伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

感謝を忘れると辛く向く

2008-09-07 10:17:18 | Weblog

竹下元総理は、どんなに遅くなっても晩御飯を必ず家で食べ
たそうです。政治家ですから、料亭での会合が頻繁に有った
事でしょう。 それも一人10万円とかの超高級料亭だったと
思います。 でも、料理には一切手を付けずに、家で茶漬け
や魚の干物を食べていたそうです。
私なら喜んで満面の笑みで食べるでしょうね。
ただしタダならばね、笑。
ようは、10万円の食事でも毎日アタリマエになれば、そこに
感動や感謝が無くなるのでしょう。 もう、見るだけでゲップが
出る事になると思います。
元首相には、家で奥さんやダイゴ君の顔を見ながら焼酎を
チビリと飲むのが、一日の安らぎだったのでしょう。

私達も、今日も会社か~、家に口うるさい奥方がいる、
おかずが少ない~、・・・などなど、「有る」事をアタリマエの
前提にしていると、それへの感謝を忘れています。
会社も、奥様も、食事も、無くなる時は一瞬で消えます。

結婚式の時は誰もが感動して、一生相方と添い遂げると
「誓う」ものです。 どんな試練や苦難が来ても絶対に乗り越
えられると思えるものです。
しかし、毎日、相方がいる事がアタリマエに成ると、もっと、
もっと、と自分の理想を期待してしまいます。 
過去の終わった事でも、理想への汚点だとして思い出しては
苦悩するのが人間です。

そもそも、人間の苦悩とは、今、生きている事をアタリマエに
してしまうと生じる様です。
どんな問題も、生死の観点から振り返ると、大した事では
ありません。
旦那が浮気をした・・・自分が病気で明日死ぬとすれば、
どうでも良い事です。 馬鹿な奴と笑えます。
旦那が暴言を吐く・・・それでも自分は生きている。

生死の原点への感謝を持ち、今を振り返れば、全ては
有り難い事ばかりです。 時間が勿体無いです。

私の勤務先の近所に、舞踏病の老女が居られました。
神経系障害で歩く時に、体を大きく踊るように肢体を動かし
ながら歩いている姿を良く見ました。
初めて見る人は、立ち止まって見ていたものです。
子供は真似をして彼女の事を笑っていました。
天気の良い日は、頻繁に散歩をされていました。
自分が同じ障害ならば、はたして日中に人前に出られるだろ
うか? と思ってしまいました。
しかし、彼女の顔は何時も笑っていました。
生ある間に、「歩ける」ことを楽しみ、噛み締める様に・・・。
「歩ける」ことがアタリマエになり、感謝しているだろうか?

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (321)
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