俳句を詠む方は、このコロナの中でどのように俳句に取り組まれているのでしょう。地方によってはコロナ患者も大変少ない所もあるし、政府の「緊急事態」など行動制限の拠り所だった措置もないので、句会や吟行も普通に開催されているところも多いのでしょうね。
私が所属している句会も、ほぼ普通に近く開催されています。吟行はありませんが、一人で近隣を散歩し観察していると、初心者であることも幸いして決して飽きることはありません。俳句誌などへの投稿もありますから、俳句を作ったり推敲したりしていると、結構楽しい時間を過ごしているような気がします。とはいえ、やはり見聞を広げたりする機会は極端に少なくなっていますので、現役時代の日記代わりに書いていた毎日のメモや写真を整理してみると、半世紀以上のネタはあるな・・・と感じています。まあ、ネタが昇華して句が出来ることは、まずありませんが・・・
さて、そこで最近気になっているのはウクライナの戦争、そして8月になると原爆の日や終戦の日もあり「戦争」を詠む句が一段と多くなるようです。最近手に入れた句集も「戦争」やその周辺を詠んだと思える句がとても多かったように思います。
私はウクライナの戦争を直接的な体験として詠むことは出来ません。勿論戦争の報道や情報に接して感じた事柄を句にしたことがありますが、戦争そのものは、現実の私の「身体的な距離」は果てしなく遠い。
それは「終戦」「原爆」も同じです。北支派遣の目黒輜重隊の父、騎兵旅団の義父、満蒙開拓団の母などの「戦争」は私の中にあり、それを通して戦争を見つめることが日常的な行為になります。
さて、そうすると私が戦争の報道などに接して感じたことを俳句にしていくことになりますが、同時代の、政治や外交の結末としての戦争を「破壊行為」「殺人行為」という『現象』として何かためらうものがあります。戦争の結末には必ず政治的、国際的な評価が伴いますが、当然敗者の論理には一顧だにされず、勝者が「正しい者」となっていくのが常でした。
その中で、紛れもなく真実の姿、そうした戦争の中にあっても変わらない人の心情、紛れもないそこにある人々の真実を詠うことは必要であると同時に、同時代であるからこそ「決して一面的な捉え方に陥らずに把握する」のは極めて難しい行為だなと感じています。まあ、私ごときが手すさびに詠める事柄ではない、でも、その様な戦争の中での人や自然をどのように受け止めていくか・・・は取り組むべき課題ではあると思います。