晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※写真の無断転載禁止!!

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」行ってきました!その壱(2024年5月)

2024年05月27日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

お茶と宇治のまち歴史公園交流館「茶づな」2階で開催中の

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」

見に行ってきました!

 

毎週楽しみに見ている大河ドラマ『光る君へ』のドラマ展とあって(ドラマではなくドラマ)、楽しみにしていました。

宇治の会場では、「大河ドラマ展示」と「宇治歴史展示」のふたつに大きく分かれています。

 

【衣裳展示】

実際に撮影に使用された衣裳だそうです。

 

【紫式部(まひろ)吉高由里子さんの衣裳 撮影使用品】

金糸雀(カナリア)色地染め

金茶色(きんちゃいろ)木の葉絞り風(きのはしぼりふう)柄染め麻小袿

 

【藤原道長 柄本佑さんの衣裳 撮影使用品 】

従五位闕腋袍(けってきほう)束帯(そくたい)

 

【等身大パネル(フォトスポット)】

 

特集パネルや登場人物紹介のほか、小道具の展示も。

 

【散楽で直秀粉する狐が持っている蝙蝠扇(かわほりおうぎ) 撮影使用品】

直秀、好きでした…!

亡くなってしまって直秀ロスになりましたよー

 

【倫子のサロンでまひろた初めて体験した偏つぎの札 複製品】

偏つぎは、漢字の偏と旁(つくり)を使った遊びです。

 

4Kシアターでの展示も椅子に座って興味深く拝見。

キャストやスタッフのインタビューを視聴できます。

 

 「光る君へ 宇治 大河ドラマ展レポ」は其の弐へ続きます

(大河ドラマ展の記事は全部で3つあります)

 


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【宇治】京都宇治 京あめ とにまる 茶づな本店

2024年05月27日 | 日記

平安時代好きブロガー なぎ です。

今回の記事は平安時代の話題をひとやすみ。

 

2024年5月の旅行でのこと。

菟道稚郎子尊 宇治墓「浮舟宮跡」碑を訪ねたのち

お向かいにある、お茶と宇治のまち交流館「茶づな」へ。

 

「茶づな」の中にあるレストラン「とにまる 茶づな本店」にて昼食をとりました。

 

【ハンバーグプレート】

 

ハンバーグにから揚げ、フライドポテト…大好きなものばかり。

お味噌汁にほっとしました。

抹茶の飴が添えられているのがまた嬉しい。

 

「茶づなミュージアム」や「茶づな」で開催中の「光る君へ 宇治 大河ドラマ展」を見た後、

再びレストラン「とにまる 茶づな本店」へ。

 

そう。宇治といえば抹茶スイーツを食べねば…!

 

【抹茶パフェ】

 

パフェは思っていたよりボリュームがあって嬉しい

 

店内から見える木々の緑がまぶしかったです。

ハンバーグプレートも抹茶パフェもとってもおいしゅうございました!

 

 


京都宇治 京あめ とにまる 茶づな本店

 https://tonimaru.com/

 宇治市菟道丸山203-1  お茶と宇治のまち歴史公園茶づな内


 

 


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【平安あれこれ】浮舟宮(うきふねのみや)跡 ~宇治十帖のヒロイン、浮舟は神に~

2024年05月25日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

菟道稚郎子尊 宇治墓に隣接する

「浮舟宮跡」碑を訪ねました。

 

【浮舟宮跡と刻まれた石碑】

以下、石碑に埋め込まれた宇治市による説明を引用します。

 


浮舟宮跡

 此処より東の旧道沿いに、菟道稚郎子皇子(うじのわきのいらつこのみこ)墓の陪塚(ばいちょう)に治定される小さな高まりがある。

 この辺り一帯にかつて浮舟宮(うきふねのみや)と呼ばれた古社があった。

 榎(えのき)の大木が茂り、浮舟の森とも呼ばれた。

 社の由来はつまびらかではないが『源氏物語』宇治十帖の悲劇のヒロイン浮舟の君を祀った社として、里人に親しまれていたという。

 江戸時代の中ごろに社が廃絶し、三室戸寺によって「浮舟之古蹟」碑が建てられた。

 明治に至り社跡は宮内庁により陪塚として整備され、石碑は近年の開発に伴い三室戸寺境内に移設されている。

 

       宇治市


 

『源氏物語』に登場する浮舟がこのあたりに祀られていたのですね。

 

旧道…奈良街道沿いの羽戸[波戸](はと)村にあったことから「波戸浮舟社」という神社であったのだとか。

元々は宇治川の水上交通の守護神が祀られていたのが、いつ頃からか浮舟を祀る社となり、あたりは「浮舟の杜」とも呼ばれていたといいます。

やがて度重なる宇治川の氾濫によって浮舟社の社殿を維持できず、江戸時代に社は取り払われます。

そして社の跡の目印として「浮舟之古蹟」と刻まれた石が置かれたとのこと。石は移転を重ね、現在は三室戸寺境内の最奥部、鐘楼の横に「浮舟之古蹟」碑があるのでした。

 

フィクションである『源氏物語』の登場人物のひとりですが、かつて浮舟は神として親しまれ、その社の跡は「浮舟宮跡」碑として現在に伝えられているのですね。

 

 

【参考】

源氏物語をよむ会 編『(改定版)源氏物語 宇治十帖の風土』宇治文化財愛護協会 1997年(1998年修正)

宇治市文化財愛護協会 編・発行『新 宇治の碑 路傍の語り部たち』 2014年

 

 


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【平安あれこれ】菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) ~『源氏物語』八の宮のモデル?~

2024年05月22日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

京阪「三室戸」駅から徒歩約4分。

 

京都府宇治市にある

応神天皇皇太子 菟道稚郎子尊 宇治墓 を訪ねました。

 

【宇治墓・・・地図で上空から見ると前方後円墳のようです】

 


宇治墓の向かい側にある「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」ミュージアムの「歴史の間」に『菟道稚郎子伝説』の解説がありました。その文章を以下に引用します。

 

 菟道稚郎子伝説

 応神天皇の末子の菟道稚郎子は、父の寵愛を受け、当時最新の学問を学び、皇太子となりました。

 応神天皇の没後、

 即位を企てた異母兄の大山守命は稚郎子を討とうとし、宇治川での戦いで亡くなります。

 三年後、稚郎子は異母兄で後の仁徳天皇の大鷦鷯尊に皇位を譲るため、自ら命を絶ったと伝えられています。


 

この菟道稚郎子は『源氏物語』宇治十帖に登場する八の宮のモデルであるという説があるのだとか。

確かに部分的にイメージがかぶっているようにも思えます。

共通点(?)

  •  兄弟間での皇位継承争い
  •  宇治に隠棲

 

ここを掘り下げると複雑になりそうなので、言及は避けます

 

菟道稚郎子は宇治上神社の祭神のひとりであり、宇治神社の祭神でもあります。

宇治の長い歴史を知る上で重要な人物なのですね。

 

 

『源氏物語』に登場する八の宮は、光源氏の異母弟。桐壺院の第八皇子。

宇治十帖のヒロインとなる大君・中の君・浮舟の父親。

朱雀帝の御代に弘徽殿大后たちの廃太子未遂事件に巻き込まれるものの、結局は八の宮が東宮になることはありませんでした。

(この時の東宮は即位してのちの冷泉帝になります。)

八の宮の北の方は中の君を産んで間もなく亡くなり、やがて京にある邸宅が焼亡。

宇治の山荘に移り住み、大君・中の君と暮らすのでした。

(そこに薫がやってきて…!?物語が動き始めます)

 

 

【参考】

秋山虔・室伏信助・編『源氏物語必携事典』角川書店 1998年

 

 


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【平安あれこれ】在原業平邸址に建つ「ホテルギンモンド京都」に宿泊

2024年05月21日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

宇治・大津・京都旅行での1泊目は

京都市中京区にあるホテルギンモンド京都に宿泊しました。

 

【ホテルギンモンド京都 入り口】

 

【ホテルギンモンド京都 外観 /写真左側の建物】

度々利用している居心地のよいホテルです

 

このホテルは、

かつて在原業平の邸宅があった場所に建っています。

【在原業平邸址碑・・・京都市中京区間之町通御池下る東側】

業平の邸宅は左京四坊三町にあったと伝わります

 

 

『伊勢物語』の主人公?

 在原業平

 

825年(天長2年)~880年(元慶4年)

 

平安時代初期の歌人。勅撰和歌集に約87入集。
六歌仙や三十六歌仙の一人。

父は、平城天皇の皇子・阿保親王。
母は、桓武天皇の皇女・伊都内親王。

2歳の時に父親王の計らいで、在原朝臣を名乗り、臣籍に下った。
880年(天慶4年)5月18日に従四位上右近衛権中将美濃守で56歳で卒した。

 

『伊勢物語』の主人公に目され、二条后藤原高子(清和天皇女御)・伊勢の斎宮恬子内親王(文徳天皇皇女)との恋の逸話で伝説的な業平像が築かれた。

 

『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりとも。

 

 

 『百人一首』で知られる歌

 

  ちはやぶる神代もきかず龍田川

   から紅に水くくるとは

        在原業平朝臣

 

 

 

【参考】

フィールドミュージアム・京都京都のいしぶみデータベース

角田文衞 監修/[財]古代学協会・古代学研究所 編『平安時代史事典』本編上巻 角川学芸出版

 

 


 ホテルギンモンド京都

  京都市中京区御池通高倉西入ル亀甲屋町595

  https://gimmond.co.jp/


 

 

 

 

 

 


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