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ラヂオ惑星モルファス

カレン・シェリル・・・garde moi avec toi

フランスのディスコクイーン、あるいはフランスのマドンナ?のような印象があるんですね、この人。
日本ではほとんど知られていないと思いますが、ちゃんとレコードが発売されています。ただ・・・彼女のディスコグラフィの中で、余りヒットした曲でも無いように思いますし、時期的には彼女が少し中途半端な時期に当たっているのではないかな?と思います。シングル盤もアルバムも出ているのですが・・・アルバムのタイトルが「カルチェ・ラタンの恋人/カレン・シェリル」です、1978年に発売されているようですが・・・・・
彼女に関する情報が少なくて、カルチェ・ラタンとどういう繋がりがあるのかよく分かりません。なんとなくですがパリ大学の学生・・・って感じでもないし。
カレン・シェリルは本名をイザベラ・バーバラ・ステラ・モリゼットと言う名前で、1955年7月に生まれています。1975年、ポスト・イエイエの触れ込みでアイバッハレコードから「garde moi avec toi」でデビューしています。
これはフランスの慣用句なんですか?ちょっと知識がありませんね。直訳は出来ますが何だかそれでは意味が通じないような気がして・・・歌詞を全部見ないと分からないかな。あとで確認しておきます。

ところで、彼女は1975年から1977年の「Épouse-moi」までは Carène Cheryl と綴っていましたが、1978年の「Sweet melody」からは Karen Cherylと綴っています。フランス語では「K」から始まる単語は極端に少なく、どことなく異国的な雰囲気があるのでしょうか?レコードのタイトルからしてもしばらく英語で歌っています。

まさにその時に、日本でレコードが発売されています。(画像参照してください。すみませんが、今回は紹介する曲とは全く違う画像です。)ジャケット写真も、デビュー当時ともその後の大人の女の雰囲気とも違った中途半端な雰囲気ですね。なので、どうも余り売れなかったのではないでしょうか?私もこの時期の彼女は余り好みではないのです。
まことに残念、この最初の曲から紹介されていたらどうなったかな?1975年はまだまだフレンチポップスが聞かれていた時代でしたから、少しは話題になったかも?もっとも蘆原英了さんのお好みでは無いと思いますね。

実は、カレン・シェリルはまたまた大変身を遂げるのですが、それは次回に・・・

では、彼女のデビュー曲を(動画のタイトルで名前が「Karen Cheryl」となっていますが、この時期は先ほど書いたとおり「Carène Cheryl」でした。ただ、後から作られていますので、彼女の公式のホームページなども「Karen Cheryl」を使っています。)・・・先ずは、結構可愛い表情やメイク、振り付けなどの初々しさを覚えておいてくださいね~


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