信州気まま暮らし

定年退職後の信州で日々の暮らしと思いを綴る。

昔の仕事仲間と再会

2024-06-05 08:12:00 | 日記


二十代に在籍した会社の同僚二人と6年ぶりに再会した。

彼らの住む名古屋との中間点の岐阜県恵那市で合流し一緒にランチし思い出話しに花を咲かせた。

コンピュータ業界でエンジニアとして生計を立てるトリガーとなった会社で当時を少し振り返ってみる。

新卒文系枠で入社した某自動車メーカーから異業種のコンピュータ業界へそれも専門的知識を必要とする開発者向けマイコン開発支援装着のメーカーへ転職した。
地元の名古屋営業所1人だけの募集で運良く採用されたが専門用語が飛び交い本社研修後もおぼつかない私に2、3歳年下の先輩達が親身に製品デモ講習やQ&Aを個人指導してくれた。
自分も関連書籍を何十冊と購入し勉強した。
顧客から質問されても意味が分からず恥を忍んで聞き直してメモしたりした。
入社して半年経過しそろそろヤバいなという頃に結果が出てきて1年後には先輩達と実績が並ぶまでになった。
悩んでる暇もないくらい無我夢中だった。

顧客がいずれも大企業で最先端の開発現場に立ち会ったり講堂に集まった多くの開発担当者を前にCPUに関する講師を依頼されたり営業は営業でもセールスエンジニアのカラーが強かった。

担当エリアの顧客や販売店は自分の裁量で対応し経費も使えた。

仕事帰りは飲み屋、休日はスキーやテニスそして気が進まない接待ゴルフとプライベートも同僚と共に過ごす時間が多かった。

マーケティング志向の私は東京本社へ異動し名古屋の仲間も所長として他の営業所に転勤したりとバラバラとなった。

飛び鳥落とす勢いの会社だったが栄枯盛衰は世の常、私は早々に見切りをつけマーケティング担当としてPC関係のメーカーに転職した。

その後、彼らは事業主として独立し今も現役だが還暦も過ぎ徐々に仕事はセーブしている。

異口同音に「あの頃はハードだったけど充実した毎日だった」と言う。

彼らは私にとって良き先輩であり親しき同僚であり時にはライバルでもあった。
若かったし誰もが輝いてた。
酸いも甘いも味わった大事な仲間である。

次回は温泉で皆で一泊しようと約束し電車で帰路に着いた。

〜 余談:ご当地グルメ 〜
恵那市は自然薯が有名です。
私は長野県から撤退してしまった懐かしのスガキヤラーメンをセットで食べたかったけど2対1で自然薯のお店「自然薯 山里」さんでランチしました。
焼き魚に刺身に天ぷらもセットで麦ご飯に自然薯を掛けて美味しく頂きました。
(会話に夢中で写真ありません)





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