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朱塗網代女乗物(仙巌園 御殿にて)
先週、鹿児島を観光した余韻が続きます。
今回の旅行の契機となったNHK大河ドラマ「篤姫」で篤姫や小松帯刀が標準語で西郷隆盛や大久保利通は何故鹿児島弁(薩摩弁)なのかと素朴な疑問を抱いたのは私だけではないでしょう。
ドラマはまんざら間違ってないようです。(ドラマの標準語は現代語ですが)
島津家に限らず大名は標準語の江戸言葉を使っていました。
領地を持つ小松家など江戸勤めもある上級武士もそうです。
それに対し西郷や大久保といった半農半士の下級武士は庶民と同じだったのでしょう。
江戸生まれ江戸育ちの藩主は根っから江戸言葉で参勤交代でお国言葉に接する程度です。家族も江戸藩邸暮らしです。
なんか東京生まれ東京育ちの国会議員の地元入りと同じで今も変わってませんね。
島津本家然り分家の篤姫生家の今和泉島津家も江戸言葉でしたが薩摩訛りのイントネーションは島津斉彬の養女として鶴丸城に上がってもなかなか消えるものではありません。
篤姫を徳川宗家の御台所にと画策する斉彬にとって克服しなければならない課題でした。
それで江戸でも暮らした事のある近衛家に居る幾島を京から呼び寄せ言葉使いに礼儀作法に習い事など篤姫の教育係としてあたらせました。
大河ドラマで描かれたように幾島も大変だったし篤姫も良く頑張ったと思います。
それにしても鹿児島の路線バスの中での年配の方の会話は全く理解できませんでした。
現役時代、PC関係のメーカーで広報宣伝を担当しカスタマーサポートセンターが忙しい時はフォローに入る時がありました。
全国から電話がかかってくる中で難解だったのが鹿児島弁でした。
ふと30数年前の事を思い出しました。
是非、次回の旅は地元の方のお国言葉に接してみたいものです。