最近というかここ数年くらいだろうか
弱者男性や非モテなる概念が登場した。
僕はこのカテゴライズというか分断がものすごく方向性を持ったある種の差別主義だと思っている。
このような言葉を使う人間は苦手である。
これまでこのような言葉がなかったかと言えば、そうではない。非リアvsリア充、陽キャvs陰キャのような対立構造はあった。
しかし、非リアにしても陽キャにしてもその人ののキャラクターを揶揄したものであり、その人そのものを固定化するような強さは持たなかったと思うのである。
ところが非モテや弱者男性なる概念はその人の全体を指し、またそれが恒常化していてなかなか逆の立場になれないかのような言い方である。つまり言葉としてもつ対立の意味が強すぎるような印象を受ける。
これは非リアなどの例よりもむしろもっと大昔にあった、勝ち組vs負け組のような対立概念に近い。
勝ち組負け組はその言葉のなかに勝負が入っているから分かりやすいし、その分断を意識しやすいが、非モテや弱者男性という概念は一見すると対立構造というよりはむしろある集団を固定的に指差しているように見える。しかしこれは対立ひいては社会から爪弾きにしてやろうという意図も垣間見える。
また弱者男性というカテゴライズを作ることによって、私は弱者男性ではないという主張が可能になる。そう主張するために別に強くある必要もないのだ。
つまり弱者と言えないまでも中下流程度の人間が弱者男性なる概念を作りそれを指差すだけで手軽に強者の仮面を被ることができるのだ。
本当の強者はそんなことを主張する意味がない誰がどう見ても強者側にいるからだ。しかしイマイチパッとしない中下流層はこの非モテや弱者男性という概念がとても好都合なのである。
こいつらを足蹴にすれば強者のように振る舞える。
一方で弱者男性と括られる人間はたまったものではない。そのレッテルが貼られることによって弱者だから救われるかと言えば全くそうじゃない。そこで待っているのは弱者になったお前が悪いという自己責任論や、弱者なんだから弱者らしく振る舞えという地獄である。
これは日本だけなのか世界でもそうなのかは知らないですが、日本には中年男性には何をしても何を言っても許される雰囲気がある。女性への容姿差別は問題になるがおっさんにはデブハゲ臭いきもいなんでも言って構わない。
このポリコレの時代に唯一なんでも言って構わないのがおっさんである。女性の低収入は問題になるが男性の低収入はバカにされるそのような時代なのである。
小田急線の事件で女性ヘイトを過度にピックアップするのも、弱者男性云々持ち出すのも僕は本質がズレていると思いますし、無敵の人などという概念を持ち出すことはどんな人間に対しても失礼です。どうなっても構わない人間なんていません。無敵の人なんて言葉を許容する社会自体を僕は心の底から許したくはないのです。そんな言葉気軽に誰かに対して使うものではないです。そんな言葉を使う人は徹底的に人を見下した下劣な人だと思います。