伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

釈尊の言葉

2008-09-26 19:20:45 | 釈尊の言葉 ダンマパダ編

釈尊を罵倒し続けていた男が、ある日釈尊に「何故お前はこうして連日罵倒され
ても言い返さないのか?」と訊ねたとき、「お前が人に贈り物をして、相手がそれ
を受け取らなければ、その贈り物は誰のものか?」と言い返し、相手は己の非を
恥じた、と言います。  (読者からの投稿)
感想 :
釈尊(しゃくそん)の死後、後世に伝わる伝記には、とても
霊的真理を含んだものが、中には確かに存在します。
この寓話も、その内の一つです。
他人からの罵倒の言葉には、罵倒する霊的磁気が含まれて
います。 その罵倒の磁気を他人から投げ掛けられても、
自分の心に一点の曇りも無ければ、「ああ、そうですか」と
素通りします。 反論する気も起こりません。ただ、誤解され
ているだけだから、後で理解される。自分が本心から正しい
と思えるから別に構わない。 などなど、その投げられた
罵倒言葉に自分からの執着が生じ無いのです。 
自分に自信(自神)が有る状態です。

投げ掛けられた罵倒磁気は、相手に受け取って貰えなかった
場合、生み出した本人へ帰ります。
これは、呪詛を返された場合、呪詛を最初に仕掛けた本人に
2倍の衝撃で帰る霊的諸相と同じです。
そして、罵倒磁気を発した本人が、その磁気を自分の身に付
ける事になります。これでは、安定した心には成れ無いもの
です。
怒りっぽい人は、ますます怒り出すハードルが低く成って行くも
のです。 よくそれぐらいの事で発火できるなぁと、感心する
ぐらいに。
そんな心では、太陽霊光による「同類引き寄せ」の法則により
、似た者同士が出会う事に成りますので、精神も肉体も傷つ
け合う事に成ります。
ますます感情的にも、肉体的にも辛い生活環境に変わって
行きます。

他人から罵倒された時、自分でも悪いと気付いていたり、
自分の心に少しでも自責の曇りが有ると、自分を弁護する守
る本能が働き、自分自身に言い聞かせて正当化したい気持
ちが生じます。 そして、相手を逆に罵倒したく成ります。
これは、投げ掛けられた相手の罵倒磁気に反応して、磁気を
受け取った事を意味します。
こんな悪い磁気をお互いにキャッチボールしていては、第三者
から見ると同類にしか見ません。

これらの諸相は、霊能者が悩める相談者から金銭を受け取る
事が悪い事である説明にも通じます。
相談者の悩みの解決に、神仏の名前や不可思議を期待させ
て、その見返りに金銭を授受すると、相談者が持つ霊的因縁
・霊的垢も、金銭と同時に受け取る事になります。
稼げば稼ぐほど、先生には悪因縁と霊的垢が蓄積します。
問題は、神仏を出汁にして稼いだ先生が地獄に行くのは良い
のですが、知らずに先生に接触した相談者は、先生が持つ
巨大な霊的垢の雪達磨に取り込まれる事に成ります。
その結果、最初の一時的改善の後、相談する前より深刻な
状況に進み、恐怖感から余計に金銭を先生に差し出して行く
事になります。 気が付いた時には、お金も何もかも無くして
泣く事に成ります。
これは、昔から長く繰り返されている実績あるパターンです。
もう、いい加減に自己が預かる内在神を信じて、人生を自分
で生き切ろうとする人間が増える事を切に願います。

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コメント (228)
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