晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※写真の無断転載禁止!!

【風俗博物館】平安女性の務め 装束誂え(あつらえ)・裁縫

2022年07月07日 | 京都・風俗博物館

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

七月七日の夜は、牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)が年に一度、天の川を渡って逢瀬を楽しむという伝説がある日。

 

伝説の二星

  • 牽牛星(彦星)=農耕の神
  • 織女星(織姫)=裁縫の神

 

七月七日は織女星(しょくじょせい)にちなみ裁縫の上達を願う日でもあるのだとか。

 

2022年の風俗博物館では、七夕の節句の展示において平安時代の女性が担った裁縫の様々な工程についても展示されていました。

 

 

平安女性の務め 装束誂え(あつらえ)・裁縫

 

 染める

糸を染める。

 

 

 

 布を裁つ(たつ)

刀子(とうす)を手に裁板(たちいた)の上に体重をかけて裁つ。

 

 

 打ち物(うちもの)

絹を砧(きぬた)で打って光沢を出す作業。

 

 

 

 地直し(じなおし)

反物の整理。

 

 

 

 綿入れ(わたいれ)

防寒のため綿入れの用意。

 

 

 

 ひねり

裏地のない単仕立ての裁ち生地の端を、もち米を練って作った糊(のり)[続飯(そくい)]をつけ、絎(く)けずに「ひねる」という仕立てをしたもの。

 

 

 

 縫う

装束を縫う

 

 

以上、装束を誂える工程の展示でした。

完成された装束の展示を見ることはあっても、その工程を知る機会は少ないので興味深いですね!

 

 

この記事の掲載写真は、風俗博物館の展示[2022年 5月撮影] の一部です。

 

  五節句のルーツをたどる・平安時代の年中行事

    七月七日 七夕の節句  ~七夕のルーツ・乞巧奠~(『源氏物語』「幻」より)

    ~平安女性の務め 装束の誂え・裁縫~

 

 


 風俗博物館

   https://www.iz2.or.jp/

   京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)


 

 

 

 

 

 

 


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【風俗博物館】七月七日 七夕の節句 ~七夕のルーツ・乞巧奠~ (『源氏物語』「幻」より)

2022年07月07日 | 京都・風俗博物館

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

7月7日は 七夕 ですね!

 

七夕の起こりは

 

  1. 牽牛星[彦星」と織女星[織姫]が年に一度、天の川を渡って逢瀬を楽しむという伝説[二星会合(にせいかいごう)]
  2. 織女星に機織(はたおり)や手芸上達を願う行事[乞巧奠(きっこうてん・きこうでん)]

 

  \ 1 と 2 が合体 !!! /

 

どちらも中国由来の伝説や行事なのだそうです。

 

2022年の風俗博物館の展示では、

二星会合(にせいかいごう)と乞巧奠(きっこうてん・きこうでん)を主とした七夕の夜を、紫の上の生前の姿(幼い頃)と光源氏として具現化されており、 光源氏の前にある机の上には、梶の葉・硯・筆が置いてあります。

具現化された紫の上と光源氏のポーズや配置は、『扇面古写経絵』のうちのひとつをモデルにされているのだそう。

扇面古写経絵(模本)[東京国立博物館 画像検索より]

 

机の上にある梶(かじ)の葉と硯と筆。

梶の葉に和歌を書きます。

 

レジュメより

 ❝梶は古来より神に捧げる神聖な木とされていました。梶の葉は天の川を渡る船の舵(かじ)になぞらえ乞巧奠には欠かせない植物とされました。七夕では梶の葉に和歌をしたためて祭壇に供え、詩歌や手芸の上達を祈ったといいます。その名残は現在、短冊に願い事を書くという形で受け継がれています

 

 

梶の葉は、カジノキ(梶の木)の葉のこと。

クワ科の落葉高木でコウゾ(楮)の仲間。

大きな葉で表面はざらつき、裏面には毛が密生しているのだとか。

そのため墨の乗りが良いようです。

 

 

祭壇には、糸や針、蓮の香花、琴(筝または和琴、琵琶)、

茄子、桃、大豆、干鯛

酒盃

熟瓜、梨、大角豆(ささげ)、薄鮑 などが供えられました。

 

 

『源氏物語』「幻」では、

紫の上を亡くした光源氏が過ごす七月七日にも触れられています。

光源氏は管弦の遊びなどもせず、何もせずに一日中物思いに耽って過ごし、牽牛星[彦星]や織女星[織姫]の逢瀬を見る人もいません…。

 

在りし日の幼い紫の上

哀しいですね…。

 

 

(*´ω`)oO(お気づきだろうか。光源氏が座っている畳の縁(へり)と紫の上が座っている畳の縁とでは違っていることを…。光源氏の畳は繧繝縁。紫の上の畳は高麗縁。こういう細かいところにも身分の差を表して展示されるのですね。)

 

 

この記事の掲載写真は風俗博物館の展示[2022年 5月撮影] の様子です。

 

  五節句のルーツをたどる・平安時代の年中行事

   七月七日 七夕の節句  ~七夕のルーツ・乞巧奠~(『源氏物語』「幻」より) 

   ~平安女性の務め 装束の誂え・裁縫~

 


 風俗博物館

  https://www.iz2.or.jp/

  京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)


 

 

 

 

 

 

 

 

 


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【京都】「女子宮廷装束の華」展④ 『国宝 源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

2022年07月01日 | 京都・風俗博物館

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2022年 5月、

京都産業大学 むすびわざ館2階 ギャラリー (京都市下京区中堂寺命婦町1-10)での企画展「女子宮廷装束の華」を見学した時のこと。

いただいたレジュメをもとに印象的だったものと自分で少し調べたことを加えて個人的な覚え書きとして記事に残しておきたいと思います。

 

 ①十二単の変遷

 ②十二単[唐衣裳]の構成 

 ③平安十二単 

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣  今ココ

 

 

会場では国宝『源氏物語絵巻』で見られる直衣(のうし)や唐衣(からぎぬ)もそれぞれ2点ずつ展示されていました。

❝ ❞内、説明パネルに掲載されていた文章を転記しています。

 

 

白唐花丸文直衣(からはなのまるもんのうし)

 ❝唐花丸文直衣は、唐花菱の丸文を単純化したもので、『源氏物語絵巻』においては光源氏が着用した冬の直衣の文様としてたびたび登場します。

 また、この文様は女性の唐衣の文様としても描かれています。

 また、勅許により直衣で参内することを許される「雑袍聴許(ざっぽうちょうきょ)」では、冬は白の直衣を着装することと定められていました。❞

 

(国宝『源氏物語絵巻』は愛知県名古屋市にある徳川美術館、東京都世田谷区にある五島美術館が所蔵しています)

 

 

 

 

二藍三重襷文直衣(ふたあいみえだすきもんのうし)

 ❝3本の斜線の中に四菱を配置した三重襷は、夏の直衣の文様としてよく用いられました。『源氏物語絵巻』「蓬生」では、光源氏が二藍に三重襷の文様の直衣を着用している姿がみられます。またその他の夏の場面でも、公達が夏の直衣としてよく着用しているのがみられます。

 二藍は藍を所定の色に染め、それに紅花の紅を重ねて染めた紫系の色で、夏の直衣の色として用いられました。❞

 

(国宝『源氏物語絵巻』「蓬生」は徳川美術館所蔵)

 

 

 

 

藻勝見文唐衣(もかつみもんからぎぬ)

 ❝藻勝見文は、『伴大納言絵巻』など多くの絵巻物に描かれる袍に見られる文様です。「勝見」とは、一般的にマコモ(真菰)の別称とされます。『源氏物語絵巻』「柏木一」では女房の唐衣に描かれています。❞

 

(国宝『源氏物語絵巻』「柏木一」は徳川美術館所蔵)

 

 

 

 

梅散文唐衣(うめちらしもんからぎぬ)

 ❝旧暦の正月に芳香とともに開花する梅は、初春のシンボルでもあり、人々に愛され続けた植物です。そのため文様としても多くのバリエーションを持ちます。梅散文は花の模様を多数散りばめたもので、『源氏物語絵巻』「柏木三」では女房の唐衣の文様として描かれました。❞

 

(国宝『源氏物語絵巻』「柏木三」は徳川美術館所蔵)

 

 

国宝『源氏物語絵巻』を見ながら文様を参考にして自分でイラストを描くことが度々あったので、『源氏物語絵巻』にはとても思い入れがあります。

 

今回、この展示において『源氏物語絵巻』に見られる文様での直衣や唐衣も見ることができて嬉しかったです!

 

 

…というわけで、展示の個人的覚え書きでした。

 ①十二単の変遷

 ②十二単[唐衣裳]の構成 

 ③平安十二単 

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣  今ココ

 

 


京都産業大学むすびわざ館2階 ギャラリー

 第25回企画展「女子宮廷装束の華」

 2022年 5月18日(月)~ 7月 9日(土)


 

 

 

 

 

 


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【京都】「女子宮廷装束の華」展③ 平安十二単

2022年06月24日 | 京都・風俗博物館

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2022年 5月、

京都産業大学 むすびわざ館2階 ギャラリー (京都市下京区中堂寺命婦町1-10)での企画展「女子宮廷装束の華」を見学した時のこと。

いただいたレジュメをもとに印象的だったものと自分で少し調べたことを加えて個人的な覚え書きとして記事に残しておきたいと思います。

 

 ①十二単の変遷

 ②十二単[唐衣裳]の構成 

 ③平安十二単  今ココ

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

 

 

十二単[唐衣裳]

レジュメでは「平安十二単」として展示されていましたが、「平安時代に作られた十二単を再現」されているのであって、言わずもがな平安時代の遺品ではありません。

現代になって作られた十二単です。

 

こちらの十二単では、小袖と長袴が濃色(こきいろ)なので若年で未婚の女性であることを示されていますね!

※濃色=濃い紅(くれない)の色の意味。紫に近くなります。

 

胸もとに注目!

濃小袖、単(ひとえ)、袿(うちき)[衣(きぬ)]、打衣(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、裳(も)、唐衣(からぎぬ)、といった構成です。

 

十二単の成立は平安時代中期…10世紀後半頃?

重ね袿は華美となり20枚以上着用することもありました。

平安末期から鎌倉時代にかけて重ね袿を五領まで(=袿を重ねるのは5枚まで)とする「五衣(いつつぎぬ)の制」が定められたのだとか。

現在は「五衣(いつつぎぬ)」と呼ばれています。

 

 

以下の写真は、「女子宮廷装束の華」展で撮影した十二単にそれぞれの名称を私が文字入れしたものです。

つ、伝わるでしょうか…

 

 

「唐衣裳」「女房装束」…俗に「十二単」と呼ばれるこの姿。

「十二単」の「十二」は「たくさん」や「多い」といった意味だそう。

 

 

展示の個人的覚え書き

 ①十二単の変遷

 ②十二単[唐衣裳]の構成 

 ③平安十二単  今ココ

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

 

 


京都産業大学むすびわざ館2階 ギャラリー

 第25回企画展「女子宮廷装束の華」

 2022年 5月18日(月)~ 7月 9日(土)


 

 

 

 

 


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【京都】「女子宮廷装束の華」展 ② 十二単[唐衣裳(からぎぬも)]

2022年06月22日 | 京都・風俗博物館

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2022年 5月、

京都産業大学 むすびわざ館2階 ギャラリー (京都市下京区中堂寺命婦町1-10)での企画展「女子宮廷装束の華」を見学した時のこと。

いただいたレジュメをもとに印象的だったものと自分で少し調べたことを加えて個人的な覚え書きとして記事に残しておきたいと思います。

 

 ①十二単の変遷

 ②十二単[唐衣裳]の構成  今ココ

 ③平安十二単

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

 

ギャラリーのウインドウでは、十二単(じゅうにひとえ)[唐衣裳(からぎぬも)]の構成がわかる展示となっていました。

女性の宮中での正装はいわゆる「十二単」の名で親しまれていますが、正式な名称や誕生の経緯について不明とのこと。

平安時代には「女房装束」や「唐衣裳」などと記されていたものの正式名称ではないそうです

 

このブログ記事では「十二単」の名称で統一して書きたいと思います。

 

以下、十二単[唐衣裳」として展示されていた 長袴(ながばかま)、単(ひとえ)、五衣(いつつぎぬ)、打衣(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)を簡単にご紹介。

 

長袴(ながばかま)

この袴の色は「濃色(こきいろ)」と呼ばれ、若年で未婚の女性が身に着けたとされています。

「濃色」とは濃い紅(くれない)の意味。紫色に近いです。

※既婚の場合は、紅の袴(くれないのはかま)。

 

単(ひとえ)

裏地のない衣類。寸法は袿(うちき)よりも大きくできています。

 

五衣(いつつぎぬ)

袿(うちき)を五領重ねた呼び方。

四季折々、季節に応じた五衣で表現される「かさねの色目」が楽しまれました。

 

五衣の裾あたりを撮ってみました。

このかさねの色目は「花橘(はなたちばな)かさね」で旧暦4月頃に着用するとされます。

緑の葉をつけ、白い花が咲き、橙色の実ができるという、1年を通じて橘を表現した色目。

 

打衣(うちぎぬ)・表着(うわぎ)

 

 打衣:砧で生地を打って光沢を出した袿のこと。儀式の際には必ず着用。

    展示されているこの打衣は濃色。

 表着:一番表側に着る衣(きぬ)のこと。

    展示されている表着は、鶴岡八幡宮の御神宝を参考に製作されたのだそうです。

 

唐衣(からぎぬ)

奈良時代の「背子(からぎぬ)」が変化したものといわれ十二単の一番上に着ます。

(余談ですが、むかしむかし私は唐衣の襟がどうなっているのか不思議でなりませんでした。襟を折って裏地を見せていると知って驚いたのでした。)

 

裳(も)

奈良時代の女官が着用した巻きスカートのような形の裙(も・うわも)が変化したもの。

裳は成人女性の象徴であり、女性の成人式にあたる儀式は「着裳(ちゃくも)」あるいは「裳着(もぎ)」と呼ばれました。

(巻きスカートのような形状だったのが、この形の裳になるのは本当に不思議です。)

 

 

裳と唐衣は目上の人に仕える際に身に着けるものです。

(『源氏物語絵巻』を見ますと、貴族の私邸での女房たちは唐衣を着用しないことはあっても裳はつけていたようです。)

 

 

展示の個人的覚え書き

 ①十二単の変遷

 ②十二単[唐衣裳]の構成  今ココ

 ③平安十二単

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

 

 


京都産業大学むすびわざ館2階 ギャラリー

 第25回企画展「女子宮廷装束の華」

 2022年 5月18日(月)~ 7月 9日(土)


 

 

 

 

 


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【京都】「女子宮廷装束の華」展 ① 十二単の変遷

2022年06月21日 | 京都・風俗博物館

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2022年 5月、

京都産業大学 むすびわざ館2階 ギャラリー (京都市下京区中堂寺命婦町1-10)での企画展「女子宮廷装束の華」を見学した時のこと。

いただいたレジュメをもとに印象的だったものと自分で少し調べたことを加えて個人的な覚え書きとして記事に残しておきたいと思います。

 

 ①十二単の変遷  今ココ

 ②十二単[唐衣裳]の構成 

 ③平安十二単

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

 

 

十二単の変遷

 

奈良時代

 ー大宝律令の完成、唐の文化を取り入れ日本の服制の大綱(たいこう)が確立ー

  養老の衣服令(いふくりょう)による女官礼服(らいふく)

大宝元年(701)成立の大宝律令を継承した養老2年(718)の衣服令によって定められて女官の礼服(らいふく)です。

男性の文官礼服と同様、毎年正月元日に行われた朝賀や即位式など限られて儀式でのみ着用。

礼服に対して、ふだん朝廷に出仕する際に着用する装束は朝服(ちょうふく)と呼ばれたそうです。

奈良時代から平安時代初期にかけては、最も中国風であった時代でした。

裙(も)は巻きスカートのようになっており、裙の下には褶(ひらみ・したも)をつけ、紕帯(そえおび)を締めています。

さらに肩には領巾[比礼](ひれ)をかけています。

 

 

平安時代

 ー遣唐使停止(894年)を機とした日本文化のめばえ 国風装束への変化ー

  公家女房、裙帯比礼(くんたい ひれ)の物具装束(もののぐ しょうぞく)

女房装束の晴れの姿はいわゆる十二単と呼ばれ、これが最高の服装のように思われていますが、さらに厳儀(げんぎ)の時には裙帯(くんたい)、領巾[比礼](ひれ)をつけ、髪を垂らした後、結い上げ、宝冠(ほうかん)をつけていました。

奈良時代の礼服の形を残したもので、これを物具装束(もののぐ しょうぞく)といいます。

 

 襪(しとうず)

 張袴(はりばかま)※多くは紅(くれない)の袴

 単(ひとえ)

 衣(きぬ)[袿(うちき)]

 打衣(うちぎぬ)

 表着(うわぎ)

 裳(も)

 唐衣(からぎぬ)

上記の通常の晴れの装いに、裙帯(くんたい)をつけ、比礼(ひれ)を肩にかけています。

※裙帯は奈良時代の紕帯(そえおび)の変化?

 

 

平安時代中期

 ー唐様(からよう)を変化させ日本独自の十二単の完成ー 

  公家女房 晴れの装い

平安時代に入り、服制も国風化が進むと、男性の装束と同様に女性の装束も奈良時代の朝服(ちょうふく)から和風に変化。

宮中における成人女性の正装であるこの姿は「女房装束」「唐衣裳」姿と記されていましたが、現在ではいわゆる「十二単」と呼ばれています。

 

 張袴(はりばかま)

  ※多くは紅(くれない)の袴。

  ※若年で未婚の場合は濃色(こきいろ=濃き紅)の袴を着用

 単(ひとえ)

 衣(きぬ)[袿(うちき)]

  ※後に「五衣(いつつぎぬ)の制」が定められ、重ね袿は五領までに。

 打衣(うちぎぬ)

 表着(うわぎ)

 裳(も)

 唐衣(からぎぬ)

 

 

江戸時代前期

 ー応仁の大乱以来の有職(ゆうそく)の乱れー

 儀式服と化した十二単、伝承の混乱

  江戸時代前期の正装の公家女房

室町時代の応仁の乱(1467~1478)の後、しきたりが不明に…。

この姿は桃山時代前後から天保14年(1843)、平安朝の裳再興までの姿。

裳には唐衣と共裂(ともぎれ)の刺繡入りの掛帯(かけおび)が用いられ、小腰(こごし)はありません。

この裳の下には纐纈(こうけち)の裳と呼ばれる裳がつけられていたもよう。

※纐纈(こうけち)の裳は享保7年(1722)の「御再興女房装束」の際に廃止。

 

 

(勉強不足過ぎて、よく理解できていません 視覚的に十二単の変遷がわかる展示でとても感動しました。)

 

 

 ①十二単の変遷  今ココ

 ②十二単[唐衣裳]の構成 

 ③平安十二単

 ④『源氏物語絵巻』で見られる直衣や唐衣

 

 


京都産業大学むすびわざ館2階 ギャラリー

 第25回企画展「女子宮廷装束の華」

 2022年 5月18日(月)~ 7月 9日(土)


 

 

 

 

 

 


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【京都・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~】 2012年6月撮影 実物大展示室

2016年04月19日 | 京都・風俗博物館
 京都市下京区にある風俗博物館のこと。

『竹取物語~かぐや姫の昇天~』 に引き続き、
2012年6月に撮影した風俗博物館の展示の様子です。


実物大展示室では
直衣姿の男君、唐衣・裳姿<十二単姿>の女房が
展示されていました。


母屋の部分にのみ
実物大の人形が展示されていました。

2010年以前に展示されていた
御帳台(みちょうだい)はありませんでした。





直衣姿の男君








唐衣・裳姿<十二単姿>の女房





 着装体験。 

風俗博物館、実物大展示室には
洋服の上から自由に羽織ることができる
装束がありました。

 ・男性用・・・狩衣姿(狩衣と指貫)
 ・女性用・・・袿姿(単と袿)


※2016年の風俗博物館 移転&リニューアル後、
着装体験コーナーは設けてありませんのでご注意ください。





以上、2012年6月における風俗博物館の展示の様子でした。





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【京都・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~】 2012年6月撮影 『竹取物語~かぐや姫の昇天~』

2016年04月19日 | 京都・風俗博物館
 京都市下京区にある風俗博物館のこと。

東宮の消息使 ~婚礼作法~ に引き続き、
2012年9月に撮影した風俗博物館の展示の様子です。

2012年(平成24年)のリニューアルにともない、
平安初期を題材とした『竹取物語~かぐや姫の昇天~』
が4分の1の縮尺で展示されていました。

※この展示は2012年から2015年まで行われました。



実物大展示室において展示されていました。


全体の様子。


かぐや姫


写真右:かぐや姫の背後から天の羽衣をきせかける天女
写真中央:かぐや姫



媼(おうな)


翁(おきな)


かぐや姫の侍女




飛ぶ車に乗った王



天女たち




 実物大展示室へ続きます。





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【京都・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~】 2012年6月撮影 東宮の消息使~婚礼作法~

2016年04月18日 | 京都・風俗博物館
 京都市下京区にある風俗博物館のこと。

薫物合せ ~姫君の通過儀礼・婚礼仕度~ に引き続き、
2012年9月に撮影した風俗博物館の展示の様子です。

寝殿 西廂では
『源氏物語』<梅枝>より
「東宮の消息使 ~婚礼作法~」
の場面が展示されていました。




舞台は、六條院春の御殿 寝殿に見立てられています。

明石の姫君が東宮に入内する前のこと。
東宮の消息(しょうそく=手紙)をもった使(つかい)が
六條院春の御殿 寝殿へ遣わされている場面です。





東宮の消息をもった使(つかい)が
六條院春の御殿 寝殿の南簀子に参上しています。

東宮の使者は蔵人(くろうど)の右近衛少将がつとめました。






東宮からの消息を受け取る明石の姫君の乳母。

この後、消息使は明石の姫君の返歌をいただいて宮中に帰参します。




お使いの一行は十分な饗と禄でもてなされます。
写真は禄を用意している女房。




簀子で消息使を迎える源氏。




打出(うちいで)
寝殿や対の屋の御簾の下から、女房装束の袖口の重ね色目をはなやかに見せる装飾。
 着飾っている女房が居並んでいるように見せるが、実際は重ねた装束を朽木文様(くちきもんよう)の几帳の帳(とばり)ごと抱え込むように絞り、左右の袖口から出した裳(も)の紐で結んである。







 『竹取物語~かぐや姫の昇天~』へ続きます。





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【京都・風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界~】 2012年6月撮影 薫物合せ~婚礼仕度~

2016年04月17日 | 京都・風俗博物館
 京都市下京区にある風俗博物館のこと。

局~明石姫君入内・参入女房の身仕度~ に引き続き、
2012年6月に撮影した風俗博物館の展示の様子です。

寝殿 北廂では
『源氏物語』<梅枝>より
「薫物合せ(たきものあわせ)~姫君の通過儀礼・婚礼仕度~」
の場面が展示されていました。






舞台は、六條院 春の御殿 寝殿に見立てられています。

<博物館レジュメより>
明石の姫君の裳着が執り行われる前日の二月十日、雨が少し降って紅梅が盛りの夕暮れ、六條院において風流人として名のしれた蛍兵部卿宮を判者としての薫物合せが行われた。

裳着とその後に控えた東宮入内の準備のため、当代の文化の粋を尽くした名品がつぎつぎに六條院に集約される様は、まさに源氏自身が文化の中心にいることを示し、明石の姫君の入内とともに宮中にもたらされる最上の文化の数々の準備が六條院を中心に華やかに進められていくのである。”



源氏:直衣姿






朝顔前斎院からの使者




紅梅かさね


朝顔前斎院からの使者への禄(ろく)、紅梅かさね<表=紅梅、裏=蘇芳>の細長。







蛍兵部卿宮と夕霧





香を調合している女房






 東宮の消息使 ~婚礼作法~ へ続きます。





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