伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

家で待つ子供

2008-09-27 12:10:50 | Weblog
人間は弱いものです。
はたして、今の自分は、これで良いのだろうか?
本当は、違う何かをするべき人生があるのではないか?
もっと、何か秘密の効果が現れる方法が有るのではないか?
などなど、考えてしまうものです。
そして、他人が勧める組織や人物に接触してみようと思うも
のです。 この接触を「思える」時点で、紹介者を介して霊的
な何らかの線が引き始められているものです。
縁とも言えます。 ただ、悪い縁、良い縁、両方あります。
接触を持とうと思う事は、誰にでも有ります。しかし、時間と
御金を掛けてまでして実際に「行ける」のは、既に霊的に接続
された状態です。
そこに行くと、実際に感激したり感銘したりするものです。

これは、行こうと思い出した時点で、その組織や人物の背後
の霊的存在の子分である分霊が、本人に飛んでいます。
すると、とにかく、その霊的会に行きたく成るものなのです。
本人が会へ行くのを邪魔する家族や友人がいると、子分は
その人を霊的な攻撃もします。
そして、実際に本人が会場や教室に行くと、配下の狐霊や
蛇霊形象の子分が、親玉の元に戻れた歓喜の磁気を発し
ます。 この影響を受けて、憑かれている本人は、何故か
分からないが感動します。 大した話でも無くても・・・。
この意味不明な感動に御自分でも驚き、そこに逆に「本物」
かもと勘違いを起こします。
このような霊的背景が、いまだに存在しています。
しかし、自分の属する組織こそは本物だとか、あの宗教組織
は悪いとか・・・、伊勢白山道こそは正神だとか、私も含めて
お互いに主張をします。

ここで、念を押して置きます。
一番大事なのは、個人個人の心の救いです。
組織や代表者の幸福ではありません。
どんなに素晴らしい法話を聞いて感動しても、帰宅すると
何時も通りの変化の無い生活が待っています。
どんなに凄い霊能者に会って勇気憑けられても、帰宅する
と、不安な何時もの自分が居ます。
どんなに良い本を読んで感動しても、日常生活は変わりま
せん。

本物の教え、救い、とは、自分が一人でも明るく生きて行け
るモノです。 高額な御守りや、道具は何も必要ありません。
正しいモノとは、太陽や空気のように、無料で人類に与えら
れるものです。
奇異や不思議体験は、必ず、飽きるものです。
飽きた時に初めて、自分の回りにいる家族の有り難さに気
が付きます。
早く気が付けるためには、自分自身に余計な霊的磁気が
有ると、なかなか難しいのが現実です。
そのためには、自分の先祖霊へ気持ちを向けて原点に帰る
事が最善であると、私は経験から知っています。
正しい先祖供養を実践せずに、神仏がどうのこうのと向く人
は、霊的磁気に巻かれた状態なので、聞く耳を持てません。
伊勢白山道へも、とにかく無性に非難したく成るものです。
これは仕方が無いことです。 
自分を取り巻く悪い磁気が減るに連れて、何が正しいかが
見え始めます。
先祖供養とは、自分供養でもあります。
目を覚まさして、くれます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (346)
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