充電と放電の毎日

今迄のブログのように『…だったらいいな…』ではなく
『絶対に…の為に』

『風と共に』… エレファントカシマシを考察する…久しぶりに

2017年07月24日 13時04分32秒 | だったらいいな…ではなく絶対の為に
エレファントカシマシを久しぶりに考察する、なんちゃて

エレファントカシマシは進化した?変貌した?とか最近よく聞きます
当たっているとも思うし違うかなと思う部分もあります

若いときの、遠慮 我慢 鬱屈
若気のプライドも邪魔して、まわりが決めつけた息苦しい枠の中を抜け出そうと必死に藻掻いた数十年間。
エレファントカシマシは何度失敗しても
『それ』をやろうとしてた。『まわりが決めつけた息苦しい枠の中を抜け出そうと必死に藻掻いた』

そういう点で今のエレカシが変わったというのも進化したというのも正しいのかもしれません。
しかし…僕は思う

エレカシが変わったのは喉や声等の変化、当然の体の老いのマイナス面。
そして年輪で積み上げた経験と表現力のプラス。
プラスマイナスですが、そういう意味で完全にプラスに変えることができたと思います。

エレファントカシマシというバンドしかできないのこと。
個性的で豊かな表現力の根底にあるものは変わってないのに。
『奴隷天国』も『風と共に』にもエレファントカシマシの楽曲の根底には共通点があると思うのです。

特に『風と共に』には今迄足かせとなっていた『遠慮』がさらに無くなって呪縛から解放されたかのような…
表現力の幅が更に拡がったたような?気がする。
聴いてる自分も解放感に浸れます…

小さな拘りを捨てて
音にも表現力を、そして言霊、自分の能力の限界まで可能な限りの音域全部使っての表現力の技…
もはや音楽という芸術ではないかと。

いや、そもそも音楽は芸術でした(笑)
エレカシはそれにこだわりぬくことで、音楽という芸術を常に意識しながらも誰もが楽しめる音にしようと体の全部を使って表現している
自信があるもの、いいものを届けたいという純粋な感情で。

同じ歌詞や音をぶつけても聞く人のその時の心で受け止め方は違う、それが音楽の良いところ。

でも、エレカシ自身にはデビューからずっと苛立ちや『不安定』な部分があって『不完全燃焼』だったところがあったのは間違いない。
それはそれでしっかりと受け入れられていたのに…
本当に必要な部分の誇りとプライド、
それ以外の邪魔な誇りやプライドは捨てて、今はそれにやり甲斐を感じてる?

いまのエレファントカシマシが本当に伝えたい事が伝わることの喜びとか
やり甲斐を感じているのだとしたらこれからのエレファントカシマシの活躍はきっとすごいだろうなぁ。

観る者が勝手に付けてきたレッテルを観る者自らが取り払って、受け入れてくれていることに快感を覚えている?
エレファントカシマシの表現力がアップしたのは間違いないのですが、
変わったのは寧ろエレファントカシマシより聞く人の意識だったりして?なんて…



『風と共に』手元に届くのが楽しみです


それにしても沖縄のアンコールで 『星の砂』
なんてイキなんだろう
今の沖縄で聴くことに価値があるから(笑)生で見たかったなあ

誤字脱字等修正


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