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フランス・ギャルの本名はイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャル(Isabelle Geneviève Marie Anne Gall)です。フランスではキリスト教の聖人の名前を付けることが普通だそうですが、ここまで沢山の名前を付けてもらえたのは、両親だけでなくきっとお祖母さんや親族の愛情もたっぷり受けたのでしょうね。
フランスの通信社AFP日本語版の配信記事から引用します。
『仏歌手フランス・ギャルさん死去、「夢見るシャンソン人形」ヒット
2018年1月8日 8:23 発信地:パリ/フランス
【1月8日 AFP】フランスの女性歌手で、1960年代に「夢見るシャンソン人形(Poupee de Cire, Poupee de Son)」などのヒットで有名になったフランス・ギャル(France Gall)さんが7日、首都パリ西部の病院で死去した。70歳。広報担当
者が発表した。ここ2年間は、がんとの闘病生活を送っていたという。
ギャルさんは1965年、欧州国別対抗歌謡祭「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)」で優勝。当時は輝く金髪が印象的で、どことなくアンニュイなティーンエージャーというイメージで知られた。
初期の1960~70年代には、セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)さんやクロード・フランソワ(Claude Francois)さん、ミシェル・ベルジェ(Michel Berger)さんといった、当時フランスで最も有名なミュージシャンらとパート
ナーを組んだ。
ブロンドのボブとアイライナーがトレードマークだったギャルさんは、仏国内でアイドル的人気を誇った。米歌手フランク・シナトラ(Frank Sinatra)さんの名曲「マイ・ウェイ(My Way)」の原曲となった、フランソワの1968年の作品
「いつものように(Comme d’habitude)」が、ギャルさんとの破局を歌っているというエピソードがある。』
セルジュ・ゲーズブールにしてもクロード・フランソワにしても、噂を聞いていましたからふざけたオジサンだな~というのが当時の感想でしたが、それはそれとして、フランス・ギャルがここまで成功したのは父親も音楽業界の人間だったし、当時の超一流の音楽関係者(ゲーンズブールやアラン・ゴラゲール、もちろん父親のローベール・ギャルも)のサポートがあったからこそなのでしょう。こうした一流どころの人たちが作り上げたフランス・ギャルの曲のことごとくが、印象的でアイドルらしいヒット要素たっぷりの曲です。
このブログでも取り上げたことのある極めつきの美人歌手クリスティーヌ・ルバイユが歌っている曲と比較するとその差は歴然としています。逆に言うと、クリスティーヌ・ルバイユもこれくらいの曲をもらえればもっとアイドル歌手として成功しただろうな・・・と思いますが。
やはり、アイドルらしい可愛らしさだけではなく、優れた曲、有力な関係者が必要なのはどんな国でもどんな世界でも同じなのでしょうね。
フランス・ギャルは、夫のミッシェル・ベルジェも娘にも難病で先立たれ最後は寂しい生活だったのかもしれませんが、私の心の中ではやはりいつまでも可愛い女の子、可愛いアイドル歌手で居続けるでしょう。
シングルレコードのライナーノートに「一番好きな曲です。」と書いてあった「Christiansen」(邦題:クリスチャンセン)をお聞きください。日本では1965年発売の「Sacré Charlemagne」(邦題:シャルマーニュ大王)のB面にカップリングされていました。
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