信州気まま暮らし

ギラン・バレー・症候群(GBS)闘病記 1/2〔再掲載〕



私は10年以上前に聞いた事もない病名を告げら即日入院しました。

今でも年間1000人以上の方がGBSに罹患されています。

過去に関連サイトに掲載した闘病記に一部加筆訂正し再掲載させていただきます。

今まさにこの病気と向き合っている患者さんへ少しでも参考になれば幸いです。

文字数の関係で2回に分けて掲載します。


〔発症時=平成20年3月、男性、開発エンジニア〕

神経痛を併発し寝たきり状態となりましたが、ベテランの医師、療法士と看護師の方々が連携して治療にベストを尽くしてくださり、10ヶ月後に職場復帰できました。

 入院中は、同じGBSの患者さんが予後や生活面でどうされていたか、とても気になりました。その時の心境に立ち、私の治療と予後の経緯について報告させていただきます。

 GBSと闘病中の患者さんに少しでも参考にしてくださればとの思いで、記憶をたどりました。


発症前夜 (2008年3月上旬)

10日ほど風邪をひいており、背中の関節が痛みました。冬だというのに手のひらが発汗し、両足に軽い痺れを感じました。思い当たるふしは、冷凍そばセットの鴨肉が半生だったのを記憶しています。しかし、下痢はなかったので、原因はよくわかりません。ただ、仕事は多忙で精神的にもストレスを感じていたのは確かです。

発症

 早朝、足先まで痺れを感じ、かかりつけの医院に診てもらったところ、平熱だが血圧が210mmHgと、風邪にしては症状がおかしいということで、総合病院の神経内科を紹介されすぐ行くようにと言われました。総合病院に着くと待ち時間無しで通され、MRI検査、骨髄液検査、神経伝導検査の結果、ほぼGBSに間違いないという診断で、即日入院しました。その日の夜からガンマグロブリンとステロイドを交互に計5日間、点滴投与しました。まだ、この時は歩行器でトイレに行ける状態でした。


神経痛を併発 (発症から6日~2週)

 腰痛で夜も寝られない状態が続きました。痛み止めは8時間置きの飲み薬と4時間おきの注射ですが、しばらくするとまた痛み出します。MRI検査の結果、坐骨神経痛を併発したとわかり、麻酔科で硬膜外ブロック注射と神経根ブロック注射を週に各1回ずつしました。併行して終日ポンプを身体に装着して、硬膜外へ薬剤注入の治療を開始しましたが、次第に体力を失い、排尿はカテーテルで排便はオムツの寝たきり状態となりました。


症状がピークに達する(発症から3週~4週)

 日増しに腰椎の痛みが激しくなり、血液検査の結果、高い炎症反応が出ました。早々に感染源の疑いのある注入ポンプを外して、抗生剤の点滴が2週間続きました。痺れと麻痺が上肢は両手首から先、下肢は両膝下にあり、先端にいくほど強い状態でした。また足の冷えの感覚(実際は冷えていない)に筋肉痛も加わり、電気毛布を使用しました。また食事の時にしばしば舌を噛んでしまうようになりました。金属のスプーンが持てず、軽いプラスチック製に変更しました。排便も自力で出来できなくなり、2日に一度のペースで摘便してもらいました。顔面の右半分が麻痺で垂れてしまい話しづらくなりました。


症状が安定 (発症から5週~8週)

 4回目の神経根ブロック注射でようやく腰痛が解消しました。あまり長期は良くないと聞かされたので、尿道カテーテルを外してもらい、一週間ほどで尿意が戻ってきました。GBSの進行は止まりましたが、寝たきりの状態は変わりません。それでも体調の良い時は車椅子に移りたいので、遠慮なくナースコールしました。また土日はスタッフの人数が減ってしまうので、ヘルパーさんと契約して車椅子で桜咲く公園まで散歩に連れて行ってもらいました。車椅子は15分程しか座れませんが、とても気分転換になりました。

 この頃、しばしば歩く夢を観ました。精神面のケアが一番求められた時期でした。治る病気と言われ、いっこうに回復しない状況に悲観しましたが、家族と相談し、リハビリ専門病院へ転院の手続きをして快方へと望みをつなぎました。


リハビリ専門病院へ転院(発症から9週~12週)

 神経内科と麻酔科のあるリハビリ専門病院に転院しました。身長169cmの私の体重は74kgから55kgまで落ちていました。GBSに加え廃用症候群と診断され運動機能の回復が課題でした。PTはマッサージ主体で四肢の不動を可動にすることでしたが、肉が剥がれるような痛みを伴いました。OTは座りの状態を維持することでした。どちらの療法士の先生もGBSの患者さんの治療経験があり、とにかく私が疲れすぎないよう配慮してくれました。身体をチルドテーブルに固定して体幹機能の回復をめざしたトレーニングも始まりました。

生活面では、まず自力で排便できることが目標でした。電動ベッドを用意してもらい、徐々に上体を起こす時間を延ばすようにしました。また手首のストレッチと足首を動かすイメージトレーニングをしました。毎日、スタッフや同部屋の患者さんと会話するうちに発音もしっかりしてきました。鏡を見ると顔面麻痺は治まったようです。下肢の痺れと冷えは相変わらずしたので、就寝時は湯たんぽを充てがいました。また布団の重みで足首が辛いので、リヒカ※でガードしました。


リハビリが本格化(発症から13週~17週)

 次第に日々のマッサージの痛みにも慣れ、筋力トレーニングの時間が増えてきました。転院して1ヶ月が経過し、まだ立位はとれませんが、一日おきに歩行訓練を開始しました。長足装具をロックして、PTの先生に身体を抱えられ平行棒を伝います。自主トレは三度の食事前と就寝前にゴムバンドを使用して下肢の筋力強化と尖足防止に努めました。しばらくして足首が動かせるような感覚がして、本当にミリ単位ですが動くようになりました。握力は10kgまで回復したので、プッシュアップでトランスファーボードを使用してベッドと車椅子間を移動するようになりました。ようやくオムツを外してベッド脇のポータブルトイレで用を足せるようになり、この際の移動にも使用しました。

 車椅子で売店まで行くには、途中に勾配15度、20m程のスロープがあり何度かトライするうち手漕ぎで上れるようになりました。下肢、特に足首から先は力が入らないので、下りは手ブレーキですが、車椅子が暴走した時の事を考え、スロープの手すりに沿って移動しました。身なりに気を使うようになりました。起床時の毛髪の寝癖直しのタオルは洗面所で熱湯に浸し、コップの裏面を押し当てて絞りました。

 毎朝、自販機でホットコーヒーを飲むのが日課となりました。紙コップの持つ箇所が変形してしまいこれが、指先の回復を計るバロメーターになりました。


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