も書かずじまいで、
未完どころか手付かずで終わりそうです。
ネペンテス栽培記は毎日書いているのですが、
いつも途中で寝おちし、
翌日には、
その後なにを書けばいいかまったくわからなくなるという、
冗談だろみたいなことが続いています。
これが大人になったってことでしょうか。
この、
自分の無力さと無能さを知ることが、
成長したということなのでしょうか。
違うよって鼻で笑う人もいるかもしれません。
自分の力量をまず見極めることが、
第一歩のうんぬんかんぬんという話しもあるかもしれません。
でも、
それが一種の答えだと思うんですよね。
成長だと思ってたことが、
衰えだと気づいてしまうことこそが、
大人になるということなわけですよ。
現実が見えてしまったんですね。
結局、
毎日が同じことの繰り返しで、
そこに途方もない飽きと、
どうしようもない諦めだけになっちゃってるわけですよ。
世の中はとか、
世界から見ればとか、
普通の人はとか、
一般的にとか、
そういう物差しの中でしか生きられない中で、
人と違うことをやろうとすることが、
いかに無意味で、
そこにいかに価値を見出すかに、
どれだけの労力を消費できるか、
もう夢なんてのはそんな扱いで、
その程度の代物に成り下がってしまったわけです。
夢は宝くじを当てることなんて、
その象徴ですよ。
宝くじが当たったら、
なんて夢を語ったりしますが、
それは夢じゃなくて願望です。
夢と願望はどっちも同じと言われればそれまでですが、
私が声を大にして言いたいのは、
夢を語るというのは、
本来はプロセスについて公表することであり、
もし叶ったらなんて話しではないということです。
夢は宝くじを当てることだったら、
いかに当てるために努力したか、
宝くじの当選金額を上回る投資をしてまで、
当てにいったか、
そういうことなわけです。
じゃあその資金はどこから調達するかとか、
そういうのを語るのが夢なわけです。
いかに宝くじが夢なんてのが無意味か、
ここらで気づく必要があります。
そう考えると、
タバコをやめるだとか、
酒を控えるだとか、
ギャンブルを卒業するだとか、
人付き合いを減らして勉強時間を増やすだとか、
私は酒もタバコもやりませんが、
それらに何の意味があるか、
もう一度考える段階にきていると思うわけですよ。
節約とか貯金とか、
仕事を頑張るだとか家族サービスの時間を増やすとか、
それになんの意味があるか、
もう一度見つめなおすのもありだと思うんですよ。
これは物事を否定することではなく、
悪習と良い慣習を見直すことにより、
より深く感情と思考を伴って行動できるということです。
頭はクールに心はホットにってやつです。
で、
私はやはり、
物書きかなって思ったんですよ。
いい人見つけて、
人並みの幸せを夢見たり、
お金を集めて、
豪遊をする願望を持ってみたり、
ぐーたらと毎日を過ごす、
退屈な日常に憧れてみたり、
色々と欲望はつきないですが、
もしそうなったとして、
その時に続けているものがあるとすれば、
私は読書だと思うんですよね。
で、
本を読み続けていると、
自分で書いてみたくなる。
実際に書いて見ると、
人に読んでもらいたくなる。
読んでもらって感想を聞くと、
また違う書き方をしてみたくなる。
結局、
振り出しに戻ってきてしまうわけですよ。
なんでそれができないか、
私の結論は一つ。
それは、
言い訳
ですよ。
こんな簡単なことが認められないから、
誰もが苦しむんですよね。
みんな本当はわかっているんです、
ただ実行さえしていれば、
ちょっとは違う未来になってたかもしれないってことは。
夢を追っかけろと言うと、
独立しろとか、
今の生活を投げ出せとか、
なんかそういう極端な話しが必ず出てきますが、
もうそういう考えは引退する時期です。
夢を追うということは、
言い訳をしないことであると、
大人として割り切って生きていくべきです。
というわけで、
今日から、
本を読むことにしました。
それも大量に。
こんだけ言って書かないのかいって感じですが、
なんか、
それが書くということじゃなんじゃないかと、
ここにきてふと思ったんですよね。
時間はあまり取れそうにないし、
睡魔には勝てそうもありませんが、
それはしょうがない。
ただ、
それは言い訳ではないんですよねきっと。
事実は事実として認め、
その中で、
自分とどう折り合いをつけるか。
そこで、
まあしょうがないかと割り切って、
取り合えず本を読もうとイスに座り、
ページを開いた瞬間から、
人生が動き出すのです。
ぐるぐると回って、
近道なのか遠回りなのか、
はたまた立ち止まったまま動けなくなっているのか、
そもそも自分の立ち位置はどこなのか、
どこを目指していたのかすら忘れ果て、
気づけばまた元の場所に戻ってきてしまうわけです。
しかも、
元の場所は条件が悪くなる一方という状況の中で。
なんなんでしょうね、
疑問とか、
不満とか。
自分の中ではとっくに答えは出ているのに、
それは夢幻だと思いこんでしまうのです。
今年も結局、
彼女はできませんでした。
小説も書かずじまいで、
未完どころか手付かずで終わりそうです。
ネペンテス栽培記は毎日書いているのですが、
いつも途中で寝おちし、
翌日には、
その後なにを書けばいいかまったくわからなくなるという、
冗談だろみたいなことが続いています。
これが大人になったってことでしょうか。
この、
自分の無力さと無能さを知ることが、
成長したということなのでしょうか。
違うよって鼻で笑う人もいるかもしれません。
自分の力量をまず見極めることが、
第一歩のうんぬんかんぬんという話しもあるかもしれません。
でも、
それが一種の答えだと思うんですよね。
成長だと思ってたことが、
衰えだと気づいてしまうことこそが、
大人になるということなわけですよ。
現実が見えてしまったんですね。
結局、
毎日が同じことの繰り返しで、
そこに途方もない飽きと、
どうしようもない諦めだけになっちゃってるわけですよ。
世の中はとか、
世界から見ればとか、
普通の人はとか、
一般的にとか、
そういう物差しの中でしか生きられない中で、
人と違うことをやろうとすることが、
いかに無意味で、
そこにいかに価値を見出すかに、
どれだけの労力を消費できるか、
もう夢なんてのはそんな扱いで、
その程度の代物に成り下がってしまったわけです。
夢は宝くじを当てることなんて、
その象徴ですよ。
宝くじが当たったら、
なんて夢を語ったりしますが、
それは夢じゃなくて願望です。
夢と願望はどっちも同じと言われればそれまでですが、
私が声を大にして言いたいのは、
夢を語るというのは、
本来はプロセスについて公表することであり、
もし叶ったらなんて話しではないということです。
夢は宝くじを当てることだったら、
いかに当てるために努力したか、
宝くじの当選金額を上回る投資をしてまで、
当てにいったか、
そういうことなわけです。
じゃあその資金はどこから調達するかとか、
そういうのを語るのが夢なわけです。
いかに宝くじが夢なんてのが無意味か、
ここらで気づく必要があります。
そう考えると、
タバコをやめるだとか、
酒を控えるだとか、
ギャンブルを卒業するだとか、
人付き合いを減らして勉強時間を増やすだとか、
私は酒もタバコもやりませんが、
それらに何の意味があるか、
もう一度考える段階にきていると思うわけですよ。
節約とか貯金とか、
仕事を頑張るだとか家族サービスの時間を増やすとか、
それになんの意味があるか、
もう一度見つめなおすのもありだと思うんですよ。
これは物事を否定することではなく、
悪習と良い慣習を見直すことにより、
より深く感情と思考を伴って行動できるということです。
頭はクールに心はホットにってやつです。
で、
私はやはり、
物書きかなって思ったんですよ。
いい人見つけて、
人並みの幸せを夢見たり、
お金を集めて、
豪遊をする願望を持ってみたり、
ぐーたらと毎日を過ごす、
退屈な日常に憧れてみたり、
色々と欲望はつきないですが、
もしそうなったとして、
その時に続けているものがあるとすれば、
私は読書だと思うんですよね。
で、
本を読み続けていると、
自分で書いてみたくなる。
実際に書いて見ると、
人に読んでもらいたくなる。
読んでもらって感想を聞くと、
また違う書き方をしてみたくなる。
結局、
振り出しに戻ってきてしまうわけですよ。
なんでそれができないか、
私の結論は一つ。
それは、
言い訳
ですよ。
こんな簡単なことが認められないから、
誰もが苦しむんですよね。
みんな本当はわかっているんです、
ただ実行さえしていれば、
ちょっとは違う未来になってたかもしれないってことは。
夢を追っかけろと言うと、
独立しろとか、
今の生活を投げ出せとか、
なんかそういう極端な話しが必ず出てきますが、
もうそういう考えは引退する時期です。
夢を追うということは、
言い訳をしないことであると、
大人として割り切って生きていくべきです。
というわけで、
今日から、
本を読むことにしました。
それも大量に。
こんだけ言って書かないのかいって感じですが、
なんか、
それが書くということじゃなんじゃないかと、
ここにきてふと思ったんですよね。
時間はあまり取れそうにないし、
睡魔には勝てそうもありませんが、
それはしょうがない。
ただ、
それは言い訳ではないんですよねきっと。
事実は事実として認め、
その中で、
自分とどう折り合いをつけるか。
そこで、
まあしょうがないかと割り切って、
取り合えず本を読もうとイスに座り、
ページを開いた瞬間から、
人生が動き出すのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます