伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

もっと出来るのに

2009-05-28 10:23:10 | Weblog

昔から滝行をする修行者が多いです。
滝に打たれると、自分の悪い物が落ちると錯覚しています。
心身共に凍る様な低温と水圧による苦痛が、憑き物を落とす
様なスッキリ感を事後に錯覚させます。
苦しい状態から解放される爽快感を感じているだけの事です。
霊的には、苦痛から来る意識の集中状態において、憑き物の
交代が発生しています。苦痛により心の余裕が無くなる隙に、
その滝場に居る霊が交代しています。
憑依物が変わった違和感を、自分が少し改善したと毎回思う
訳です。同じ滝場に出入りする人達は、同じ様な雰囲気の色
に染まって行きます。滝場に集まる霊を憑けたり離したりと、
集まる人達の間でキャッチボールをしているからです。
滝行を始めると定期的に行くハメに成るものです。
憑依した存在が戻りたがるからです。
滝場には、幽界の天狗霊が仕切っている事が多いです。
集まる人が多い滝ほど、霊的垢が蓄積しています。
中には霊的商売で蓄えた大きな悪い垢を滝場に残し、違う垢
を憑けて帰る行者もいます。知らずに軽い気持ちで滝に入る
人は、大きな負のハンディを憑けます。
先祖の守護が薄い人は、滝場に近づくだけで憑依状態に成る
人もいます。
水による浄化は、温かい御風呂が一番です。
リラックスした状態が、深からの癒しをもたらします。
衣類の洗濯も、低温水よりも御湯の方が汚れが良く落ちる事
と同じ事です。 滝行などの人工的な苦痛感と平常時の感覚
の差を修行としては生けません。なんの霊性の向上も本人に
もたらしません。50年間、滝に打たれても心境は同じです。

わざわざ滝に打たれなくても、日常生活には修行の場面が
沢山有ります。 自分で意識すれば、生活全てが霊性を向上
させる場面です。
生きる上で自分の心を痛める場面が訪れたならば、心の神様
と共に「明るく」受け止める気持ちが大事です。
沢山の苦労を明るく受け止めた人ほど、良い顔に成って行き
ます。 苦労を苦痛と受け止める人ほど、寂しい顔に成ります。
苦労を明るく受け止めたところで、結果には関係ありません。
現実界での良い結果も、悪い結果も有るでしょう。
結果よりも、その過程で自分が何を思い、どんな行動をした
のかが大事なのです。
結果が重要では無い事の証明は簡単です。
どんな結果も、あの世には持参できないからです。
悪い結果も良い結果も、この世に必ず置いて行く事に成り
ます。 心だけが移動して行くのです。

心さえ健康ならば、この世の出来事の全てが大成功の結果で
あり、成長の為の神様からのプレゼントなのです。
あの世に帰ると、全員が後悔する事が1つだけあります。
「もっと頑張れたのに・・・」と思う事です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (559)
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