1963年のユーロビジョンソングコンテスト、フランス語で歌われたポップスの続きです。
前回のナナ・ムスクーリの記事でも触れましたが、この年のフレンチポップスは実力者ぞろいでした。フランソワーズ・アルディはモナコの代表として出場しました。他の国とは異なり、フランスだけではなくルクセンブルグ、モナコ、スイス、ベルギーの代表でも出場の機会を掴む場合があるわけですから、フランスの歌手にとってはまことに有利な条件だったと思います・・・が、どうみても、フランス勢はその状況に甘んじていたのかもしれませんね、今から振り返れば、ですが・・・それから、モナコの伴奏指揮はレイモン・ルフェーブル、フランスやルクセンブルグはフランク・プゥルセルです、これまた大御所。
さて、フランソワーズ・アルディについては改めて説明の必要もないと思います。日本の特殊な「シャンソン界」でも、若い時以外はかろうじて「シャンソン」として取り扱っている人もいるようです。
私(東洋の中学生)にとっては・・・ちょっと60年代当時のカルチェラタン風の空気を持ったアイドル・・・でしょうか?