呑んで呑まれて
私、お酒の席でまたやってしまいました。
ここまでくると
もういいかなと思う今日この頃
いかがお過ごしでしょうか。
ある晴れた日
第六回をお届けしたいと思います。
気づけばもう10月の中旬ですね。
どうでしょう、夢の進行具合は。
私の経験則でいきますと
もうとっくに投げ出してるころではないでしょうか。
かく言う私も
その一人です。
私の夢
電撃小説大賞。
もう締め切りまで
実質半年をきりました。
私の最初で最後かもしれない挑戦も
あと半年で
泣いても笑ってもってことになります。
ある晴れた日
立ち上げ時に掲げた夢は
意外とあっけなく達成できました。
本来ならば
次のステップに移行
となるのでしょうが
いかんせん
モチベーションがあがりません。
原因は
何をするにも言い訳ばかり
だからなのかもしれません。
仕事が忙しいから
仕事で疲れてるから
休みがあれば
ヒマさえあれば
結局、仕事を言い訳に逃げているからでしょう。
そんな状態で休みに突入しても
1日ゴロゴロしてるだけで
いいんだ、休むのも必要だ
なんてまた言い訳して
何もしない日々。
そんな日常から脱却するために
ブログを立ち上げたのではなかったのか。
そんな私にも、ついに目を醒ます時がやってきたようです。
難しいテーマで
今まで避けてきたのですが
今日のテーマは
生と死
です。
私は最近、それを自問自答する出来事がありました。
目が見えることを、当然だと思ってないか。
耳が聞こえることを、当然だと思っていないか。
歩けることを、当然だと思ってないか。
生きてることを、当たり前だと思ってないか。
その出来事とは
ぎっくり腰
です。
普段の私なら、笑い話に持っていくのでしょうが
小説を書き、哲学的な思考を心がける私には、
まさに晴天の霹靂でした。
痛みを抑えながら仕事をしていたのですが
日常業務であった私の担当の仕事は
まず満足にできなくなりました。
冷静に考えると、ゾッとする出来事です。
これで本格的な体が資本の業務に回されれば
言葉はアレですが
私は使い物になりません。
それは会社を去ることを意味しており
仕事がなく、仕事ができる状態ではないのだから
実質的な収入は0になるでしょう。
(表現や考え方に間違いがあるのは承知してますが
何もできずにイスに座るしかなかった私個人の
その時の率直な感情なので、不快に思われた方に対して
あらかじめお詫び申し上げます)
幸い、私の会社は寛容で
通院を業務時間中であっても許可してくれましたが
(給料計算はもちろん会社にいた時間分なのでマイナス)
通常でも金銭的にギリギリなので
頼る親もいない生活であったならば
私はどうなっていたでしょうか。
その日は、晴れた空を見ていました。
普通に立ち上がり、普通に歩き出してた自分が
なんという不自由ない生活であったか。
今、
腰が痛くなければ
アレもできたのに。
コレもできたのに。
こんなこと、頼まずともできたはずだったのに。
これから、ずっと続いたらどうしよう。
後悔ばかりです。
食生活の乱れ
夜更かしの連続での睡眠不足
つまんないことに苛立ち
ストレスばかりためる日々。
いい加減な生活で
体にガタがきたのでしょう。
原因不明の胸の鋭い痛みや
足に痛みのようなかゆみのような違和感で夜に目が覚めたり
汚い話しで恐縮ですが、小の色がおかしかったり。
異常に気づいても、もはや後戻りできなくなった時
初めて後悔するのでしょうが、それでは遅いかもしれないのです。
後悔しない人生なんて
私的には空想のような話しなのですが
それでも、ある言葉を心がければ
もしかしたら、それに近い人生が送れるかもしれません。
「死に方がわかれば、生き方がわかる」
という言葉は、ご存知だったでしょうか。
深いようで、実に単純で
それでいて、聞く人が聞くと、心に響く言葉。
つまり
死ぬ瞬間がわかれば
自分が今、何をすべきかがわかる(考えれる)。
ただ慢性的に日常を送る私への
最高の訓戒です。
では、死ぬ時がわからなければ
どうすればいいのでしょうか。
一番は、後悔しない生き方です。
肩に乗せた鳥の話しはご存知でしょうか。
目に見えない鳥を肩に乗せ
生活するというものです。
鳥は、その人が死ぬ日の朝
そのことを告げてくれます。
その時に
それを笑って受け入れる人生を歩みなさいというものです。
もしかしたら違うかもしれませんが。
死は等しく訪れるものなので
これは非常に深いと思います。
もちろん
笑って死を受け入れろ
そのように生きろという
ムチャ振りの話しではありませんよ。
毎朝
今日、私は生きていられるか、と鳥に聞き
無言の鳥を肩に乗せて生きる。
要は
「その日その日を精一杯生きる」
というお話しです。
目先だけのこと(鳥)に囚われず
かと言ってただなんとなく過ごす(生きる)のでもなく
どうせだから
楽しく、目標を持って生きようよ
というふうに解釈しました、私は。
ちなみに、私は生まれつき片耳が聞こえません。
友達数人と並んで歩いての会話や
人ごみや雑音の中での会話がどれほど困難か
実際に体験しないとわかりづらいでしょう。
そういう意味で
目が見えることを、当然だと思ってないか。
耳が聞こえることを、当然だと思っていないか。
歩けることを、当然だと思ってないか。
生きてることを、当たり前だと思ってないか。
と書かせていただきました。
時事ネタには触れないようにしていましたが
私の労働環境は
よく話しに出るような過酷な環境ではありません。
ただ
単純に給料だけ見れば
ワーキングプアの部類に入るかもしれません。
(実働時間に対して)
アパート代を払って
食費を削って
光熱費
通信費(携帯など)
その他雑貨(ティッシュとかトイレットペーパーとか)
を支払っていくと
手元に残るのは
2万~3万くらいです。
多いのか少ないのかわかりませんが
月々に貯金できるのは1万5千円くらいでしょうか。
残ったお金は
本やマンガを買って
あとは飲みに行って帰ってくればほとんどなくなるので
貯金を切り崩す月も多々あります。
生活の備品の故障など
何か突発的なことがあれば
一瞬で私の生活は崩壊してしまうかもしれません。
娯楽用品は
スロットなど、ギャンブルで勝った時しか買えません。
ギャンブルできるならまだいいと感じますが
それでも食事を抜いたりしたお金です。
貧乏だと感じたことはありませんが
他で働く友人たちに
お前はかなり幸せな方だと言われると
今の日本はどうなっているのだろうと考えさせられます。
今の状態で、万が一結婚でもしようものなら
間違いなく親の協力が必要です。
私的には、そこに絶望を感じてしまいます。
大変身勝手な話しですが。
夢があるだけいい
と言われたことがありますが
本当の意味は
夢を見れる環境にあるだけでいい
ということだったのかもしれません。
私の手元にはパソコンがありますので
いろんな可能性が広がっています。
何とか
ビジネス書を買って読める時間とお金もあります。
趣味の時間も
30分~1時間は取れます。
ある晴れた日に
夢を決心できた私は
本当に幸せだったのかもしれません。
すいません
話しがいつの間にか生きる目標みたいになってましたね。
腰が痛くて飯も満足に食えず
ブログを書いて痛みを忘れようぐらいしか
やることがありません。
ぎっくり腰。
ぜひお気をつけください。
私、お酒の席でまたやってしまいました。
ここまでくると
もういいかなと思う今日この頃
いかがお過ごしでしょうか。
ある晴れた日
第六回をお届けしたいと思います。
気づけばもう10月の中旬ですね。
どうでしょう、夢の進行具合は。
私の経験則でいきますと
もうとっくに投げ出してるころではないでしょうか。
かく言う私も
その一人です。
私の夢
電撃小説大賞。
もう締め切りまで
実質半年をきりました。
私の最初で最後かもしれない挑戦も
あと半年で
泣いても笑ってもってことになります。
ある晴れた日
立ち上げ時に掲げた夢は
意外とあっけなく達成できました。
本来ならば
次のステップに移行
となるのでしょうが
いかんせん
モチベーションがあがりません。
原因は
何をするにも言い訳ばかり
だからなのかもしれません。
仕事が忙しいから
仕事で疲れてるから
休みがあれば
ヒマさえあれば
結局、仕事を言い訳に逃げているからでしょう。
そんな状態で休みに突入しても
1日ゴロゴロしてるだけで
いいんだ、休むのも必要だ
なんてまた言い訳して
何もしない日々。
そんな日常から脱却するために
ブログを立ち上げたのではなかったのか。
そんな私にも、ついに目を醒ます時がやってきたようです。
難しいテーマで
今まで避けてきたのですが
今日のテーマは
生と死
です。
私は最近、それを自問自答する出来事がありました。
目が見えることを、当然だと思ってないか。
耳が聞こえることを、当然だと思っていないか。
歩けることを、当然だと思ってないか。
生きてることを、当たり前だと思ってないか。
その出来事とは
ぎっくり腰
です。
普段の私なら、笑い話に持っていくのでしょうが
小説を書き、哲学的な思考を心がける私には、
まさに晴天の霹靂でした。
痛みを抑えながら仕事をしていたのですが
日常業務であった私の担当の仕事は
まず満足にできなくなりました。
冷静に考えると、ゾッとする出来事です。
これで本格的な体が資本の業務に回されれば
言葉はアレですが
私は使い物になりません。
それは会社を去ることを意味しており
仕事がなく、仕事ができる状態ではないのだから
実質的な収入は0になるでしょう。
(表現や考え方に間違いがあるのは承知してますが
何もできずにイスに座るしかなかった私個人の
その時の率直な感情なので、不快に思われた方に対して
あらかじめお詫び申し上げます)
幸い、私の会社は寛容で
通院を業務時間中であっても許可してくれましたが
(給料計算はもちろん会社にいた時間分なのでマイナス)
通常でも金銭的にギリギリなので
頼る親もいない生活であったならば
私はどうなっていたでしょうか。
その日は、晴れた空を見ていました。
普通に立ち上がり、普通に歩き出してた自分が
なんという不自由ない生活であったか。
今、
腰が痛くなければ
アレもできたのに。
コレもできたのに。
こんなこと、頼まずともできたはずだったのに。
これから、ずっと続いたらどうしよう。
後悔ばかりです。
食生活の乱れ
夜更かしの連続での睡眠不足
つまんないことに苛立ち
ストレスばかりためる日々。
いい加減な生活で
体にガタがきたのでしょう。
原因不明の胸の鋭い痛みや
足に痛みのようなかゆみのような違和感で夜に目が覚めたり
汚い話しで恐縮ですが、小の色がおかしかったり。
異常に気づいても、もはや後戻りできなくなった時
初めて後悔するのでしょうが、それでは遅いかもしれないのです。
後悔しない人生なんて
私的には空想のような話しなのですが
それでも、ある言葉を心がければ
もしかしたら、それに近い人生が送れるかもしれません。
「死に方がわかれば、生き方がわかる」
という言葉は、ご存知だったでしょうか。
深いようで、実に単純で
それでいて、聞く人が聞くと、心に響く言葉。
つまり
死ぬ瞬間がわかれば
自分が今、何をすべきかがわかる(考えれる)。
ただ慢性的に日常を送る私への
最高の訓戒です。
では、死ぬ時がわからなければ
どうすればいいのでしょうか。
一番は、後悔しない生き方です。
肩に乗せた鳥の話しはご存知でしょうか。
目に見えない鳥を肩に乗せ
生活するというものです。
鳥は、その人が死ぬ日の朝
そのことを告げてくれます。
その時に
それを笑って受け入れる人生を歩みなさいというものです。
もしかしたら違うかもしれませんが。
死は等しく訪れるものなので
これは非常に深いと思います。
もちろん
笑って死を受け入れろ
そのように生きろという
ムチャ振りの話しではありませんよ。
毎朝
今日、私は生きていられるか、と鳥に聞き
無言の鳥を肩に乗せて生きる。
要は
「その日その日を精一杯生きる」
というお話しです。
目先だけのこと(鳥)に囚われず
かと言ってただなんとなく過ごす(生きる)のでもなく
どうせだから
楽しく、目標を持って生きようよ
というふうに解釈しました、私は。
ちなみに、私は生まれつき片耳が聞こえません。
友達数人と並んで歩いての会話や
人ごみや雑音の中での会話がどれほど困難か
実際に体験しないとわかりづらいでしょう。
そういう意味で
目が見えることを、当然だと思ってないか。
耳が聞こえることを、当然だと思っていないか。
歩けることを、当然だと思ってないか。
生きてることを、当たり前だと思ってないか。
と書かせていただきました。
時事ネタには触れないようにしていましたが
私の労働環境は
よく話しに出るような過酷な環境ではありません。
ただ
単純に給料だけ見れば
ワーキングプアの部類に入るかもしれません。
(実働時間に対して)
アパート代を払って
食費を削って
光熱費
通信費(携帯など)
その他雑貨(ティッシュとかトイレットペーパーとか)
を支払っていくと
手元に残るのは
2万~3万くらいです。
多いのか少ないのかわかりませんが
月々に貯金できるのは1万5千円くらいでしょうか。
残ったお金は
本やマンガを買って
あとは飲みに行って帰ってくればほとんどなくなるので
貯金を切り崩す月も多々あります。
生活の備品の故障など
何か突発的なことがあれば
一瞬で私の生活は崩壊してしまうかもしれません。
娯楽用品は
スロットなど、ギャンブルで勝った時しか買えません。
ギャンブルできるならまだいいと感じますが
それでも食事を抜いたりしたお金です。
貧乏だと感じたことはありませんが
他で働く友人たちに
お前はかなり幸せな方だと言われると
今の日本はどうなっているのだろうと考えさせられます。
今の状態で、万が一結婚でもしようものなら
間違いなく親の協力が必要です。
私的には、そこに絶望を感じてしまいます。
大変身勝手な話しですが。
夢があるだけいい
と言われたことがありますが
本当の意味は
夢を見れる環境にあるだけでいい
ということだったのかもしれません。
私の手元にはパソコンがありますので
いろんな可能性が広がっています。
何とか
ビジネス書を買って読める時間とお金もあります。
趣味の時間も
30分~1時間は取れます。
ある晴れた日に
夢を決心できた私は
本当に幸せだったのかもしれません。
すいません
話しがいつの間にか生きる目標みたいになってましたね。
腰が痛くて飯も満足に食えず
ブログを書いて痛みを忘れようぐらいしか
やることがありません。
ぎっくり腰。
ぜひお気をつけください。
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