東洋経済に「知の技法 出世の作法」という続き物を書いている佐藤優氏の池上彰氏との対談形式の本「新・戦争論」を数ヶ月前に読んで、自分なりの感想を書きたいと想いながらなかなか書けないでいます。
先日のイギリス総選挙でもスコットランド独立党が圧勝しましたが、スコットランド問題と共通する日本の帝国主義の発露としての沖縄問題は、新聞を読む限り佐藤氏のような問題認識がある政治家がどれだけいるのか、あるいはマスコミが問題認識を持っているのかは極めて重要な問題です。
いずれ、きちんと考え方をまとめたいと思います。
どうしても、こうしたまじめに向き合わなければならない問題よりも易きに流れてしまうのは情けない限りですが、書物よりもこうしたブログは人目を引くような極端に分かりやすい議論を提示する方が適している所為でもありますね。言葉や発想そのものも刹那的になってしまいがちです。
で、表題の通り既に亡くなってしまった歌手ですが、ベティ・クルティスを取り上げます。
以前、マルセル・アモンを取り上げましたが、このマルセル・アモンを聴いたのとほぼ同じ頃にベティ・クルティスを聴いていました。
最初に聴いて印象に残ったのは、「Occhi neri e cielo blu」(黒い瞳に青い空)でした。日本ではさほど評判にならなかった?
1957年に歌手デビューして、1961年のサンレモ音楽祭では「Al di là(アル ディ ラ)」を歌って優勝しています。当時この音楽祭は二人の歌手(後にはイタリア人歌手と外国人歌手)がそれぞれに歌う仕組みでしたが、もう一人この曲を歌ったルチアーノ・タヨーリの方が有名になったと思います。
今日取り上げるのは、同じく1965年のサンレモ音楽祭で歌った「Invece no」(邦題 悲しい運命(さだめ))です。この年は本当に素晴らしい曲が競い合いどの曲が優勝しても納得できるように思います。
優勝はボビー・ソロの「Se piangi,se ridi」(邦題 君に涙とほほえみを)でしたが、とても印象に残った曲の一つにウイルマ・ゴイクの「Le colline sono in fiore」 (邦題 花咲く丘に涙して)もありました。この曲だって優勝してもおかしくありません。
まあ優勝できなかったのは、ベティ・クルティスはこの頃既に大御所で、チックエッテイやソロ、ウイルマ・ゴイク、オルネラ・バノーニなどの若手と比較すれば、今更・・・というところもあるのかもしれませんが。
では、「Invece no」(邦題 悲しい運命(さだめ))をどうぞ
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